中学の修学旅行 飯田さんと、マヌケな猫の話


『わかった。21時くらいに行くよ』


 振動したスマホの通知画面には、短くそう書かれていた。

 送り主は『月島遥』。

 幼馴染で、好きな人だ。


 望月絢音はスマホを両手で持ったまま、脚をバタつかせてベッドをゴロゴロ転がった。

 ホテルのベッドは広い。

 シーツがくしゃくしゃになるのも構わずに、気持ちの悶えに身を任せる。


 中学三年の修学旅行は京都だった。

 寺社仏閣をめぐり、班別の自由行動の後、夕食を摂ってホテルに着いた。

 男女別の二人部屋に割り振られ、今は夜の自由時間中である。


 遥に渡すためのプレゼントは、カバンの中に忍ばせてあった。

 あまりあからさまにならないように、少し高級なシャープペンシルを選んだ。

 銘入れもしてもらい、自分ではわりと、良いと思っている。


 プレゼントといっても、なにも誕生日だとか、めでたいことがあったとか、そういうわけではない。

 ただ、遥に意識して欲しくて、絢音はそれを贈ることを決めたのである。


『ちょっと用があるから、後でホテルのホールに来て欲しいんだけど』


 そのメッセージへの返事を、絢音はさっきまでビクビクしながら待っていた。

 しかし、よかった。

 嬉しくて仕方ない。

 それにもしかすると、修学旅行の夜というのもあって、なにか嬉しい出来事が起こってしまったりするかもしれない。

 淡い期待を寄せながら、絢音はベッドを転がり続けた。


「……なにしてんの、絢音」

「へ? きゃあ!! な、なによ! 戻ってきたなら言いなさいよ!」

「言ったよ。でもごろごろして聞こえてないみたいだったから」

「うっ……」

「なに? ニヤニヤして。また月島くん?」

「う、うるさいわね! 違うもん!」

「へぇ、違うんだ。そういえば月島くん、さっき3組の飯田さんと二人でいたよ」

「えっ!! どこに!? なにしてたの!?」

「あ、でも絢音は、月島くんに興味ないんだっけ。ごめんごめん、つまらない話しちゃって。じゃあ、私はちょっと売店行ってくるから」

華澄かすみぃ! ごめん! 嘘だから! 遥絡みだから! 飯田さんとなにしてたの! 教えて!」


 今にも部屋を出て行こうとする友人の華澄を、絢音は飛びかかるように引き止めた。


「はいはい。素直に言えてえらいね。月島くんにも素直になれると良いね」

「う、うるさい……」

「よしよし。大丈夫だよ。飯田さんと月島くん、ちょっと話してすぐに別れてたし」

「な、なぁんだ……ほっ」

「それで? 絢音の方はなんなの?」

「……これ」


 絢音は自分のスマホのメッセージ画面を表示し、華澄に見せた。


「おぉー。チャンスだね。私しばらく部屋に戻らないから、連れ込んでいいよ」

「ば、バカなこと言わないでよ!!」

「えぇー。せっかくの修学旅行なんだから、乱れなきゃ損だよ」

「ま、まだ中3なんだから、そんなのはだめ!」

「優等生だなぁ。まあ、頑張ってよ。応援してるからさ」


 華澄はそれだけ言うと、親指を立てて拳を突き出した後、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 頼りになるのかならないのか、わからない友人だ。



   ◆ ◆ ◆



「ごめん絢音、ちょっと遅れた」


 待ち合わせのホールにやってきた遥は、ゆったりとした部屋着を身につけていた。

 髪が湿り、顔が少し赤い。風呂に入った後なのだろう。


「い、いいわよ。待ってないから」

「そっか?」


 ちらりと遥を見る。水気のせいか、普段よりも少し、かっこよく見える気がした。

 胸がトクンと高鳴って、締め付けられるような苦しみに襲われる。

 遅かった声変わりも終わって、背も伸びた。

 ここ1年で、遥はずいぶんと男らしくなっていた。


「で、なんだ? 用って」

「あ、う、うん。……えっと」

「……絢音?」

「あー、その、こ、これあげる!」


 短期決戦だ。

 絢音は意を決して、ラッピングされた細長い箱を一息に渡した。

 キョトンとした表情でそれを受け取る遥。

 緊張で胸が破裂しそうだ。


「な、なんだ、これ?」

「……ぷ、プレゼントよ」

「え? なんかあったっけ……」

「ないけど! ……受験、頑張らないとだし、同じ高校受けるし……」

「お、おう……」

「だ、だってあんた、最近成績落ちてるでしょ! 私だけ受かったらなんか気まずいじゃない! ……だから、まあ、応援ってこと」


 我ながら苦しい。

 本当はもっとうまい言い訳を考えておいたのに、遥を目の前にして頭が真っ白になってしまっている。

 半分、やけくそだった。


「……開けていいか?」

「ど、どうぞ」


 遥は思いのほか嬉しそうに、包装紙を剥がしていった。

 出てきた黒い箱を開けると、絢音が選んだペンが姿を現わす。


「おぉー! いいなぁこれ!」

「き、気に入ったの?」

「うん! ありがとう! 一緒に受験頑張ろうな!」

「う、うん……。どういたしまして」


 遥はしばらくの間、おー、やら、うーん、やら言いながら、シャーペンをまじまじと眺めていた。

 自分の名前が彫られているのを見つけると、再び歓声を上げる。


「マジで嬉しいよ! いやぁ、なんか悪いなぁ」

「い、いいわよ。私が勝手にあげたんだし」

「よし、なんか俺もお返しするよ! 売店とかで欲しいものないか?」

「ほ、ほんと?」


 思ってもみなかった提案に、絢音は心が躍るのを隠せなかった。

 顔がニヤけているのが自分でもわかる。


「おう! なんでも……とは言えないけどさ」


 あはは、と笑う遥に、思わず抱きつきたくなる衝動に駆られる。

 が、もちろんそんな度胸はない。


 絢音は高鳴る胸を押さえながら、遥と二人で売店を回った。


「あ、これ」

「ん? おぉ、なんだそいつ」

「かわいい……」

「かわいい……か?」

「かわいいわよ。クセになる顔してる」

「……それにするか?」

「……うん。そうする」


 どこかマヌケな顔をした、猫のキーホルダー。

 絢音はこれを、この先少なくとも二年以上、カバンにつけ続けることになる。

 そしてある日、気がついた。


(……あれ? この猫……)



(……ちょっと遥に似てる)

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