第25話 人形の部屋

Pahranemパーラネム yineイーネ Dygusimディグシム guruhliaグルーリア.

(金の針は神の祝福)


Guhrunemグールネム yineイーネ Dygusimディグシム rahbiaラービア.

(銀の針は神の加護)



 ふんわりと柔らかいウェーブのかかった金色の髪に森の湖水の如き深い緑の瞳、純白の薄いチュニックワンピースに身を包んだ少女が透き通るような声で歌いながら長さ身の丈三分の一ほどの細い木の棒をまるで我が子のように愛でていた。

 足下に散らばる茶褐色の枯草と砕けた赤い土をひと掴み、それらを揉み込みながら鋭く尖った棒の先端に擦り付ける。するとそれは少女の歌声とともに浸み込むように消えていく。少女は異世界語イースラーの歌を口ずさみながらそれを何度も繰り返す。

 やがて満足したようにひと息つくと両手でその棒を掲げて見せた。


「さあ見てて、見てて。きっとうまくいくと思うし」


 少女は自分を見つめる大きな瞳に向かって微笑みかけると、念じるように軽く目を閉じる。すると手にした棒は眩い光に包まれ、その光が消えたとき、ただの木の棒は金色の矢に変化へんげしていた。

 見つめる瞳の主が少女に問いかける。


「なあ、それにはどんなステータスがあるんだ?」

「金色の矢は殲滅の矢、まずはこれがないとチョー心配。攻撃は最大の防御って言うし、撃つべし、撃つべし、でしょ」


 少女はガッツポーズとともに力強くそう言って輝く金の矢を腰に下げた矢筒に収めると、瞳の主に棒をもう一本寄こすように乞う。主は少女の望みに応えて目の前にあるソフトビニール製の筒の中から細い棒を二、三本つまみ取るとそれを少女の足元に置いた。

 少女が拾い上げたそれは爪楊枝、その足元に散らばる枯草は巻紙からほぐされたタバコの葉、砕けた赤い土はマッチ棒からこそげ落とした薬剤だった。そこは彼のPCデスクの上、彼の目の前に立つ少女は身の丈およそ二〇センチメートル、その姿はまるで小さな妖精だった。


「次はリツクンのために紫の矢を作ってあげるし。これは心の扉を開いてくれる解放の矢、なんでもできちゃう無敵の人になれるでしょ」


 そして小さな妖精は再び歌いながら鋭い爪楊枝の先端にひと掴みのタバコの葉を擦り込むのだった。



Tziamdaraxutdyチャムダラフトディ kohmakコーマク ruhimルーイム kiubasキューバス.

(草木に宿る精霊の力)


Xahmehtosハーメートス amehretomアメーレトム mihmalimミーマリム kiubasキューバス.

(すべてを統べる我らの力)



――*――



 孝太が立っているそこはレンガ調のタイルが重厚感を演出している高さ数メートルのアーチが特徴的な建物のエントランスだった。落ち着いた雰囲気の床に敷かれた臙脂えんじ色の絨毯が訪れた人をエレベーターへと導く。その途中にある受付では初老の管理人が温和な顔でやって来る人々を出迎えている。孝太に同行した社長は小走りでそこに駆け寄ると名刺を差し出して挨拶を交わした。

 最初は興味本位かと思っていたが、やはり社長に来てもらったのは正解だった。物怖じすることなく先を歩く社長の後を追いながら孝太とウルスラグナも受付の老人に小さく会釈した。


 問題の部屋は五階の東側にあった。ドアを開けて三人が立った玄関先は暗く、社長が手探りでブレーカーをオンにするとその小さな空間は柔らかな白熱色の光で包まれた。向こうに伸びる短い廊下の先、右手にキッチン、正面には孝太の部屋がすっぽり入ってしまうくらいの広いリビングダイニングがあり、カーテンが取り外された窓の外では四谷あたりのビル群が午後の日差しに照らされていた。


「社長、ここってマジで高級マンションっすねぇ」

「築年数はかなりのもんだけど造りがいいからヴィンテージマンションなんて言われてさ、未だに人気らしいよ。あの三人家族はバブル後の底値の時期に買ったらしいけど、今じゃ倍はするらしくて、息子があんな事件を起こしただろ、すぐに売っ払って田舎に引っ込むことにしたらしいんだ」

「それにしても広いリビングっすね」

「二十帖くらいだな。間取りは2LDK+Sだそうだ。どうだいキバヤン、この部屋でウルスラグナちゃんと二人なんてシャレオツじゃないか」

「よしてくださいよ、そんな金、どこにあるってんですか」


 三人はサービスルームからその隣の洋室へと見て回る。どの部屋もすっかり片付けられていて、浴室や水回りもクリーニングが済んでいた、ただ一部屋を除いては。

 リビングの左手に並ぶ二つのドアのうち、ベランダに近い方がEQuAエクアを襲った青年、柳沢やぎさわ律志りつしの部屋だった。躊躇している孝太と社長など意に介すことなくウルスラグナがドアノブに手を掛ける。しかしさすがの彼女も警戒はしているらしく内開きのドアをまずは細めに開けて様子を伺ってからその内部に足を踏み入れた。


「どうやら危険はなさそうだ。それにしても暗いな、カーテンを開けるぞ」


 東向きの部屋の午後、日光は射し込まないものの、五月の爽やかな青空と日差しの反射が眩しい周囲のビル群のおかげで部屋の中は十分に明るくなった。ウルスラグナの後から部屋に入った社長が照明のスイッチを入れると白色のLED照明が室内全体をより一層明るく照らした。

 窓の半分をつぶしてPCデスクが置かれている。おそらく鑑識が全てを回収したのだろう、デスクの上にはキーボードと液晶モニター、そしてそれを囲むように置かれた小さなフィギュアたちだけが残されていた。

 部屋の左手の壁にはEQuAの限定品タペストリーが、その向かいにはガラス張りのショーケースと本棚があり、それぞれに大量のフィギュアが飾られていた。

 本棚の一番目につくあたりに並んでいるのは十数体のEQuAのフィギュア、それらは孝太も見たことがあるステージコスチューム姿だったり、中にはマイクロビキニや煽情的なポーズの個体もあって、おそらくそれらのいくつかは非公式なものであろうことは容易に想像できた。


「それにしてもすげぇな、これ、EQuAに見せたらどんな顔すんだろう。いくつか持って帰ってみるかな……あれ?」


 ずらりと並んだEQuAたちを眺めながら独りつぶやいていた孝太の目が一体のフィギュアの前で止まる。それはウェーブが柔らかそうな金色の髪に緑の瞳を持つ、女児が遊ぶ着せ替え人形にも似た小さなものだった。ソフビや塩ビ製のフィギュアの中でその個体の髪質だけがやけにリアルで、きめの細かい白い肌に薄く軽そうな白いチュニックワンピース、細い腕で金色の弓矢を構えたポーズのその背には天使のような白い羽があった。

 孝太は部屋の中をウロウロと見回っている社長に声をかける。


「社長、見てくださいよこれ。なんか変わってると思いませんか」


 どれどれと言いながら寄ってくる社長が孝太と顔を並べて奇妙なフィギュアを観察する。


「確かにこいつだけがやたらとリアルな感じがするなぁ……あれ、キバヤン、ちょっと見てみ、これ」


 そのフィギュアが身に着けている装飾品、耳に着けたイヤリングに首から下げているペンダント、それに精緻な彫金が施された両の腕輪も、サイズこそ小さいが孝太にとって見覚えのあるデザインだった。


「なあキバヤン、このアクセサリーってウルスラグナちゃんが着けてるのにそっくりじゃないか?」

「ええ、確かに。お――い、ウルス、ちょっと見てくれよこのフィギュア」


 PCデスクの周辺を見て回っていたウルスラグナも孝太に呼ばれて書棚の前にやって来くると一緒になってそれを覗き込んだ。


"Meidanzulメイダンズル!"

(野の民!)


 そう叫ぶと同時にウルスラグナは孝太と社長の二人を突き飛ばして書棚に向かって身構えた。


「痛ってぇな、ウルス、なにすんだよ!」


 孝太が声をあげる間もなくウルスラグナは両手を胸の前で構える。瞬間、眩しい輝きとともに彼女の手には二丁の短剣が握られていた。


「二人とも下がれ、下がるのだ!」

「どうしたんだよ、いきなり……」

「説明は後だ」


 そのとき孝太は見た、あの小さな人形が構えていた弓矢をウルスラグナに向けるのを。


「まさか、あれって……」

「お、おい、キバヤン、あ、あの人形って、い、生きてんのか?」


 茫然とする二人の前でウルスラグナと小さな人形との戦闘バトルが始まった。

 人形は手にした矢を放つが、ウルスラグナはそれをあっさりと避けて見せる。外れた矢はウルスラグナの脇を抜けて向かいの壁に突き刺さる。するとそれは小さな破裂音とともに火柱を上げた。そこにはEQuAの限定タペストリー、薄布のスクリーンに炎が燃え広がる。


「やべぇ!」


 社長は異世界人たちのバトルなど見向きもせずに壁際に走り込むと作業着を脱いで慌てて火消しにかかる。それを見た孝太も一緒になって上着で炎を叩く。


「キバヤン、スプリンクラーが稼働しちまったら大損害だぞ」

「わかりました!」


 慌てる二人に気を取られたウルスラグナの隙を突いて小さな人形は羽をはばたかせて飛び立った。それは野の民メイダンズル、妖精にも似たその異世界人もまたウルスラグナが察した通りこちらの世界に飛ばされて来たのだった。

 妖精は頭上から二の矢、三の矢を放つがそれらは壁に突き刺さるだけの威力はあるものの実体はただの爪楊枝だった。


「社長、危ねぇ!」


 孝太が火消しに忙しい社長の腕を払うとその壁に爪楊枝が突き刺さる。

 野の民が放つ次の攻撃までに一瞬の隙を見て取ると、ウルスラグナは左手の短刀を振り上げてくすぶるタペストリー目がけて振り下ろす。するとその刃は高圧水流となって燃え上がる炎を洗い流した。


"Meidanzulメイダンズル, nihニー Lusefiルセフィ, tziemetomチェメトム dynimディニム arulamzasアルラムザス gehlinamunゲーリナムン!"

(野の民、いや、ルセフィ、貴様どうやってこの世界に来た!)


劣等種カリテスネムの言葉でよろしくってよ。こんな陳腐な言葉なんてとっくに覚えてしまいましたの」

「見下す相手に尊大な態度、ところ変わってもその性格は変わらぬものだな、ルセフィ」

「これはこれは名前を憶えてくださって光栄至極ですこと、水の国マーヤイムタリアのお姫様」

「相変わらず食えないヤツだ。ところで貴様がいるということはもう一人もいるはずだな。どこにいるのだ、隠れているのか?」


 ウルスラグナの言葉を聞いた小さな妖精の顔に一瞬の戸惑いが浮かんだ。そかしそれも束の間、妖精は腰に下げた矢筒から再び三本の矢を掴み取ると怒りに満ちた声とともにそれをウルスラグナに向けて放った。


"Giurunemギュールネム, giurunemギュールネム! Suhmasyohmスーマスヨーム, suhmasyohmスーマスヨーム!"

(うるさい、うるさい! 黙れ、黙れ!)


 残る一丁の短剣で向かい来る矢を払い除けながらウルスラグナはなおも妖精を挑発する。


「どうした、日本語を忘れるほど動揺したのか?」

「嫌い、嫌い、ウルシャ姫なんて大っ嫌い!」


 小さな妖精は怒りを露わにしながら空中でホバリングしたまま爪楊枝の矢を放ちながら瞬間移動のように現れては消えてウルラグナを翻弄する。耳障りな羽音を響かせながら宙に浮かぶその姿はまるでハチドリのようだった。

 やがて筒の中の矢は最後の一本となる。妖精はそこで攻撃を止めると悲しい表情を浮かべながらつぶやいた。


「会いたいのはにいさまなのに、よりにもよってウルシャ姫、まさかこの世界に飛ばされてたなんて……」


 妖精は最後に残された一本の矢を手にするとそれをウルスラグナに向けて構える。最後の一矢、それは金色の矢、殲滅の矢だった。妖精の顔が悲しみから不敵な笑みに変わる。


「名残り惜しゅうございますが、もうここには居られませんわ。それではみなさま、ごきげんよう!」


 妖精は空中で向きを変えるとその矢を窓ガラスに向けて放つ。すると小さな爆音とともにガラスの一部が割れて周囲に飛び散った。咄嗟に身を屈める三人、すぐさま頬に外気の流れを感じた彼らが顔を上げたとき、すでに妖精の姿はそこにはなかった。



 まさに嵐の後のごとく静まり返った部屋の中、すっかり荒らされたその様子を眺めながら孝太が吐き捨てるようにつぶやいた。


「なんなんだ、あの慇懃無礼な妖精は。その上余計な仕事まで増やしやがって、これじゃ野の民どころか迷惑の民だぜ」


 これからの後始末に辟易する孝太と社長、その隣ではウルスラグナが怒りと悔しさに満ちた眼差しで小さな妖精が飛び出して行った窓の外を見つめていた。

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