第5話 美魔女海賊は誘惑する

 それは思いのほか小さな部屋だった。

 内装にも木材をふんだんに使い、床には植物で織った厚みのある四角いマットが敷き詰めてある。壁の一段奥まった場所には美しい絵が飾られ、この海賊艦の中ではついぞ見かけたことのない本物の花が一輪、生けられている。


 さらに部屋の隅には黒い鋳鉄製のポットが炭火にかけられ、静かに湯気をたてている。

 これは日本の伝統的なお茶室というものらしかった。


 清楚ながら凛とした緊張感が漂うその部屋。その部屋の主こそが、先代艦長ゼノビアだった。

 パルミュラと同じ黒髪を優雅にまとめ、和服に身を包んだその人は、美しい姿勢でポットの前に座っていた。


「ほあー……」

 ウェルスは言葉を失った。

「これが先代の艦長ゼノビアだ。ついでに言えば、私の母親だがな」

 そう言うパルミュラに、確かに顔立ちはそっくりだった。いわば東洋と西洋が入り混じった神秘的な美しさだ。


「あなたがウェルスさんですか。ようこそ、我が艦へ」

 これだけ美しい人は声まで美しいのだな、ウェルスは陶然となった。

 それに引きかえ。

「なんだ、私の顔に何か付いているか?」

 なぜあの親から生まれた子が、こうなるんだろう。


「ご心痛、お察しいたします」

 頭を下げたウェルスに、ゼノビアは笑いかけた。

「まあ、良く出来たお子さんだこと。そうなのですよ、この馬鹿娘にはね……」

 ぎろり、とパルミュラを睨む。

「す、すみません。お母さま」



「艦の方針について、この馬鹿娘に提案を頂いたとか。お若いのにしっかりしていらっしゃいますのね。なのにこの馬鹿娘は、ろくに考えもせず遊び呆けてばかり」

 パルミュラ艦長の固有名詞が馬鹿娘で統一されてしまった。


「あ、あのお母さま。今日はそれもなんですけど、本題は人質交換のことで……」

 脂汗を流しながらパルミュラはリストを差し出した。

 先日捕虜にした戦闘ヘリの乗組員のほかにも、別の都市から何人か攫って来ているらしい。


「まあ。ではウェルスさんも返してしまうのですか。こうして出会ったばかりだと云うのに、なんて残念な」

「いえ、それが……」

 パルミュラは言い淀んだ。ちらり、と横目でウェルスの様子を伺う。


「ウェルスくんの返還要求は、ありませんでした」


 ☆


「ま、まあ君みたいなのは貴重すぎて、すぐに予算がつかなかっただけかもしれないしさ。大丈夫だよ。きっとその内、連絡がくると思うから」

 こうして誘拐した張本人に慰められるのは変な感じだった。


 ウェルスはヴィッカ・ロイスの顔を思い浮かべた。ずっと本当の姉のように、そして恋人のように彼の世話をしてくれたあの女性。銃で撃たれ、倒れた姿を見たのが最後だった。

 麻酔弾だから大丈夫だと、副官のルセナさんは言っていたけれど。


「わかりました。僕はこの艦で生きていきます。そして必ず、あの僕がいた都市空母を手に入れてみせます」

 都市が僕を助けてくれないなら、都市ごとヴィッカさんを奪取するまでだ。


「なんて頼もしい。ねえ、うちの馬鹿娘。あなた、艦長交代する?」

「へへーっ、それだけは平にご容赦を」

 文字通りパルミュラはひれ伏した。


「よろしい。では今後の我が艦の方針はウェルスさんの言う通り『富国強兵』、これでいきます」

 あうう……、パルミュラが首を捻った。

「あの、お母さま。もう少し現代的でキャッチーな方が、クルーにも受けがいいのではないかと思うのですが」

「なんですか、この馬鹿娘。私が古いと、時代遅れの骨董品以下だと、そう言いたいのかえ」


「言いたいのかえ、って、お母さま。わたくしめは、そんな事までは仰ってございませんですことわよ」

 蛇の視線に射すくめられたカエルみたいになっている。

「艦長、落ち着いてください。何を言っているのか分かりません」

 それに、海賊の方針にキャッチーさを求める必要はないのではないか。


「分かりましたよ、お母さま。ではこれは如何いかがでしょう。かのジュリアス・シーザーの名言にこんなのがあります。『来た、見た、勝った』です」

「ほう、圧倒的な戦勝を伝えた際の手紙の文句ですね。それで?」


 えへん、とパルミュラは胸をはった。

「それになぞらえ、『った、売った、儲かった』はいかがでしょうか」

 部屋に沈黙が訪れた。

「あ、あれ。お母さま。ウェルスくん?」


 しゅーっ、とゼノビアが息を吐いた。

「ねえ、うちの馬鹿娘。それはもしかして、私に意見を訊いているのかい」

「は、は、はい? ま、まさかでございます。この件につきましては再度精査の上、言上つかまつる所存にて、今日はこれで失礼いたしますからっ」


「やれやれ驚きました。いいですか、ちゃんと考えて来ないと次はありませんよ」

「へへーっ」


 そこでゼノビアはふと表情を緩めた。

「あら、私としたことが。今、お茶をてましょうね」

 そういって茶碗を用意し始めた。


 ☆


「結構なお点前でした」

 うろ覚えながら、丁寧に一礼するウェルス。ゼノビアも優雅に返礼する。


「お、お母さま。なんだか今日のお茶は苦くありませんか……」

 青ざめた顔でパルミュラが言った。

「あら、よく分かりましたね。あなたのお茶は特別にトリカブトパウダーを混ぜてありますから。しっかり味わいなさい」

「あ、……ありがとうございます」


 良い子は絶対に真似しちゃダメなやつだ、ウェルスは背筋を震わせた。


「ああ。お菓子がおいしい。食べないなら貰うね」

 すっかりくつろいだ様子でパルミュラはウェルスの茶菓子にまで手を伸ばす。

 この人なぜ平気なんだろう。最近のトリカブトは毒性が無くなったのだろうか。


「まさか。あれは、本当はお茶じゃなくて青汁ですよ。もちろんトリカブトなんて入れてません」

 ゼノビアはいたずらっぽく笑う。

 その笑顔もすごく魅力的だった。


「だけど、そうなると」

 パルミュラ艦長の母親ということだが、一体。


「失礼ですが、ゼノビアさんはお幾つなんですか」

 隣でパルミュラが凍り付いたのが分かった。しきりと目配せしてくる。

 しまった。これは地雷だったようだ。


「まあ、失礼だなんて。私はまだ、17歳ですよ」

 おほほほ、と笑うゼノビアさん。

「あ、はあ……そうでしたか」

 パルミュラさんより年下なんですね、とは、さすがに言えなかった。

「は、はは。……おいおい」

 思わず突っ込んでいた。


 やはり、彼女たちは間違いなく親子だった。


 ☆


「やれやれ、寿命が縮んだぞ。だが、先代に気に入られたようだな。それだけは良かったとしよう」

 パルミュラはウェルスの背中をぽん、と叩いた。

「これで君は『シー・グリフォン』の正式メンバーだ。よろしく頼むぞ」

「はい、こちらこそ。艦長」


 先を歩いていたパルミュラは足を停め振り返った。

「なあ、ウェルスくん。これは最初の艦長命令なのだが」

 真剣な眼で少年を見つめる。

「私は、さっきの拷問のような時間で汗だくなのだ。これからシャワーを浴びるので、背中を流してくれないか」

「絶対に、お断りします」


 こうして、ウェルス・グリフォンの海賊としての日々が始まった。





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