第27話 夕暮れの大捜査線

 午後六時、閉園時間を迎えた大木戸門おおきどもんの前では相庵あいあん警部とその部下たち四人、それに孝太とウルスラグナが揃って社長が現れるのを今や遅しと待っていた。

 業を煮やした警部が腕時計の時刻を気にしながら足を鳴らす。


「おい便利屋、おまえ、さっきまで社長といっしょだったんだろ。まったく時間厳守は仕事の基本だろうに。まさかバックれたんじゃないだろうな」

「いえ、それはねぇっすよ。社長ったら、いいアイディアが浮かんだ、なんて言ってたし」

「ふ――ん、ならもう少しだけ待ってみるか」


 そのとき通りの向こうから社長が小走りで近づいてくるのが見えた。左手に長さ数十センチメートルほどの金属製の棒を持ったまま左右確認をするとこちら向かって走る速度を上げた。


「ハァ、ハァ、すんません警部さん、こいつを買いに行ったもんで、ハァ、ハァ」


 社長は息を切らしながら手にした棒を挙げて見せた。その一端に白く細かいネットが張られたそれは捕虫網だった。三段の伸縮タイプで、目いっぱいに延ばせばその長さは二メートルにも達する代物だった。


「おれはさっきのを見ててピンと来たんだよ。ああいうのを捕まえるにはこれが一番手っ取り早いってね」


 相庵警部は額に汗を浮かべる社長を見ながら不敵な笑みを浮かべるとその場の全員に向けて声を上げた。


「よし、揃ったな。念のためにもう一度確認だ。目標は身長二〇センチくらいの女の子、背中には羽が生えている。弓矢を使うらしいから見つけても迂闊に近寄るな、まずは俺に知らせるんだ。社長、おまえさんも網があるからって油断するなよ」


 警部の命令に従って部下の一人が大木戸門の窓口に声をかける。すると係員が出てきて小さな専用門を開けてメンバー全員を招き入れた。



 御苑の東に広がる西日に照らされたビル群のおかげでバラが咲き誇るフランス式庭園もほんのりと夕映え色に染まっていた。

 展示された花を傷つけないよう注意を払いながら植え込みの陰を覗き込む署員たち。捕虫網を手にして立つ社長の隣では警部と孝太が茂みの僅かな動きも見逃すまいと薄暗くなりゆく庭園を見つめていた。

 ウルスラグナは孝太や社長とは少し離れた位置に立って、ルセフィの微かな羽音も聞き逃すまいと耳をそばだてていた。するとそのとき部下の一人が探索の手を止めて警部の下に駆け寄った。署員は背筋を伸ばして敬礼すると園内のバラを指差しながら説明を始めた。


「警部、対象は花の蜜を求めてると聞きましたが、自分が知るところによるとバラの花には蜜はありません」

「そりゃ本当か?」

「はい。自分の親がバラを育ててまして、その親から聞きましたから間違いないと思います」

「なるほどな。ならばこの季節で蜜が吸えそうな花はわかるか?」

「そうですねぇ……もう少し後ならばサルビアなんですが、今の時期ですと少し遅いですがツツジやサツキだと思います」


 署員の口から出た言葉に社長が即座に反応した。


「それならツツジ山か、あとは日本庭園にもツツジがありますよ」

「さて、どちらから回るか。できれば日が暮れないうちに済ませたいんだが……」


 これと言った答えが出ずに頭を抱える警部と社長だったが、その中でウルスラグナだけがやたらと周囲を気にしていた。どうやら園内を飛んでいるカラスが気になっているようだ。


「ウルス、おまえ、さっきからひとりで何をキョロキョロしてんだよ」

「この世界にもカラスカールグはいるのだな」

「ああ、ここいらじゃこの御苑から神宮の森まで連中が大繁殖してるよ。それでカラスがどうしたんだよ」

「あれは私の国ミーマリムタリアにもいた。それにあれは野の民にとって天敵みたいなものだ」

「ってことはカラスがいなさそうな場所を探せばいいってことか」

「それと……」

「なんだよ、他にもあるのかよ」

「この庭園は整いすぎている。これでは隠れる場所がない、カラスもいるしな」

「しかしカラスがいない場所なんてなぁ……」

「ならばせめて身を隠しやすい、できれば自然の野山を模したような場所はないだろうか」


 すると今度は社長が妙に高いテンションで二人の会話に入ってきた。


「あるよ、あるよ、うってつけの場所が」


 その一言で全員の視線が社長に集まる。警部も署員もウルスラグナまでもが次の言葉が出てくるのを待っていた。


「母と子の森だよ。あそこは自然観察するために作られてるんだ。それにあの森に向かう途中の日本庭園にもツツジがあったはずだよ」

「社長、いいひらめきだ。よしわかった、みんなちょっと集まってくれ」


 警部が集まるように声を上げると、まるで円陣を組むかのように八人が庭園の真ん中に集まった。そこで警部の号令、こうして全員がその場から日本庭園に向かうことになった。



 八人は広大な芝生広場を横切って最短コースで日本庭園にやって来た。そこで警部は孝太、社長それにウルスラグナの三人に森へ向かうよう指示した。


「捜索を開始してかれこれ三十分、野の民とやらも既に腹いっぱいになっていることは十分に考えられる。ならば庭園よりも森の方が怪しいだろう。だからお前ら三人は森に向かってくれ。ヤツと一戦交えることになったら対抗できるのはウルトラだけだし、それに社長が持ってるその網、案外役に立つかも知れんしな」


 警部は四人の部下の中から一人を選んで孝太たち三人に同行するよう命じる。


「お前たち、もしヤツを見つけたらすぐに連絡するんだ。無線機を持った者を一人同行させるから、頼んだぞ」



 日没前の黄昏時、新宿の街はライトアップやイルミネーションですっかり夜の景色になっていた。自然観察を目的とした雑木林に夜間照明は用意されていなかったが鬱蒼とした木々の合間から賑やかな街の明かりが見え隠れして、それにより方角を知ることはできた。この暗闇と彼方に煌めく都会の光、それはまるでこの御苑と人間界が結界で分断されているかのように思えた。

 いよいよ遊歩道から森の奥に足を踏み入れようとしたそのとき、一歩下がった位置を歩く無線機を持つ男が潜めた声で話しかけて来た。


「自分、ペンライト持ってます。使いますか?」

「それはありがたいことだが、ヤツに気付かれてはまずい。今はとにかく目を慣らすのだ。幸い僅かではあるが月明かりもあるし夜景の光も役に立つだろう」


 ウルスラグナは男の提案を丁寧に断ると目を凝らしながら一歩前に出る。


「私が前を歩こう、少しは夜目も利くしヤツが発する音や気配も私ならわかる。コータは私の後ろで案内を頼む」

「わかった。それじゃ社長と、えっと……」

「自分は小川です」

「オレは秋葉です。それでは小川さんと社長はオレの後ろに、社長はいつでも網を出せるようにお願いします」

「了解です」

「まかせろ、キバヤン」


 こうして四人は森の奥へ奥へと歩を進めた、倒木がある池を目指して。



 木々の隙間にわずかな月明かりが反射しているのが見えた。それと同時にウルスラグナが腕を伸ばして孝太が前に出ようするのを制止した。人差し指を口の前で立てて静かにしろと合図する。彼女の耳が微かな音も逃さんと敏感さを増していた。


「コータ、聞こえるか。歌だ、野の民が歌っているのだ」


 ウルスラグナ以外の三人も身を屈めて耳をそばだてる。すると微かだが透き通るような歌声が確かに聞こえた。



Samaumimサマウミム mahyaimdahdyマーヤイムダーディ.

私は踊る、水の上で


Xahndimimハーンディミム ahyimsiaydyアーイムシャイディ.

私は歌う、月の下で



 四人は足音を立てないように落ち葉を避けてなるべく土が露出している場所を選んで池に近づいた。

 低木の茂みの向こうに見えるそれは小さな水の流れをせき止めて池に見立てた、どちらかと言うと湿地帯の水たまりのようだった。微かな月明かりでブルーのモノトーンに染まった水辺に横たわる倒木の上にその少女はいた。少女は物憂げな表情で水面を見つめながら白く美しい羽を休めていた。

 少女は膝を抱えて佇んだまま歌い続ける。



Dulkulデュルクル ahyアーイ mihmaltosミーマルトス kohrumaコールマ.

二つの月は我らを護る


Dulkulデュルクル ahyアーイ mihmalyuksミーマルユクス xabdanハブダン.

二つの月は我らと眠る



「いや――こうして見るとほんとにアニメの世界みたいだなぁ」

「自分もです。これが現実のことなんて信じられません」


 いささか興奮気味に身を乗り出す社長と小川だったが、一方で孝太はこの状況に釈然としない何かを感じていた。


「なあウルス、やっぱバトルになんのか?」

「もちろんだコータ。あれは野の民だ、放っておいてはいかんのだ」

「でもそれはおまえの、いや水の民としての考えなんだろ。ここは異世界じゃねぇんだ、まずは話し合ってみてだな……」

「秋葉さん、あの対象はアイドル襲撃事件の関係者、重要参考人でもあるんです」

「しかし小川さん……」

「コータ、貴様は私よりあれを、あの野の民を信じると言うのか」


 孝太の説得も虚しくなおも食い下がるウルスラグナの肩を軽く叩きながら社長が二人の間を取り持つようにフォローした。


「キバヤンもウルスラグナちゃんもそんなに熱くならないでさ、とにかく今はあの娘を捕まえることを考えようよ。その後のことは警部さんに任せればいいんだよ」

「確かに社長の言う通りだ。ならば私がヤツを陽動しよう。私が出て行けばヤツは必ず攻撃して来る。私は戦うフリをしながらこちらに誘導する。社長はここで待機して頃合いを見計らって……」

「この網で捕まえちゃえばいいんだね」

「そうだ、頼んだぞ社長」


 そう言ってウルスラグナが池の向こう側に回り込もうとしたそのとき、社長が抑えた声を上げた。


「ちょっと待ってウルスラグナちゃん、まさかそのカッコで? それ作業着じゃないか」

「まずいのか、社長? 私にとってこれは仕事のようなものだが」

「そうじゃなくてさ、やっぱバトルだし、それも相手は異世界から来た妖精だろ。ならばこっちもそれなりのスタイルで臨むべきじゃないかな」

「うむ、なるほど社長の言う事にも一理ある」


 一理もなにも、こんなところで変身なんてしたらあの派手なパフォーマンスでここにいることがバレてしまうではないか。

 しかし孝太が呆れた顔で悪ノリしている社長に注意をしようとしたとき、すでにウルスラグナは胸のペンダントを握って異世界語イースラーをつぶやき始めていた。

 彼女の全身が淡い光を伴った細かい水の粒子に包まれる。そしてそれらがすっかり消えたとき、ウルスラグナは作業着から道場での道着姿になっていた。


「どうだ社長、これならば戦えるだろう」

「う――ん、ウルスラグナちゃん、せっかくなんだけど白帯はちょっと悲しいなぁ。道着はせめて黒帯になってからがいいんじゃないかな」

「ならばこれはどうだ」


 次に光と霧が消えたとき、ウルスラグナは戦うメイドを意識したデザインのビキニアーマー姿になっていた。その衣装はEQuAエクアが襲撃された日のイベントで身に着けていたものである。その姿を見た社長は一人でやたらと盛り上がっていた。


「いいね、いいね、これだよ、まさにこれ! それにしても似合うなぁ」

「ウルスラグナさん、写真撮らせてもらっていいですか」


 孝太のすぐ隣ではいつの間にか小川がスマホ片手にワクワクした顔でレンズを向けていた。その様子を見た孝太が慌てて止めに入る。


「お、小川さん、マジでやばいっすよ。フラッシュ焚いたらもろバレですって」


 そんな孝太の注意にバツが悪そうに照れ笑いする小川だった。一方、ウルスラグナは変身してはみたもののそのスタイルに納得していないようだった。

 三人の目の前で再び彼女を包む輝く水煙、それが消えたとき、ウルスラグナは裸同然の下着姿になっていた。スポーツブラにも似た白いトップスに同じく白のショーツは太めのウエストゴムがベルト代わりになったTバックタイプだった。


「やはりこれが一番しっくりと馴染む。コータ、私はこれで行くぞ」


 もう勝手にしろ。

 心の中でそうつぶやきながら孝太は木々の向こうに広がる水面に目を向ける。するとそこにはウルスラグナが発した光と七変化に盛り上がる社長たちの声でこちらの存在に気づいたのだろう、野の民ルセフィが威嚇するような眼差しでこちらに向けて弓を構えていたのだった。

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