2章:狼男と妖精たちの森

2-1:疑いと朝




 うす明るい青空と、真下に並ぶ木々と草原。

 高台から見下ろす視界百八十度を、一面の緑が埋めつくす。必死で今いる洞穴へ駆けこむ時は気づかなかったけれど、どうやら最初にいた場所より高い土地へ来ていたらしい。


 昨夜に荒らされた木たちも紛れているだろうけれど、隠すなら森の中とはよく言ったもので。目をこらしてカシマールを探すけれど、見分けすらつきそうにない。大声で呼ぼうという考えは、また狼たちに襲われる怖さでかき消えてしまった。

 今は自分を守ることで精いっぱいだからと、ひとり勝手に罪悪感をつのらせる。


 頭の中で、いびつにあざ笑う声が聞こえる。


 ぐるりとすぐ近くを見回す。洞穴の岩肌や空の向こうにまで目を光らせるけれど、ついさっきまで話していた相手はどこにも見あたらない。

 分かってはいる。彼女はこつぜん忽然といなくなったわけじゃなくて、操作画面の隅・・・・・・へ引っこんでいるだけなのだと。

『わたしも必要な   時だけはサポートするから。お困りの時はどうぞ、気軽に名前で呼んでね?』

 今いる世界が精巧なVRゲームと知ってからの会話で、そう言い残されたことを覚えている。


ヘルプ・・・

 私はさっそく彼女を呼んだ。


『なーに? ミサキわたし

 そうすると、決まって背後からその姿があらわれる。

『って、あれ。ついさっき話したばかりな気がするけれど。もう詰まったの?』

 ヘルプはこのゲームの製作者──つまり、記憶を失う前の『わたし』の分身。

 同じ美咲わたしと思えない軽い口調は、最初に出会った時と少しも変わらない。ムズがゆい気持ちでいっぱいになるけれど、私はどうにか質問を切り出す。今のうちにこれを訊いておかないと、余計にムズムズするだろうから。


「えっと、ヘルプ。この、VRシミュレーションゲームってその……誰が管理しているの?」


 サーバー管理。

 はじめてゲームじみたことを自分で口にした気がして、心なしか顔じゅうが熱を帯びる。けれど直接訊けた達成感の方がわずかに勝った。

『……あー、そういう? それはまあ、専属のスタッフとかがやってるかもしれないね?』

 答えようとするヘルプからは、目をそらしたままだけれど。どこかきまりが悪そうにしているのは何となく分かる。


「スタッフさん……がいるの?」

『……さあ、ね? そもそもなんでそんなこと訊くの』

「それは……」

 返しがなんだかぎこちなくて、嫌がられているのが分かってしまう。

 そんなに訊かれたくないことなのかな。普通なら引き下がらなきゃいけないところなのに、余計に気になって食い下がってしまう。


 ──トゥルーエンドを迎えない限り、このゲームの世界から生きて帰ることはできない。

 そんな理不尽な前提があるとなると、どうしても疑問に思うことがある。仮にこのゲームが機械で動いているとして、それを稼働させている機器や私の本体からだの、いわゆる活動の維持メンテナンスはどうしているのだろうと。


「それは…………その……」

 そんな考えを口に出そうとするけれど、苛だつ様子が気になって上手くいかない。なんとか説明しようと言葉を探すけれど、途中で

『あー、いいよ全部聞こえてるから』

 と呆れぎみにさえぎられてしまう。


『えっとね、そういうのはミサキの気にすることじゃないからすぐに忘れて? こっちはこっちで何とかやってるから』

「な、なんとかって」

 まるで適当に流そうとするみたいな言い方だ。ヘルプの方からゲームだのと話を持ちかけておいて、それを忘れろだなんて無茶がすぎると思うのだけれど。

『大丈夫だって。あと、今後はについての質問はしないでくれるかな? わたしから話せることは何もないから』

「なんで? 知っているんでしょ?」


 流石に不自然に思って、ずけずけと深追いしてしまう。遅れて『うげっ』という気まずそうな声が聞こえて、ますますこんがらがってくる。


『いや、あのさ。そんなことを今訊いてどうするの? 確証のない情報を得たって、後から本当かどうか疑うだけでしょ?』

「えっと、それは……し、信じるから。だから、お願い……」

 今はとにかく、現実世界での周辺について少しでも知りたかった。信じるかどうかは後で考えるとして、まず話を聞くだけ聞いた方がいいと思った。

 どんな がこのゲームを支えているの?

 何人の人がてられているの?

 年齢 は? 経歴は? 私との関係は? 任期は? 普段の生活は? ──ありったけの疑問を頭に浮かべる。

 けれど、尋ね方が無理やりすぎたかもしれない。やがてヘルプはいつになく不愉快そうに顔をしかめて、頭を掻きむしって『あーっ、もう!』とまくしたてた。


『あのさあ、さっきからプレイ中のゲームの裏方ばかり気にして、空虚だとは思わないの? ミサキと向こう・・・がお互い関わりあうことは一切ないのにさ!』


 ひとしきり言い終わってから、はああと大きなため息が吐き出される。相手が自分自身だと分かってはいるけれど、あまりの剣幕に圧されて口をつぐんでしまった。


『えーと、何の話してたっけ……あーそうだ、プレイヤーはゲーム外のこととか全然気にしなくていいの。とにかく無事にクリアすることだけ考えててほしいの。理解した?』

「え、あ…………」

 理解したというより『しろ』と言われている気がして、私は「はい」と返すしかなかった。直後、ヘルプの姿は壊れたテレビの画面みたいにゆがんで、挙げ句にぶつん・・・と跡形もなく消えてしまった。

 しばらく固まっていると『ちなみに関係者一覧クレジットはエンディングまで非公開だからね?』と、どこからともなく釘をさされた。



         |  森↗︎|

         | |

   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄★  ̄|

   | ̄ ̄|        ̄|

   |           |  ★=現在地

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   | ̄ ̄       | ̄

    ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄

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       森↙︎


 差しこむ朝日が色濃くなってくる。私は洞穴から少しはなれて、立ち並ぶ木々の手前でたたずんでいた。

 おかげで少しは頭が冷えた、と思う。さっきは我を忘れてしつこく言い寄ってしまって、失礼なことをしたと今では反省している。


 ただ、いまだに納得はできていない。これが普通のゲームじゃないことはもう分かるけれど、まさかプレイ中は外のことを何一つうかがえないなんて。

 それに、失敗したら死ぬかもしれないなんて。まるで牢獄にでも閉じ込められている・・・・・・・・・みたいだ。状況でいうとノベルゲームというより、脱出ゲームの方が合っているんじゃないかと思う。


 さらに何よりも引っかかるのが、こんな状況が被害者プレイヤーである私自身の手で作られていて、それに協力する人が別にいるということ。


 ただでさえ他人にものを頼むなんて気が引けるのに。なんでよりによって私なんかが、スタッフさんをあててまでこのゲームを始めたんだろう。

 もし森で目がさめた昨夜からこれが始まっていたとすれば、今こうして朝を迎えた時点でかなりの時間が経っている。エンディングまでまだ先は長いとなると、少なくとも数日はかかりそうだ。


 それまでの間ずっと、何人もの人に迷惑がかかることになる。

 考えるだけでも恐れおおいのに。そうまでするほどの意義が、このゲームにはあるということなのかな。


「……分かんない。おなかすいた」


 嘆息のかわりに、ためこんでいた不満が口を衝く。

 そういえば昨日の夜から何も食べてない。森じゅうを倒れるくらいに走ったものだから、今さら思い出す方が不思議なくらいだけれど。これまで色々なことが起こりすぎてすっかり忘れていたのだ。

 あれ、でもここはゲームの中だ。それなら食事をとる時はどうするのだろう。ここで食べたものでちゃんとお腹はふくれるのかな。


『もちろんだよ。食事は生死にかかわる大事な要素だからね』


 呼んでもいないのに、背後からはつらつとした声がとぶ。

『けれど、ミサキはまだ食べ物を持ってないか。じゃあ探しにいかないとね?』

 また最初と変わらない軽い口調で、ヘルプが目の前におどり出る。さっき言い争った時の形相は影もかたちもない。もはや最早なかったことにされているみたいだ。


「探しにいくって、どこへ」

『あれ、知らないふりとは関心しないね。目の前だけでもいっぱい生えていそうなのに』

「……野草を摘んでいくってこと?」

 たいしてサバイバルの知恵があるわけでもないのにと、体が拒絶反応をおこして震えあがる。少なくとも、数日のうちはまともな味を期待できないと思うと気がいってしまう。

 見わたすかぎり緑、緑、土、緑。その中でひときわ目をひいたのは、木の根にうように生えている小ぶりのキノコだ。



【行動を選択してください】


 ▷ キノコを食べる

   食べない



「……うう」

 思わず声がもれた。なんというか、「いかにも」といった見た目をしたキノコだから。まっ白なカサに赤や青の水玉模様といった、お絵描きみたいな不自然なキノコ。見ているだけでも悪寒がはしる。

 けれど、食べ物といえるものはこれしか見あたらない。周りに生えている緑はたぶん雑草だ。無理に食べようとは思わない。

 何ならるだけ採ってあとで食べることもできそうだけれど、軍手や持ちはこぶ袋がない。触るだけでも危険なものかもしれない。


『ずいぶんとお悩みのようですね?』

 隣で肩を並べるヘルプから気だるげな声。彼女は右手で頬杖をつきながら、例のあやしげなキノコを見下ろしている。

「……いや、流石にこれは、やめておこうかと」

『あー、そうなんだやっぱり悩んでるんだ。ね? そうならそうと相談してくれればいいのに!』

「え、ちょっと……」

 困惑する私をよそに、ぐいぐいと顔を近づけてくるヘルプ。押し売りみたいな威圧感が怖い。またきげん機嫌を損ねるような何かを、私はしてしまったのかな。何もしないのにすぐ立ち去らないのが気に入らなかったのかな。

 ただ当の本人はなにやら待ち望んでいたかのように、不敵な笑みを浮かべている。


『そんなミサキにぴったりなアイテムがあるよ。こんなのはどうかな?』

 そう言うとヘルプは、ぱちんと指を鳴らす。すると虚空に小さなあながぽっかり開けられて、落ちてくるなにかを右手で素早くキャッチした。

「……それは何」

 指さして持ち主に尋ねてみる。それは一見すると小さなろうそく蝋燭だ。少しだけろうが溶けているみたいだけれど。

 訊かれたヘルプは待ってましたと言わんばかりに、目を輝かせながら口をひらいた。


『これは【暗示のキャンドル】。ミサキの選択の手助けをしてくれる、とっても便利な有料アイテムだよ』

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