第43話 祭りの準備

「よお、待ってたぜ。まずは道中無事でなによりだ」


 城門から市街地へつながる道端、退廃街区ゾバレットを囲む壁に寄り掛かって不敵な笑みを浮かべながらそう言ったのは出会って以来終始冷笑的な態度を見せ続けているリバロだった。彼は斥候役、光の民が使う加護である「転移」を円滑かつ高精度に行なうため転移先であるここ水の国で待機していたのだった。


「リバロさん、ご支援をありがとうございました。僕たち二人とも無事に到着できました」

「まったくだ。村からここまで飛んで来たらすぐに転移の誘導だもんな、アトール議長も人使いが荒いぜ。さあ、すぐ仕事にとりかかってくれ。ただでさえここいらは監視の目がキツいんだ、お前たちならお得意の擬態だかでうまくやれるだろ」

「わかりました。さあルセフィ、行こう」


 野の民本来の小さな妖精の姿で背中の羽をはばかせながらジャヌビアは妹のルセフィを促す。


劣等種カリテスネムを焚きつけてその気にさせる簡単なお仕事、そんなものはさっさと片付けてしまいますわ」


 ルセフィはこのリバロという男が余程気に食わないのだろう、慇懃無礼な態度は相変わらずだ。しかしまずは役目を果たさねば、兄ジャヌビアとともに二人が胸の前で腕をクロスさせると一瞬にして姿が消えた。彼らの能力カリビエのひとつ、擬態である。


「せいぜい役に立ってくれよな」


 ひとりその場に残されたリバロは捨て台詞のような言葉とともに踵を返して市街地へと歩き去って行った。



 街区の中で野の民の二人は本来の姿に戻る。貧しくも殺風景な街並みを巡回してみるも、日中は奴隷として使役されているからだろうかそこに民の気配はまったくと言っていいほど感じられなかった。

 やがて街のはずれにろくに手入れもされていない朽ちかけた家が見えた。ジャヌビアは窓の隙間からそっと中を覗いてみる。するとそこには伸び放題の金色の髪に薄汚れた服をまとった男が何をするともなくぼんやりと窓の向こうに見える空を眺めていた。


「よし、ルセフィ、あの人がいい。まずは僕が声をかけるから危なくなったら援護して」

「うん、わかった。気をつけてね、お兄ちゃん」


 ジャヌビアは軽く息を整えると窓辺に立って男に向かって呼びかけた。


「こんにちは。ちょっとお話をしてもいいですか?」

「あ? なんだって野の民メイダンズルがこんなところにいるんだ?」

「はじめまして、僕の名前はジャヌビアです。ここから少し離れた村からやってきました」

「そうかい、そうかい、そりゃご苦労様だ。だがな、こちとら落ちぶれた劣等種カリテスネムだ、金も食いものもないぞ。どこか他所よそをあたってくれ」

「あら、プライドの高い水の民マーヤズルにしてはずいぶんと謙虚なお言葉ですこと」

「ケッ、言ってろ」


 この男は危険ではないと悟ったのかルセフィも顔を出す。しかし人を食ったようなその態度を腹立たしく思った男はそっぽを向いて黙り込んでしまった。


「この子は妹のルセフィです。彼女の言葉に気を悪くされたのなら謝ります。とにかく話だけでも聞いてください」

「わかったよ、話したけりゃそこで気が済むまで話せばいいだろ、好きにしろ」


 ジャヌビアとルセフィは男の部屋で羽ばたきながら加護と祝福のことや能力カリビエのことなどを丁寧に話し始めた。最初は意地を張るように視線すら合わせなかった男もやがてジャヌビアの目を見つめながら身を乗り出すようになっていく。カマルーグと名乗るその青年はやがてジャヌビアの言葉に従って能力カリビエを試してみる。程なくして彼は小さな水の球を作ることができた。


「お、俺に加護が……マ、マジかよ」

「ここまでは僕たちも力を貸していましたが、今度はご自分の力だけで試してみてください。大丈夫です、一度はできたんだから自分を信じて、さあ」


 カマルーグは空気中の細かい水滴が集約する姿を思い描いた。


「ほら、できました、できましたよ!」

「お、おお!」


 カマルーグの目から一筋の涙がこぼれた。これでもう自分を持たぬ者ダシュタルニルとか劣等種カリテスネムなどとは呼ばせない、奴隷の身からも解放されるのだ。その涙は彼の思いのすべてを物語っていた。こうしてジャヌビアはまず一人、退廃街区ゾバレットに住まう青年を取り込むことに成功したのだった。


 それからの展開はジャヌビアが想定していた以上に早かった。カマルーグが中心となって街区の者たちに能力を試行させる。当然ながら全員に加護が発現するわけではないがそれでも一人、二人と弱いながらも発動できるようになっていった。中でもカマルーグの上達には目を見張るものがあった。それは彼が抱く水の国への怒りがそうさせていたのだろう。

 さあ、準備は整った。カマルーグを筆頭にして街区の持たぬ者ダシュタルニルたちを決起させるのだ。能力が使える者はそれを、そうでないものは農具でも道具でもとにかく武器になるものを手にして立ち上がるのだ。こうして退廃街区ゾバレットが叛乱の気運に満たされるまでにそう時間はかからなかった。



――*――



 それは二つの月が重なる日ビレシュトルズ、水の国では暦の上で最初の日ウルヌクルズを意味する特別な日を前にした祭事節ジャバラードで賑わうある日のことだった。ジャヌビアとルセフィはそろってオングリザ氏の妻であるメトアナが住まう朽ちかけた家を目指していた。街中は他国から訪れた様々な種族であふれており、特に此度に控えているウルスラグナ姫の出立の儀を祝おうと多くの国賓も招かれていた。

 しかし信仰する神もなく禁制地帯で暮らす野の民はその存在自体が異端分子とみなされていた。すなわち衛兵に見つかれば即座に捕縛され放逐されるのだ。ジャヌビアは人目に付く場所では擬態の能力カリビエで他種族と同じ風体で行動していた。ただし長時間の擬態に耐えるだけの体力をまだ持っていない妹のルセフィは本来の姿のままで兄ジャヌビアの服の中に身を隠しつつ行動を共にしていた。とは言えまだまだ幼いルセフィは祭事節の出店に興味津々、時折顔を出しては露店の前に羽ばたいていく。そんなさなかに事件は起きた。


「おい、貴様、野の民だな」


 市場に響く衛兵の声、めずらしい貴石の装身具を売る店の前で羽ばたくルセフィがまずいことに警備兵の一人に気付かれたのだった。ルセフィは慌ててジャヌビアの服の中に隠れる。しかし時すでに遅し、衛兵たちがジャヌビアを囲んだ。


「おい子ども、貴様も野の民か? いや、違うか……しかしこの国の民ならば野の民を庇うことはないはずだ。さあ、今隠れた小さいのをこちらに差し出せ」


 ジャヌビアは知らぬ存ぜぬとシラを切ってはみたものの衛兵たちは腰に下げた剣に手をかけ始めていた。市場では道行く民が足を止めて遠巻きにこちらをうかがっている。


「仕方ない、一旦このまま放逐されて仕切り直すか」


 ジャヌビアが腹をくくろうとしたその時だった、衛兵を割って褐色の肌に白い髪が美しい女性兵士が前に出てきた。それは士官学校の訓練として警備に参加していたウルスラグナだった。

 まさか出立の儀を目前に控えた姫その人が衛兵の真似事をしているなんて。しかし凛としたその雄姿と美しさにジャヌビアも思わず息を呑んだ。


「何の騒ぎだ。祭事節ジャバラードを楽しむ民が怖がっているではないか」

「はっ、しかし野の民が……」


 ウルスラグナはジャヌビアの姿をなめるように見回す。すると彼の胸元に妙な違和感を感じた。


「おい、服の中を見せてみろ」


 ジャヌビアは妹を護らんと胸に手を当てる。


「とにかく出てこい、悪いようにはせぬ。祭事節ジャバラードの最中に無益な殺生はせぬ、正直な態度を見せれば放逐だけで見逃してやる」


 ウルスラグナのその言葉が終わると同時に胸元から小さな妖精が羽ばたき立つ。彼女は金色の矢を構えるとウルスラグナの足元目掛けてそれを放った。小さな破裂音と立ち昇る土煙、その隙にジャヌビアも本来の姿に戻ると二人揃って二発、三発と続けざまに矢を放つ。そのたびに起きる小さな爆発に市場の民も右へ左へと逃げまどう。その混乱に乗じて小さな野の民の兄妹きょうだいはまんまとその場から姿を消したのだった。


「ここまで来れば大丈夫」


 ひと息ついた二人は街外れに佇む廃墟同然の建物に到着する。すっかり崩れた屋根に開口部だけになった窓、かつては部屋だったであろう場所には古ぼけてはいるが十分に手入れされたテーブルとイスがあった。

 ジャヌビアは窓辺から声をかける。


「ごめんください、こちらはメトアナ・オングリザさんのお家ですか?」


 するとまだ屋根が残る奥の方からあかい髪にあかい瞳の女性が顔を見せた。


「はじめまして、僕たちは……」

「野の民でしょ。祭事節ジャバラードで警備が厳しいのによくここまで来れましたね」


 今では村の名士であるオングリザ先生、その妻メトアナは笑みを浮かべながら窓辺までやって来た。彼女を前にして二人は羽ばたきながら一礼した。


「僕はジャヌビア・ウングベ、彼女は妹のルセフィです」


 その名を聞いたメトアナはかつて命をかけて自分たちを救ってくれた野の民の、彼らがその子どもたちであることを察した。


「そうですか。今、私がこうしていられるのもあなたたちのお父さまとお母さまのおかげです。なんとお礼を言ったらよいのか」


 メトアナは深く頭を下げた。ジャヌビアとルセフィはそんな彼女の前に羽ばたき出ると声を潜めながら耳打ちした。


「メトアナさん、ウルスラグナ姫の出立の儀はご存じですよね? そこでちょっとした騒ぎが起きます。僕たちはそれに乗じてあなたを村までお送りするつもりです。もちろん村ではオングリザ先生があなたをお待ちです」


 しかしメトアナが首を縦に振ることはなかった。それはウルスラグナ姫に仕える我が娘ネシーナの行く末を見守りたいがためだった。


「ウルスラグナ姫がいなくなったときのことを考えてみてください。娘さんが無事でいられるかどうかなんてまったくの未知数です」

「騒ぎなんてウソね。あなたたちは姫様の出立しゅったつの儀を……」


 メトアナは驚きと不安が入り混じった表情を見せたもののしかしその一方でジャヌビアの言葉に心動かされているようにも見えた。

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