第31話 小さな妖精の夜話

 ウルスラグナもルセフィも、揃って彼女らの世界で着ていたであろう白いコットンのチュニックワンピース姿で向かい合っていた。ウルスラグナは床に胡坐をかき、本来の小さな姿に戻ったルセフィは気後れしまいとテーブルの上に仁王立ちしてウルスラグナを睨みつけていた。

 やがてリビングが甘い香りに包まれる。孝太が三人での平和的対話をしようと考えてコーヒーを淹れているのだ。初めて体験する香りにルセフィがウルスラグナに問いかける。


「とてもいい匂い、これは何? ルセフィ、すっごく気になる」

「そのうちわかる、おとなしく待っていろ」

「ぶぅ――、ウルシャってマジ意地悪だしぃ」

「フン、貴様となごむつもりはない」


 そんな二人の間を割るように孝太がカップを載せたトレイとともにやって来た。ウルスラグナと孝太はいつものカップで、小さな身体からだのルセフィには白い陶製のミルクピッチャーをカップ代わりにして三人分のコーヒーを並べる。

 ルセフィはテーブルの上でひざまづくと、出されたそれを恐る恐る覗き込んだ。


「ご、ご主人様ぁ、こ、この黒いのって飲めるんですか?」


 孝太はウルスラグナが初めてコーヒーを前にしたときのことを思い出して、思わず笑ってしまった。


「見たかウルス。異世界人はみんな同じリアクションするんだな」


 いっしょにするなと言わんばかりの顔で憮然とカップを口にするウルスラグナ、それに負けじとルセフィもカップ代わりのミルクピッチャーを口に寄せると甘い香りが小さな顔を包み込んだ。ルセフィは一瞬のためらいを見せたものの、意を決してそれを口にした。


「おいしい! おいしいです、ご主人様。それになんだか元気が出てきました。ルセフィはこの……その……」

「コーヒーだ」


 口ごもるルセフィに助け舟を出したのはウルラグナだった。コーヒーのおかげで心がほぐれたのだろうか、その様子に孝太はひとまず胸を撫でおろした。


「ご主人様ぁ、ルセフィ、コーヒーが好きになりましたぁ」


 この小さな妖精もニコニコしながら小さなピッチャーのコーヒーをすっかり飲み干してしまった。



 閉じたブラインドの向こうに真夜中の新宿御苑を飛び交うカラスの鳴き声が遠く聞こえた。


カラスカールグは嫌い。あいつら大っ嫌い」


 そう言って少しだけ肩をすくめるルセフィをウルスラグナはテーブルに両肘をついて睨みつける。すぐさま警戒して身構える妖精だったが、ウルスラグナは不敵な笑みを見せながら続けた。


「案ずるな、ここで貴様と刃を交えるつもりはない、コータがそれを望んでないのだからな。その代わりに話してもらおうか、今しがた貴様が見せたまやかしのからくりと、今日これまでの経緯いきさつ、そのすべてを」


 するとルセフィはテーブルの上に立ち上がって両手を広げた。


「ではでは、ご主人様もウルシャも見てて、見てて」


 ルセフィが真剣な眼差しで右手を見つめると、そこに小さな水の珠が現れた。続いて左手に目を向けると、今度は小さな火球が浮かんだ。それを目にした孝太が慌てて声を上げる。


「お、おい、ここで火遊びは勘弁しろよ」

「大丈夫で――す、ほらこの通り」


 ルセフィが両手を合わせると水と炎は白いスチームとなって一瞬にして消えてしまった。


「こんなの、ルセフィだけじゃなくてお兄ちゃんも、ううん、ルスタルのみんなもできることだし。地の民トブラックズル風の民ワーユフズルも、とにかく村にはいろんな民がいるからやり方のコツを教えてもらえるし」

「コツだと?」


 その言葉にウルスラグナが即座に反応した。


「貴様ら野の民メイダンズルは異端の者、そんな連中に神が加護も祝福も与えてくださるはずがない!」


 それでもなお神への信仰にこだわるウルスラグナを前にしてルセフィの口調が見下す相手に見せる慇懃無礼な態度に変わる。


「ウルシャ姫、今ご覧になられた通りですわ。信ずる神を持たぬ異端の者、野の民メイダンズルが神の加護、それも水と火のどちらも使いましてよ」


 ルセフィに返す言葉が見つからないウルスラグナはジレンマに満ちた目で睨み返すばかりだった。


「それにここは未知の国デナムニル、神様なんていませんわ。それでも姫はこれまでに何度も能力カビリエをお使いになられましたわ。それはなぜですの?」

「そ、それは……ぐぬっ」

「ウルシャってすぐ顔に出るからとってもわかりやすいし、おもしろいしぃ」

「ルセフィ、これ以上ウルスを煽るんじゃねぇ。それよりも話を続けろ」


 孝太は今にも掴みかからんとするウルスラグナを片手で制しながらルセフィを叱責する。


"Rulufenルルフェン nahzasナーザス, Kohtabaimコータバイム."

(ごめんなさい、ご主人様)


 肩をすくめながら異世界語イースラーでそう言うとルセフィは気を取り直して話を続けた。


「これこそがオングリザ先生が続けてきた研究の成果だし」


 その一言にウルスラグナがこれまでにないほどの過剰とも言わんばかりの反応を示した、それは孝太も驚くほどに。


「答えろ、なぜ貴様がその名を知っているのだ! 事と次第によってはやはり貴様を討たねばならん」

「おいウルス、いきなりどうした」

「オングリザ先生は村一番の物知りですぅ。それに先生はみんなのケガとか病気とかも治してくれるし」

「なあルセフィ、今のそのオンなんとかってのはウルスと関係でもあるのか?」

「オングリザ先生はウルシャもよく知っているネシーナのお父様だし」

「嘘をつくな。ネシーナには両親はいないと聞いているぞ、私は」


 ルセフィの言葉にヒートアップするウルスラグナを抑えんと孝太はあえて彼女に話題を投げかけた。


「なあウルス。そのネシーナってのは侍女で親友だって前に話してた娘だよな」

「その通りだ。ネシーナは『持たぬ者ダシュタルニル』、だから奴隷として召し上げられた。しかしそんなことは関係ない、ネシーナは私にとってかけがえのない友だ。それは今も同じだ」

「奴隷は奴隷でしょ。徴用された時点で親なんてなくなったも同然、生きていようがいまいが同じこと。それがあの国のやり方、そんなことも知らないなんて、ほんっとに王族ったら陳腐でおめでたい連中でしょ」


 またもや繰り出される挑発的な言葉に今にも噛みつきそうな目を向けるウルスラグナの気を逸らそうと孝太はルセフィに話の先を促す。


「それでルセフィ、ウルスの侍女とおまえたちがどうつながるんだよ」


 ルセフィは孝太のその問いにすぐには答えずに話を続けた。


「先生はネシーナのことをずっと信じてた。娘は劣等種カリテスネムなんかじゃない、いつかは神の加護と祝福が発現するはずだ、って」

劣等種カリテスネム? おまえ、前にもそれ言ってたよな……そうだ、あのマンションでだ。よりにもよってオレたちのことをそう呼んでたろ」

「だって、この世界の民は無力だしぃ……」

「とりあえずその話はいいとして、それでその娘さん、ネシーナにウルスみたいな能力は現れなかったってことか」


 孝太の問いにルセフィは悲しい表情を浮かべながら首を横に振った。


「お父様は金の髪の水の民マーヤズル、お母さまはあかい髪の火の民アテッシュズル、なのにネシーナの髪は黒かったし。髪だけでなく瞳の色もね」

「なるほど、彼女は親の形質を受け継いでねぇから加護も祝福も得られなかったってわけか」

「でもでも、それならウルシャは水の民マーヤズルなのにその髪の色も肌の色も違うし。なのに加護も祝福も誰よりも強いし。だから能力カリビエと見た目は関係ないはずだ、って先生は言ってたし」


 ルセフィの言葉にウルスラグナがまたもや過剰に反応する。


「違う! 加護も祝福もすべては神から授かるものだ、カリビエなんてわけのわからないものではない!」

「だってオングリザ先生がそう名付けたんだもん、Aruzuhreアルズーレ Kabirieカビリエって」

「ちょっと待て、そのアルだかカリなんとかってのがウルスも使う加護と祝福の正体ってわけか?」

「先生は突き止めたし、あれはみんなの心の中にある力なんだ、って。詠唱なんていらない、強く思えばそれだけでいいんだ、って」

「確かに詠唱ってのは心構えを口に出す、みたいなもんだしな」

「それは願望アルズーレを形にする能力カリビエ、だからAruzuhreアルズーレ Kabirieカビリエ、でも先生はそれを縮めてKabirieカビリエだ、って」

「それでおまえは野の民なのに水と火のが使えた、それも詠唱なしにってわけか……ってことは、そのカリビエってのはやっぱ超能力みたいなもんなわけだ」

「律くんは潜在能力って言ってました。こっちの言葉ではそれが一番近いって。でもルセフィはもっともっと練習しないとですぅ。ウルシャお得意のあのすごい破裂玉ボーマーは無理無理ですぅ」

「なるほど、それが種族による潜在能力の差ってやつなんだな。その上ウルスは祝福の子だから人一倍その能力が高いわけだ。うん、少しだけ解ってきた気がするぜ」

「コータまで野の民メイダンズル戯言たわごとを信じるのか」

「そんなんじゃねぇよ、ウルス。とりあえず今のところルセフィの話はそれなりに筋が通ってると思っただけだ」

「だからウルシャもやってみればいいし。火の球くらいはすぐに出せると思うし」

「断る!」


 そう言ってウルスラグナは空になったカップを孝太に差し出した。彼はそこにコーヒーを注ぎながら話を続けた。


「とにかくルセフィにはまだいろいろな話がありそうだな」

「う――ん、でもオングリザ先生の話は長いし暗いし重たいし。ウルシャがこっちの世界、未知の国デナムニルに来ることになったいきさつもなんかモヤっとするし。もう面倒だから最初からお話するし」


 こうして小さな妖精の長い夜話が始まる。壁に掛かる時計の針は既に午前一時にならんとしていた。

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