1-3:風の魔法使いノアン

「ここは……どこ?」

「ここは私の隠れ家ナノ。ちょっと狭いけど許してナノ」

「あ、うん大丈夫」


 周りのすぐ近くを、重なるようにそびえ立つ木々が囲う。私は地面を埋め尽くす落ち葉の上に腰掛けている。背後の動く木──ノアンが言うにカシマールという名前らしい──はついさっきくぐった通り穴を塞ぐとともに、背もたれになって疲れた体を休ませてくれる。

 目の前には横へ伸びた枝の上にちょこんと座るノアンの姿。彼女が言ったように狭くるしくはあるけれど、妖精にとっては丁度いい広さなのだろう。それにあの狼に見つからないと思えば、大して気にならないことだった。

「あと、この場だけじゃなくて、この森全体のことも知りたい、な」

 私は努めてゆっくりな声で質問する。

 敬語をやめたのはノアンからの提案で、お互いに緊張をほぐす為と言っていた。「かえって恐れ多い」と打ち明けたら「最初のうちだけナノ」と返されたけれど、正直なところ今でも半信半疑だ。


 それはそれとして。森について訊かれたノアンは「うーん……」と長くうなって、何やら難しい表情ばかりを浮かべている。

「全体のことといっても何を話せばいいか……危険ってことは、間違いなく言えるノだけど」

 そこは狼に襲われたばかりだから分かっている。

「あ。えっと、例えば特徴とか。他の森と比べてなにが違う、とか」

「? ここの他にも森があるノ?」

「えっ。ある、けど……知らない?」

「知らないノ。私はこの森にしかいたことがないから」

 それなら説明できなくてもまあ仕方がない。他に場所を知らないなら「普通」の基準がないから、特徴なんて挙げようがないのだろう。考えてみれば小さな妖精のことだから、至るところへ渡っている方が驚きかもしれない。

 答えてからもうなり続ける様子を見て「そうか」と納得したけれど、そこで私は大事なことを思い出す。


「もしかして、出口も知らない……? 私、ここから出たいの」

「出口? そんなの今まで考えもしなかったノ」


 ──何も言えなくなる。他に頼れる相手が見つからないのに、脱出の糸口すらつかめないなんて。

 あやしげな狼に、妖精、意思をもって動く木。どれも常識から大きくかけ離れている。目を覚ましてかなりの時間が経っているから、ここが夢の中とはもう考えにくい。

 思い出したように冷や汗がふき出てくる。こんな得体の知れない森を、これからさまよ彷徨い歩くことになるのかな。


「ミサキはどうやってここへ来たかも覚えてないノ?」

 ノアンが低い声で尋ねてきたところで、露骨に肩を落としている自分にやっと気づいた。すぐ謝るために口をひらこうとすると、さっと突き出された右てのひらに制止される。

「だ、大丈夫ナノ。記憶がなくなっちゃっているのだし、不安になるのは仕方ないノ」

 明るめな声でノアンがなだめてくれる。言われて思い出したけれど、記憶を失くしたことは既に打ち明けているのだった。慌てて口走ったことだからうろ覚えになってしまっている。

「どこからどこまでの記憶がないかは分かるノ?」

「え、えっと」

「よおく思い出してみるノ」

 焦らなくていいと伝えてくれるような、ゆるやかな口ぶりで促される。

 一気に思い返そうとすると混乱してくるから、私はこの森に来た時のことを順を追って話すことにした。

 最初に広場の真ん中で目を覚ましたこと。自分が何者かを示す記憶が、名前以外は全部消えてしまっていること。助けを呼ぼうとしてすぐ狼に襲われたこと。


 それだけ伝えると、ノアンはしかめた顔でささやいた。

「……きっと魔女のしわざナノ」

 魔女。そう呼ぶ声にはわずかに怒りが込められていた。そういえば今いる場所へ走るさなかにも「魔女め」と独りごちるのを聞いた気がする。

「あの、魔女のしわざって、どういうこと?」

 意を決して訊いてみると、ノアンは表情を消した真剣な顔をまっすぐ私に向けてきた。


「落ち着いて聞いて。この森には時おり魔女に粗相をおかした人が連れられて、凶暴な魔獣と一緒に放されることがあるノ。それでさっきミサキがされかけたみたいに、その人は成す術もなく餌食にされるノ」


「……は?」

 簡潔にまとめてもらったけれど、私の思考は追いつかない。

 噛みくだいて解釈すると、私は魔女の恨みを買って殺されかけたということだ。

「なんで……ねえ何で、わたし知らないよ、何もしてない」

 襲われたのは事故だと思っていたのに。なんで殺されなきゃいけないの? そもそも魔女なんて初めて聞いたのに。私が魔女に何をしたの? ねえ分からないよ、どういうこと? 私、死ぬの?


「落ち着いてナノ!」

 焦りが混じった声でノアンが叫ぶ。両肩をつかまれる──にしてはお互いの距離が遠すぎるけれど、それくらいの衝撃を感じた。

 なんて情けない真似をしたのだろう。この場でわめき散らしたってどうしようもないのに。

「大丈夫ナノ。ミサキは絶対に死なせない。私が守るノ。力になれることがあれば、何でも言って」

 それでも毅然きぜんとして励ましてくれるノアン。うつむいていた視界が一気に晴れた。

 自分の身だって危険にさらすのに、彼女は私を守ってくれる。──そうだ。失敗することばかり考えてはいられない。せっかく味方でいてくれるのに、それを無駄にはしたくない。


 ノアンが助けてくれるなら、私は助からなきゃいけない。


「……ねえ。この隠れ家に入る前も言っていたけれど、魔獣って? あの狼のこと?」

 私は一呼吸おいてから、次の質問をした。他にも訊きたいことはたくさん残っている。もし都合の悪い情報しかなくても、共有した方がお互いに安心できると思う。

 ノアンは質問に対して「そう」とうなずいた。

「つけ加えて言うと、魔獣は狼だけじゃないノ。熊や鳥や魚といったいろんな動物たちが、魔獣という人を襲う化け物に変えられたノ」

「変えられた? もとは普通の動物だったってこと?」

「そう。あの魔女が……この森を変えてしまったノ」

 ノアンの声が少しずつ震えはじめる。

「少し前まではもっと平穏な森だったノ。私もカシマールも仲間と一緒にいられて、いろんな動物たちと仲良く過ごせる素敵な居場所だったノ」

 仲間という言葉に興味を引かれるけれど、話の続きが予想できるだけになごやかな気持ちにはなれない。

「けど魔女は人を襲わせた魔獣をそのまま野放しにして、さらには元々いた動物たちまで魔獣に変えはじめて……そのせいで私と仲間たちまで巻き添えをくらって、離ればなれになってしまったノ」

 悲痛な声だった。返す言葉が見つからないまましばらく沈黙が続く。


 どう反応すればいいか分からない。ただ一つ感じたのは、魔女がとても非情で無責任だということだ。会ったこともない人のことだけれど、自分勝手に大勢を不幸にするなんて駄目だと思う。

 もしかしたら私が恨まれている理由もただの身勝手なものかもしれない。過去に私が何をしたかは本当に知らないけれど、ノアンと同じように魔女は「敵」だと考えた方がよさそうだ。

「あの……ノアン」

 ひどく歯切れが悪いけれど、やっと一声かけられた。私は慎重に言葉を続ける。



【発言を選択してください】


 ▷ 「きっと大丈夫だ」

   「仲間たちについて訊きたい」

   「元気を出してほしい」

   「嫌なことを聞いてごめん……」






「その、仲間たちのことを教えてくれる? それから、あなた自身のことも」

「私たちのことを、ナノ?」

「うん。頼れそうな味方のことは少しでも知っておきたいな、と思って」

「そうナノ? でも私はともかく、私以外とは会えるかどうか分からないけど……」

 それでもどこかで生きている。

 なんて確証のないことは言えないけれど、代わりに私は「お願い」と頭を下げた。

 気休めでも励ます言葉をかけた方が良いだろうけれど、赤の他人である私にそんな勇気はない。ただ、せめて情報を得ることで協力する意思だけでも伝えたかった。

 それが通じたかどうかは曖昧だけれど、ノアンは両てのひらで頬を叩いてから「分かったノ」と返してくれた。


「確かにミサキの言う通り、彼女たちがいれば絶対に頼りになるノ。みんなスゴ腕の魔法使いだから!」

 自信満々に言いきる様子を見て、元気を取り戻してくれたのだと安心する。──それはそれとしてまた常識外れな単語が聞こえた。

「魔法使い?」

「そうナノ。カシマールが自在に動けるのも魔法のおかげだし、他にもいろんな魔法を使える仲間がいっぱいいるノ」

 動く木のことは元々と言われてもまあ納得しただろうけれど、誰かの魔法がかされているとは初めて聞いた。

 感心しているさなか、私はふと閃いたことがあった。

「そういえば、あなたも魔法使いなんじゃ……? あの、狼を吹き飛ばした風。あれはノアンの魔法?」

「あ、そう。そうだったノ」

 はっとした顔で両手を打つノアン。まるで今思い出したと言わんばかりだ。もしかして他ごとを語っているうちに忘れていたのかな。

「あれ、十分にすごいと思う。あの風起こしがなかったら私、今ごろどうなっていたか」

 素直な感想が口を衝いた──つもりだけれど、後から冷やかしに聞こえてしまったんじゃないかと反省する。

 ノアンは赤らめた頬と細めた両目で気まずそうな表情を作って、何かを言いづらそうに口をひき結んでいるから。

「あ、ありがとうナノ。確かに私の魔法もすごいノ。遠くのものを動かすならお手の物だし、その気になれば大きな竜巻だって起こせるノ。……ただ」

「ただ……何?」

 私が首をかしげた、その時だった。


「グアアアアアアアアアアア!」


 突然、夜の静けさを破る咆哮が、近くから響いた。

 狼の声。けれどよく聞く遠吠えのたぐいとは違って、純粋に殺意ばかりを示すような叫び。それで私を襲った魔獣がまた来たのだと直感した。

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