第35話 加護と祝福と願望と能力と

「ロルカム君、残念だが君の期待に応えることはできない」

「なぜですか。今こうしている間もあの人は困窮に苦しんでいるんです。とにかく一刻も早く救い出したい。そしてメトアナさんと先生はこの村で幸せに暮らすべきなんです」


 ロルカム・エパデールはオングリザ先生の説得を試みた。しかし先生が首を縦に振ることはなかった。彼が力説すればするほど先生の顔は悲しみに満ちてゆき、ついには小さな声でぼそりとつぶやいた。


「妻だけではダメなんだ……」


 先生はそのつぶやきに続いて諦めたような笑みを浮かべて言った。


「娘がいるんだ。あの子を残しておくわけにはいかない。妻が今でもあの国に残っているのは娘の行く末を見届けたいがためなんだ」

「それならば娘さんもいっしょに……」


 先生は彼の言葉を遮るように続けた。


「娘は王族に召し上げられているよ。君もあの国の要職に就いていたんだ、拝謁したことがあるのではないかなお姫様に。その姫がえらくかわいがっている侍女のことはを君も知っているだろう、奴隷上がりの娘を」

「先生、そのお姫様ってウルスラグナ様ですよね?」


 先生は黙って頷く。


「ウルシャ姫の侍女と言えば、確かネシーナと言ったか」

「そうだ、そのネシーナこそ私の娘だ。お姫様のご乱心か、はたまた気まぐれか、とにかく一介の奴隷にとっては大抜擢だ」

「娘さんがおられることはメトアナさんから聞きました。まさか王族に仕えていたなんて」

「わかってくれたかな? 妻は命ある限り娘を見守り続けるだろうし、ましてや自分だけ国を出ることを良しとはしないだろう。それにあの子もあの子なりに今が幸せであると信じたいんだ、妻も私もね」


 言葉を失った青年を前にしてオングリザ先生はこちらを見守っていた野の民、ジャヌビアに目配せをする。するとそれを察したジャヌビアが二人の間に割って入った。


「ロルカムさん、気分転換に少し散歩をしませんか? まずはこの村を見て知って、お話はそれからでも遅くはないと思うんです」

「です、です、光の人、いっしょに行きましょう」


 妹のルセフィも彼の周囲で羽ばたきながら声を上げる。彼らから少し離れて様子をうかがっていた風の民、テネリア・ピクトーザも協力せんと申し出る。


「ここの後片付けは僕がやっておきますので心配は要りません、どうぞみなさんで散策してきてください。」

「いつもすまないね、テネリア君。それでは頼んだよ」

「はい先生、おまかせください」


 こうしてオングリザ先生と野の民の兄妹きょうだい、そしてロルカム・エパデールの四人は診療所を後にした。



 それはのどかな風景だった。なだらかな起伏と風にそよぐ青草、遥か彼方にはこの地を囲むように森の木々が見える。そこはロルカム・エパデールの故郷である光の国の計画された都市とは異なる、とても心地よい空気に包まれていた。

 遠くの森に目を向けると時折数羽の鳥が飛び立つのが見えた。


「あれはカールグからすです。この村を囲んでいる森に棲んでます」


 まるで彼の心を見透かしたようにジャヌビアがそう言った。不意を突かれながらも絶妙なタイミングに感心しながらロルカムは小さな青年に問い返す。


「カールグって君たち野の民にとっては天敵ではないのか?」

「カールグ嫌い、大っ嫌い」

「こらルセフィ、そんなこと言ってはいけないよ。僕たちは彼らに守られてもいるんだから」


 カールグからすの存在に不満を言う妹ルセフィをたしなめながら兄のジャヌビアは続ける。


「彼らにはとても助けられているんです。とにかく見知らぬ者が近づこうものならやたらと騒ぎ出しますから。それが不穏な侵入者への対策にもなってます。だから村の人たちも彼らに餌を与えてるんです」

「そうそう、カールグのごはんは地の民の人たちがやってくれてるんだよ」

「なるほど、一種の共生か」

「そういうことです。だからここをカールグ村って呼んでる隊商もいます。妹は彼らの色と大きさと鳴き声が苦手で嫌ってるみたいですけど」


 やがて四人は街の中心を成す広場にやって来た。露店や市場で賑わうそこでは地の民が薄焼きの屋台を準備していた。石を積んだだけの簡単なかまどに薪を積んだ地の民の一人が両手を合わせるように構えると、そこに小さな火球が現れた。

 ロルカムは思わず立ち止まってその様子を凝視した。


「オングリザ先生、彼らは地の民ですよね。それがなぜ……」

「ん? それはあの火球のことかな?」

「そうです。あれは火の民の加護ではないですか」


 すると先生は不敵な笑みを浮かべながら右の手のひらを挙げて見せた。


「ロルカム君、これを見てごらん」


 先生の手の上には小さな水の珠があった。


「ではこれはどうかな?」


 続いて左手を上げると今度はそこに小さな火球が現れた。驚いて目を見張るロルカムと余裕の笑みを浮かべる先生、彼が左手を前に向かって伸ばすと風が巻き起こって火球は炎となって数歩先の草木を焦がす。即座に右手の水を放ってその火を消して見せた。


「せ、先生、今のは水の加護と火の加護、風の加護、それらをひとりで同時に使われたのですか?」

「これは加護でも祝福でもない、どの種族にも備わっている能力カビリエだよ。神がどうのこうのなんてのは方便に過ぎない。もちろん種族によって得手不得手はあるが、こうしたいと強く願えば叶えることが可能なんだ」


 この温厚で理知的な水の民からまさか神を否定するかの言葉が出るなんて。ロルカムはまたもや驚きを隠せなかった。しかしその瞳の奥には驚異ではなく興味に満ち溢れた輝きもあった。


「私の娘、あの子は持たぬ者ダシュタルニルだった。いや、劣等種カリテスネムと言った方が通りがよいかな? 妻メトアナは火の民、そして私は水の民だ。異種族間の子というのはね、どちらかの個性が強く現れるのだがネシーナはそうではなかった。娘は黒い髪で黒い瞳だ、その時点で絶望的だった。でも私は諦めなかった。そして実験と研究を重ねた結果、たどりついたのだ、加護と祝福に神は関係ないということに」


 突飛な理論に圧倒されてすっかり黙り込んでしまったロルカムに先生は諭すように言った。


「ロルカム君、どちらでもいい、好きな方の手を挙げてごらんなさい」


 ロルカムは右手を挙げる。


「今、私たちを取り巻くこの空間には様々な要素が見えないほどの微細な粒となって漂っているんだ。その中には水の粒子も含まれている。さあ、想像してみなさい、混沌の様子を。そしてそこから水の粒子だけを集めることをイメージするんだ」


 言われたとおりに気持ちを集中させてみるとロルカムの手の上にぼんやりとした球体が現れた。まさか光の民である自分に水の加護を使うことができるのか。そう思った瞬間、ぼやけた球は蒸発するように消えてしまった。


「ははは、さすが光の民は能力が高いな。何度か練習すれば君にもできるようになるさ。頑張れば『重たい水の破裂玉ボーマ』も使えるようになるかも知れないな」


 ロルカムはもう一度イメージしてみる。今度は気を散らすことなく水の粒子を集約させることができた。その様子を見た先生はまるで我が子を見るように嬉しそうな笑みを浮かべた。


「これが私の研究成果だ。願望を具現化する潜在能力、Aruzuhreアルズーレ Kabirieカビリエだよ。私はKabirieカビリエと呼んでいる。そしてこれが加護と祝福の正体さ」

「これはすごいことです、十分に評価されるべき業績です。ここまでのことができるのならばこの村の誰もが僕たち光の民の能力、転移の加護を使うこともできるのですか?」


 その問いに先生は首を横に振って答えた。


「さすがにそこまでは難しいようだ。転移の能力を持つものを補助することまではできるが転移自体は無理だ。それが種族の壁というものなのかも知れない。いろいろと試してみたのだが、この村で転移ができるのは元々それに近い能力を持っている風の民だけだよ」

「それは残念です。もし皆に転移する能力があったならば……」

「一気に水の国に攻め入ることができると考えているのかな?」


 オングリザ先生はロルカムの考えを見透かしたように続けた。


「この村はね、このままでいいんだ。そりゃ中には自分を放逐した国に一矢報いてやりたいと考える者もいるかも知れない。しかし私怨で村人を動かすことはできないし長老がそれを許すこともない」


 光の民は理知的な民であるがその反面プライドが高くすべての事物に対して冷笑的でもある、オングリザ先生は彼ら種族にそんなイメージを抱いていた。しかし今彼の目の前にいる光の民は「らしからぬ熱さ」を持つ青年だった。

 なるほど、この熱意は諸刃の剣だ。保守的な環境においては出る杭は打たれる結果になりかねない。そして実際にこの青年はそうなったのだ。

 彼に持論を披露したのは時期尚早だったか、いや、しかし遅かれ早かれ彼は気づいただろう。こうなったならばせめて彼が暴走することが無きようしばらくは注視しておくのがよいだろう。

 オングリザ先生は露店を行き交う民を興味深く見つめるロルカム・エパデールの姿に、娘のために一心不乱に研究に没頭していた過去の自分を重ねるのだった。

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