第37話 スラオシャの市場にて

 二つの月が重なる日、僅かにずれた周期で公転する二つの月を持つこの世界ではそれらが一つに重なる日を合体を意味する言葉であるBiresiutoruzuビレシュトルズと呼び特別な日と定めていた。

 異世界語イースラーで最初の日を意味するUrunukuruzuウルヌクルズと呼ばれるその日を以って暦の区切りとし、神事や催事のみならず政治的な決定もこの日に下されるのだ。そして最初の日ウルヌクルズを中心とした前後三日の六日間は祭事節、異世界語で言うところのZiabarahdoジャバラードの間は特別な賑わいを見せる。祭事節ジャバラードの期間だけは国境の往来も制限が緩和されるため、通行手形を持った隊商のみならず遠路遥々商売にやって来る異種族の民やひと稼ぎを目論む旅芸人らでまさに文字通りのお祭り騒ぎとなるのだった。



「おとうさま、おかあさま、早く、早く!」


 この日のために仕立て直したワンピースと頭を覆うスカーフに身を包んだネシーナが色とりどりに飾られた露店に駆け寄る。スカーフの裾と額にかかる髪は緋色、それは母メトアナが自分の髪から作らせたカムフラージュ用のウィッグだった。


「ネシーナ、走ってはダメよ。転んだら大変なんだから」


 ケガもさることながら誤ってウィッグを落として彼女本来の黒髪が見えようものなら厄介なことになる。しかしこの日は異種族の出店もある。彼らの中には土の民や石の民のように黒髪の種族もいる。それならば万一のことがあったとしても娘の髪色が目立つことはないだろう。リオベルとメトアナはそう考えて久しぶりにネシーナを市場に連れ出したのだった。



 水の国では神事と政治は王宮がある城内で執り行われ、経済活動は城外に点在する市場を拠点としていた。かつては隊商宿を囲むように街道筋のあちらこちらに点在していた市場だったが、現ハルワタート王の治世からそれらは整備、集約されて、今では認可された常設市場のみで統制された交易が行われていた。

 やがて王は城門の近くに催事広場を整備する。そしてそこに自分の妻であるスラオシャの名をつけて経済の拠点に定めた。

 こうして完成したスラオシャ広場の周囲にはそこに集まる人々を目当てにした露店が徐々に増え始める。やがてそれらは常設の店となり、今では「スラオシャの市場」としてこの国における交易の中心となっていた。


 その年の祭事節は例年以上の賑わいを見せていた。特に最終日である今日の人出は尋常ではなく昼を過ぎたころには広場は群衆で埋めつくされていた。

 その理由は明白だった。三回目の祝福を受けた王族の娘、祝福の子と呼ばれるウルスラグナのお披露目がこの広場で催されるのだ。その姿をひと目見ようと国中の民のみならず異種族の民までもが広場に集まって来たのだった。


 祝福の子を一目見たいのは山々だったが歩く隙もない人だかりである。そんな中で前が見えないとぐずるであろうネシーナを肩車してその場に立つのはあまりにも危険である。残念ではあるがオングリザ家の三人は催事を前にすっかり人が引いてしまっている露店巡りをして過ごすことにした。

 石の民が広げる露店には精緻な銀細工が並び、風の民は値が張りそうな艶のある軽い布地を掲げている。その隣、土の民の店では石臼で挽いた粉にハチミツを塗った焼きたての薄焼きが食欲を誘う香りを漂わせていた。

 ウルスラグナ姫のお披露目が終われば広場に集まった民はみな一斉に市場に流れ込んでくるだろう、最後のかき入れ時を逃すまいとそれぞれの店ではこの日のために用意していたとっておきの品を並べ始めていた。


「おい、お前ら少しは場をわきまえろよ!」

「そうだそうだ、新参者が!」

野の民メイダンズルに店を出す資格なんざねぇんだ、姫様がお越しになる前にさっさと片付けやがれ!」


 静かだった市場に突然響き渡る怒声、リオベルとメトアナはネシーナを護るようにして様子をうかがう。するとそこではこの国ではお目にかかれない貴重な品々を並べた隊商の出店とそれに並ぶ小さな屋台とが口論していた。


「待ってください、私たちは水の国マーヤイムタリアの許可を得てここに店を出してるんです」

「そうです。それに出店場所は公平に決められたではないですか」


 気の荒い隊商の連中に向かって冷静な受け答えをしているのは羽のある小さな妖精、野の民だった。

 あの二人は夫婦だろうか、そんな彼らに付き添うように立っている翼のある青年は風の民だ。異種族による出店、それも一方は野の民である。彼らは南の果てにあると言われる伝説の村の連中に違いない。まさかこんな場所でお目にかかれるとは。リオベルは興味津々で彼らのやり取りを眺めていた。


 脅しに屈することなく理詰めで対抗する野の民が荒くれ者たちの怒りに火をつけてしまったようだ。


「そもそもオレらは毎回二区画で商売してきたんだ。それが姫様お披露目って大事な日に限って野の民メイダンズルごときに半分持ってかれるなんざ納得行かねぇぜ」

「どうでもいいけどお前ら、大したもん並べてねぇだろ。得体の知れない蜜だとか干した花だとか、まるでゴミ屑じゃねえか」

「だからさ、全部とは言わねぇ、その場所を半分寄越せって言ってんだ。お前らにとっちゃ半分でも十分だろうが」


 しかし野の民は一歩も引くことはなく隣り合った彼らは互いに睨み合いの膠着状態に陥っていた。

 まさに一触即発、このままでは争いになる。リオベルは警備兵に知らせようと周囲を見渡すものの、みなウルスラグナ姫がお出ましになる広場周辺に配置されており、一番近くにいるのは少し離れた場所からこちらの様子をうかがっているらしき三人の兵士だけだった。


「どうも雰囲気がよくないようだ。メトアナ、ネシーナを連れてここから離れよう」


 リオベルがそう耳打ちしたときだった。羽をはばたかせて浮いている野の民を初めて目にしたネシーナが興味津々の面持ちで二人の間をすり抜けてしまった。


「わ――、野の民さんだぁ――」


 慌てて声を上げるメトアナとリオベル。


「ネシーナ、いけません!」

「ネシーナ、止まれ、止まるんだ!」


 娘を制しようと腕を伸ばしてリオベルが掴んだのはネシーナが巻いたスカーフだった。

 生成り木綿の薄布だけがリオベルの手に残る。

 野の民の店のすぐ前まで駆け寄るネシーナ。

 あかい髪がふわりと風になびく。

 そのさまに気を取られた野の民の二人の隙をついて隊商の一人が彼らのテーブルを押しやった。

 それは少し位置をずらそうとしただけだったのかも知れない。しかしテーブルは崩れ落ちてそこに並んだ商品も全てが地面に散乱してしまった。


「何をするんだ!」

「ひどいじゃないですか!」


 抗議する野の民二人を尻目に、もう取り返しがつかないと開き直った隊商の青年たちが野の民の商品を足蹴にしては踏みにじる。


「ダメ――、お花が、かわいそう」


 声を上げて地に落ちた干し花を拾おうとするネシーナだったが、いきなり現れた幼子を隊商の一人が「邪魔だ!」と声を荒げて突き飛ばした。


「痛ぁ――い」


 思わず尻餅をつくネシーナ。それを助けようとすぐさま駆け寄って彼女を抱きかかえながらこちらに飛んで来たのは風の民の青年だった。しかし彼がネシーナを抱き上げたそのとき、着けていたウィッグが脱げ落ちて黒い髪が現れてしまった。


「ネシーナ! いけない、早くこれで」


 慌てて手に残っていたスカーフを娘の頭にかぶせるリオベルと娘を庇うように抱きかかえるメトアナだったが、怯えたネシーナはその場で声を上げて泣きじゃくるばかりだった。

 突然の無法な狼藉、それに幼い子にまで手を出すとは。その傍若無人さにこれまでおとなしかった野の民も怒り心頭に達する。露天の片隅に隠していた弓矢を手にすると金色の矢を構えて隊商たちの足元に威嚇射撃した。

 小さな爆発音と立ちのぼる土煙、まさかの反撃に隊商の青年たちは狼狽する。その音を合図にオングリザ夫婦の隣で為す術なく呆然としていた風の民の青年も母娘おやこを護らんと身構えた。


 姫のお披露目式を目前に控えての騒乱に、何事かと衛兵たちがバラバラと駆けつける。喧嘩両成敗、彼らは両方の出店を差し押さえようと鎮圧用の槍を構えた。そこに先ほどまで遠目でこちらをうかがっていた三人の衛兵が少し遅れて駆け寄って来た。


「オングリザさん、今度は言い訳できませんよ」


 リオベルはその兵士の顔を覚えていた。退廃街区ゾバレットを出たところで声をかけてきた警備兵だ。彼は上官からの命令でリオベルの行動をずっと見張っていたのだった。

 兵士は足元で泣いているネシーナに目を留める。そしてゆっくりとしゃがみこむと頭のスカーフをめくり上げた。


「黒髪……それに黒い瞳……オングリザさん、この娘はあなたの……?」


 リオベルは苦渋に満ちた顔でゆっくりと頷いた。


「いかにも、私の娘、ネシーナだ」

「あなた……」


 あきらめにも似たか弱い声でそうつぶやくと、メトアナは我が娘を離すまいと強く抱きしめた。しかし兵士は小さなため息とともに一緒にリオベルを監視していた他の二人に応援の指示を出す。


「リオベルさん、奥さん、規則ですのでご理解ください」


 すぐに彼らを囲む数名の兵士、より大きな声で泣き叫ぶネシーナ。


「おとうさま――、おかあさま――、いやだ、いやだぁ――」


 騒乱が静まった市場の片隅で、火が付いたように泣き叫ぶ女の子の声だけが響き渡っていた。

 力無くうなだれるオングリザ夫婦、悪びれもせず吐き捨てるように「劣等種カリテスネムか」とつぶやく隊商の青年たち、責任を感じているのか震える拳を握りしめる野の民の二人と風の民の青年、そしてすべてが去った後には土にまみれたあかい髪のウィッグだけがそこに残されていた。

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