第39話 酒と和解とエルフとニンフ

 夜の深まりとともに孝太が手にするのはコーヒーカップから今ではロックグラスへと変わっていた。よく冷えたドライジンはボタニカルなフレーバーと甘い口当たり、小さな妖精の身の上話を肴にしながら孝太はかなり強い酒をちびりちびりと味わっていた。

 その香りに惹かれてルセフィもグラスの中身を味見しようとしたが「子どもが飲むものじゃねぇ」と言って孝太はそれを制した。こちらの世界で換算したならば百年を超える時を生きているウルスラグナとルセフィであるが元の世界では十六だか十八だかの二人である、酒はまだ早いと言いながら孝太はジンのボトルを早々に片付けてしまうのだった。


「それにしてもルセフィの両親がそんなことになってたとはなぁ。そりゃ水の国への恨みがあるのは理解できなくもねぇが……」


 強い酒のおかげで孝太の顔はほんのりと紅潮していた。ウルスラグナは相変わらず押し黙ったままだったがその顔から仏頂面はすっかり消えていた。そんな二人を前にしてルセフィは淡々と話を続けた。


「全部、全部、昔の話ですぅ。だってルセフィはお父さまの顔もお母さまの顔も知らないし。それにずっとずっと村のみんなに育てられてきたから全然さみしくもなかったし」

「それにしてもドライ過ぎないか? だって親が殺されたわけだろ」

「でもでも、その原因は露天でのいざこざだったし、そのおかげでネシーナが召し上げられちゃったんだから、悪いのはこっち。だからその責任を負ったのですぅ」

「だけどさぁ……」


 どうにも釈然としない顔の孝太とは裏腹にウルスラグナもまたルセフィと同じく過去は過去として考えていた。そして小さな妖精を真摯に見つめながらつぶやいた。


「責任を果たしたのだ。立派なご両親だったな」


 今のウルスラグナの顔からはこれまでのような敵愾心は消えていた。孝太もそれに気付いていたがせっかくのこの雰囲気をまたもや余計な一言で蒸し返されぬよう、あえてそれには触れぬようにしてルセフィに話を続けるよう促した。


「ではでは、話の続きです。オングリザ先生は村に着いてからしばらくは気の毒なくらいに落ち込んでたそうです。でも村のみんなは余計な気遣いなんてしないで時が解決してくれるのを待ってたんですって」


 抜け殻のようになっていたリオベル・オングリザは村人たちから身の回りの世話をしてもらいながら徐々に元気を取り戻していった。やがて村人たちが種族の壁を超えて加護と祝福を使いこなしているのを目にするようになる。火の民の加護である火球を地の民が使っているのだ。それは火の民よりも弱いものであるが、かまどに火をくべるには十分だった。

 リオベルは目覚める。これこそが自分が求めていたもの、目指していた研究の成果なのだ。そして試行錯誤の末、ついに水の民である自分自身も火の民と風の民の加護を弱いながらも実現できるようになるのだった。


「だからぁ、祝福の子のウルシャだったらもっとすごいことができると思うし」

「うるさい、今はその気になれん」

「あ――っ、今は、って言ったっしょ。ってことはいつかは試すってことでしょ」

「黙れ、無駄口はいいから話を続けろ。まだ肝心なところが聞けていないではないか」

「はいは――い、それでは続けま――す」


 ルセフィはすっかり冷めてしまったコーヒーで口を潤すとウルスラグナの事件にまつわる話を始めた。


「そもそもはアイツ、あの光の民ディグスズルが諸悪の根源だったし」

「光の民ってのは、その、ロルカムなんとかって青年か?」


 聞き慣れない異世界人の名前の断片を口にする孝太にルセフィはにこやかに相槌を打ちながら続けた。


「そうです、ロルカム・エパデールですぅ。アイツ、光の国から水の国に交換留学してたなんて真っ赤なウソだったの。留学生のフリをして水の国に取り入って誘導とか煽動とかするのが使命だったみたい」

「確かに父上は頭を抱えていた。名誉市民にした途端に彼の改革は先鋭化していったと。守旧派の連中がかなり浮足立っていたらしい」


 今やすっかりルセフィと普通に会話するようになったウルスラグナに混じって孝太も話に加わる。


「ってことはウルス、おまえもそのロルカムってヤツに会ったことがあるのか?」

「いや、会ったことはない。その頃の私は士官学校で学んでいたし、政治は父上と兄上の仕事、私が口を出すべきことではなかったのだ」

「アイツ、村のみんなを焚き付けて水の国マーヤイムタリアに奇襲をかけたし」

「しかし貴様も我が国に忍び込んでは怪しげなことをしていたではないか。私はまだ見習いだったとは言え衛兵とともに貴様らの征伐に出たことがあるぞ」

「あのときは仕方なかったんですぅ、なにしろ村を人質に取られてたようなもんだったし」

「おいおい、穏やかじゃねぇな。とにかく順を追って話してくれよ」


 ルセフィは神妙な顔で腕組みをしながら話し始めた。


「アイツが村の生活に慣れるのに時間はかからなかったの。長老との謁見が済んだら翌日には小さな家が用意されてたし、土の民や石の民が身の回りの面倒を見てくれたし。それでオングリザ先生のところに入り浸っては持論やら講釈やらの毎日、ほんと、先生もよくあんなヤツに付き合ってたもんだって思うし、うん」


 そしてロルカム・エパデールがリオベル・オングリザからの指南を受けながら水、火、風の加護を使えるようになるのにそう時間はかからなかった。それまでは半信半疑だった光の民の加護である転移と以心も問題なく使えることがわかった。そう、今では彼は神の存在などなくとも自由に能力カリビエを使いこなせるようになっていたのだった。

 やがてロルカムは姿が見えなくなることが多くなっていく。そんなある日、畑仕事に向かう土の民が森の外で空を見上げるロルカムの姿をよく見かけるようになったと言う。それは水源を見回るルセフィの兄、ジャヌビアも同じ、村に帰る途中でロルカムが空を見上げて念じる様子を目撃していた。


「お兄ちゃんも気にはしていたけどしばらく様子を見るとか言ってた。でも、やっぱりあのときに止めておくべきだったっしょ。アイツ、光の加護で光の国ディグシムタリアの連中に村のことを知らせてたの」

「それってさっき出てきた以心の加護とか言うやつか?」

「ですです、光の民ディグスズルが使う卑怯でずるい能力ですぅ」


 ルセフィは村でのこと、特にロルカム・エパデールとのことを思い出してはその顔を曇らせた。


「ご主人様ぁ、お願いです。その飲みものを一口だけルセフィにください」

「一口だけって、これは酒だそ、四十三度もあるんだ。それにおまえはまだ子どもだろうが」

「すごくいい香りですぅ、それが気になってルセフィは集中して話ができません」

「ざけんな、ダメなものはダメだ」

「ぶぅ――、ご主人様の意地悪ぅ」


 ごねるルセフィにウルスラグナが助け舟を出した。まさかの一言に孝太も唖然とする。


「コータ、一口でいいから味見させてやってくれ。そうすれば口もなめらかになるだろう」

「しかし……」

「我らがこの世界の酒なるものを飲んだからと言ってどうにかなるわけでもないみたいだ。前に冷蔵庫にあったビールなるものを飲んでみたが何も起こらなかった」

「ちょっと待て、ウルス、おまえビール飲んだのか……ああ、そういえば一本足りないことがあったけど、そうか犯人はお前だったのか」

「そういうわけだ。コータ、ほんの少しでいい、こいつにくれてやってくれないか」

「おい、ウルス、その前にごめんなさいはどうした。まったく黙って酒まで飲みやがって、この不良エルフが」


 ウルスラグナはすぐさまその場で孝太に頭を下げた。しかしそれは勝手にビールを飲んだことにではなく、ルセフィにジンを飲ませるためだった。


「ったく強情なヤツだ。わかった、わかった、ただし一口だけだからな」


 孝太はルセフィにコーヒーカップ代わりに出していたミルクピッチャーを洗うとそこによく冷えたジンを注いだ。それは人間にとっては小さじ一杯ほどの量だったが小さな妖精はそれで大満足だった。


「おいしくて甘くて、それにとてもいい香り。これは何の匂いだろう。もしかするとルセフィの矢を作るのに役立つかもです」

「そうか、そうか、そりゃよかった」


 孝太は呆れたため息とともに二杯目のジンをグラスに注ぐ。ウルスラグナには三杯目のコーヒーを、そして口もなめらかにルセフィの話はそれから村に起きた顛末へと及ぶのだった。

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