CASE5「まっさらに生まれ変わって」

 雪が降っていた。

 ふわふわと頼りない癖に数だけは一丁前で、月明かりに照らされて幾千いくせんもの白い軌跡きせきを描いている。

 どうしてこうなってしまったのだろう。


 *


 初めは些細な事件だった。

 十五歳の少年が両親を手にかけ逮捕された。殺人は元より盗難であれ痴漢であれ罪は罪、些細などというのは不謹慎だと思うかもしれない。その感想で間違いない。些細、というのは犯行動機についてだ。


「人は死んだら何処どこに行くのか知りたいだけだった」


 それは思春期にありがちな哲学被れの妄言とも受け取れたし、精神疾患を匂わせて罪を軽くしようという魂胆こんたんで似たような台詞せりふを吐く罪人ホシも少なくない(あるいは有名なシリアルキラーに触発されていた可能性もあるが、それは私の知る所ではない)。

 私は少年を逮捕した。私の仕事はそこまでだ。後のことは知らない。知らなくていい、そう思っていた。


 事件からおよそ二十年が経過した、あの日までは。


 その日、私は三日三晩続いた捜査を終えて満身創痍の日曜の早朝、意気揚々と帰路に着いた。近ごろ若い衆の間で話題のケーキを買って、難しい年頃の娘の機嫌を如何に取るか考えながら帰っていた。

 私の下着は別にして洗え?

 あまりに帰ってこないから知らない人だと思った?

 帰ってこなくてもいい?

 このツンデレ娘め。帰ったら大嫌いと言われるまで可愛がってやる。やけに視線を集めているなと思えば、ショーケースに映る私はニヤニヤ頬を緩ませてスキップなんてしていた。

 本当はそんなことしている場合ではなかった。私はケーキなんか買わず全速力で家に駆けるべきだったのだ。

 私は二度と娘を可愛がることができなくなってしまった。中学の卒業式は行くと決めていたのに、最後に見た晴れ姿は七五三になってしまった。スマホのロック画面だけじゃ飽き足らず時代錯誤に懐に忍ばせた写真の娘も七五三で時を止めてしまっている。もう二度と新しい写真は撮れない。


 私から娘を奪った犯人はかつて私が逮捕した少年だった。彼を中心にした複数人での計画的な犯行で、凶器は私の趣味であった鑑賞用の日本刀。私の仕事と趣味が私の最も大切なものを奪っていったのだ。私が殺した、とは思わない。罪悪感はある、だがどんなに許しを請うても

 この事件は連続殺人の始まりに過ぎず、私を含めた警察関係者への復讐が目的であるようだった。


 *


 私はこの事件の最先端にいた。誰よりも早く犯人の足取りを掴み、半年ほどで主犯であるかつての少年(35)を追い詰めた。大雪警報で客のいなくなったスキー場で、私たちは対面した。

「よう、アンタか。久しぶりだな」

「少年、って年でもなくなっちまったね。なあ、どうしてだ?」

「……? ああ、どうして殺したかって話か? そうだな、『人は死んだら何処どこに行くのか知りたいだけだった』って言えば罪は軽くなるかね?」

「流石にもう無理だろうな。だいたい、私がそれを許さない」

「肉親を殺されたからか?」

「ああ、そうだ」

「俺が憎いか?」

「当たり前だ」

「刑事がそんな感情的でいいのかよ?」

「黙れ。私は刑事である以前に人間で、一人の親だった」

「ああ、、ね。今のアンタは復讐の鬼って感じだぜ」

「そうだな。この半年、私はお前を捕まえるための執念だけで生きてきた」

「ああ、そんな顔だ。んにしても、あれだな」

 取っ組み合いの末、私は犯人のこめかみに銃口を押し付けた。

 互いにぜいぜい白い息を吐き出して、睨み合っていた。


「アンタも年の割に美人だな。刑事さんよ」


 職業柄、性別のことで話題に上ることは事態は珍しくない。問題なのはそのあとだった。


「アンタもあの子みたいな可愛い声で鳴くのか? お母さん、お母さん、助けてー助けてー、なんつってさ。アンタは仕事で来れやしないのに」


 灰色の空に赤い雪が混ざる。頭に血が上ったから、ではない。理由は二つ。まず、私を追って他の警官たちが応援に来たことを知らせるサイレンの光。もう一つは、私の身体から噴き出した血が混ざっていたということ。動揺した一瞬の隙を突いての一撃だった。私の所持していた日本刀が、私の腹のど真ん中に刺さっていた。あの日、娘の身体に広がっていたのと同じように血が滲んでいく。

 私は刀身ごと奴の腕を掴んだ。


「なっ、離せババア!」

「おいおい、寂しいこというなよ。お前さんには私と一緒に娘に謝ってもらわなくちゃならないんだからさ。なあ、ババアも案外、美人だろう?」


 年齢差、体格差、性差。仕事上の慣れを鑑みても、身体の状態を思えば手錠を取り出せるほどの余裕はない。

 私は宗教に明るくないが、少なくとも命の価値が平等というのは嘘だ。才能も時間も平等なものなどこの世にはない。目の前のクズと私は一緒の価値でも構わないが、こいつよりも娘の価値が同じなんてこと、あっていいはずがない。

 たしかなのは人は脆いということ。ちょっと転んだだけでも打ちどころが悪ければ二度と目を覚まさないこともあるし、こんな仰々しい日本刀なんかじゃなくてもコンビニで買える程度のカッターナイフでも失血死はあり得る。たかだか数百円程度の小さな鉛玉一つで命を落とす。頭蓋は駄目だ。あれは案外頑丈だから。だから、こうやって、こめかみに打ち込むか、口の中から脳天をぶち抜くのがベスト。

 思わぬ奴と心中することになっちまったが、ちょうどいい。許されるとは思っていないし、自己満足かもしれないが、それでもこれであの子への義理は果たせる。


 *


 役目を終えた私の身体は自力で立ち続けるだけの力さえ失い、仏になった少年から手を放し、ふらふらと倒れ込むように雑木林の中に転んでしまった。転がって、転がって、コースから外れた何処かに、私は仰向けになっていた。

 雪が降っている。

 ふわふわと頼りない癖に数だけは一丁前で、月明かりに照らされて幾千いくせんもの白い軌跡きせきを描いている。

 人は、死んだら何処どこにいくのだろう。

 私は天国にいる娘に地獄だろうと煉獄だろうとあの野郎を引っ張って謝りにいくつもりだったが、宗教的には生まれ変わっている可能性もあるのか。

 懐から、写真を取り出した。私の記憶よりもずっと前、母子家庭になるより前の絵にかいたような幸せな家族だった時間を切り取った一枚の紙は、大事に、大事にしていたはずなのにくしゃくしゃになっていた。

 私の大好きだった娘を殺した日本刀が、私の大好きな人と私が大好きだった日本刀が、私を真っ白な雪に縫い付けている。そういえば、私は雪も好きだった。だから、娘にも同じ名前を付けたのだ。透き通った空気が、寒さに身をよじり頬を赤らめる娘が心配で愛おしかった。

 私は、大好きなものに囲まれて死ぬ。降り積もる雪に覆い隠されて、春まで明るみに出ることもない。山の中だから、きっと死体は獣に食い荒らされて、原型は残らないだろう。私にはちょうどいい。

 もしさらに生まれ変われるならば、もう一度、娘と家族をやり直したい。娘がいて、彼がいて、私がいて、そんな幸せな人生を一から始めたい。

 止まない雪と鈍色にびいろの空に向けてそそり立つ日本刀に、最期、幸せな記憶を掲げた。

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