味噌汁道長し

エンカウント率が高い

 カラーバス効果というものがある。


 ある特定のものを意識し始めると、自然とその情報が目が止まりやすくなるという現象だ。心当たりはないだろうか?それまでまったく意識していなかったのに、空腹だと思った瞬間から食べ物屋ばかりが目につくようになったりとか。


 そして俺は今、まさにその現象を実感している。


 たとえばそう、目の前のお総菜コーナーで真剣な顔で割引弁当を吟味している後輩とか。


「…………………」


 いくらご近所とはいえ、まさかこんな地元でばったり出会うとは思わなかった。いや、これだけ生活圏が近ければ、会うことがあっても不思議ではないのだが。ひょっとして、今までも気づいてなかっただけですれ違ったりしていたのかもしれない。


 とはいえ、俺は仕事とプライベートはきっちりと分ける主義だ。何も好きこのんで終業後に職場の人間と顔を合わせたいとは思わない。なので、そのまま声をかけずこっそりスルーしようとしたところで──


「あ、先輩も買い物っすか?お疲れ様っす。こんなところで会うなんて偶然ですねー」


 こちらに気づいた後輩から、いよっ!と声をかけられた。


 そのままひょいひょいとこちらに近づいてくる。


「このスーパーって、駅降りてすぐだし便利っすよね。俺もちょくちょく買いにくるんすよ。先輩も買い物はいつもここなんすか?」


「いや、ここは駅近で便利だけど野菜が少し高いから……いつもは週末にちょっと遠い店までチャリで行ってるよ……」


 俺が持っているカゴの中には、昨日うっかり切らしてしまった味噌が一つ。買い置きがあると油断していたら、なんと買い置きまで切らしていた。なので、今日はたまたま寄っただけだ。


 けど今度から、なるべくこのスーパーは使わないようにしよう。


 密かにそんな決意を固めつつ、後輩に尋ねる。


「お前、こんなところにいていいのか?百瀬のお迎えは」


「今日は会議で遅くなる予定だったんで、シッターさんにお願いしてたんすよ。結局課長が休みで流れちゃったから、空いた時間で夕飯の弁当買って帰ろうと思って」


 カゴを片手にニッカリと笑う。覗いてみるとなるほど、夕方の値引きシールを貼られたら弁当が二つと缶ビールが一つ中に入っていた。思わず顔をしかめる。


「いくら値引きだからって、お前はともかく百瀬に麻婆弁当はないだろ。こっちの方が子供が好きそうなんじゃないか?」


 ひょいっと俺が手に取ったのはオムライス弁当だ。ふんわりと黄色の卵で包まれたケチャップライスに、ナポリタンと唐揚げ茹でたブロッコリーなどが添えられていて、彩りもなかなかだ。


 しかしそんな俺の手を、後輩がガシッと掴んで止める。


「待った先輩。そっちの弁当は二十パー引き。こっちは五十パー。つまり半額なんです。分かる?」


「いや、そんな大して変わんねーだろ」


「かーわーりーまーすー!たまにならともかく、毎日買うとなると半額と二割引じゃ大違いなんです!」


「……だったら、せめてこっちのおにぎりとかサンドイッチにしてやれよ。流石に四歳児に麻婆弁当はかわいそうだろ」


 真っ赤な麻婆豆腐は見るからに辛そうだ。セットの炒飯も、よく見ると小さな黒い粒が見えるのでかなり胡椒が入っている。大人が食べるなら美味しそうだが、四歳児の舌には些か刺激が強すぎると思う。


 しかし俺の代案にも、後輩は顔をしかめた。


「えー、だってそれだと主食しか食べられないじゃないですか。こういう弁当ものだと、ご飯とメインのおかず以外に野菜とかも入ってて健康にも良さそうだし……俺だって俺なりに色々考えてんすよ。そういう先輩は、今日なに食べるんですか?」

「俺か?俺は──」


 聞かれて冷蔵庫の中身を思い出しながら、献立を並べ立てる。


「今朝解凍してきた豚コマがあるから、それ使って開化丼と長ねぎとわかめのみそ汁、ほうれん草の胡麻和えと、あとは煮浸しでも作るかな」


 開化丼とは、簡単に言うと鶏肉の代わりに豚や牛を使って作る親子丼のようなものだ。最近は輸入ものの豚が安いので、お買い得なジャンボパックを使ってちょこちょこ解凍しながら使っている。


 帰宅後に作るので、いつも夕飯はぱぱっと作れるものばかりだ。工程はせいぜい切る!煮る!味付け!ぐらいの三ステップ。割と雑に作っているが、毎日のことだし下手に凝り過ぎて疲れるよりも、手抜きで続けられるくらいがちょうどいい。


「へー、ほー、ふーん。美味そうっすねーそれ」


 後輩は感心したように頷きながら、なぜかカゴの中の弁当を元の棚に戻した。


「どうした足立。なぜ弁当を戻す」

「いや、どう考えても麻婆弁当より先輩の夕飯の方が美味そうだなーって」


 言いながらごく自然に俺のカゴから味噌を奪い自分のカゴに入れると、後輩はなんの躊躇いも遠慮もなくにこやかに言った。


「というわけで、ここの会計は俺が持つから俺らにも夕飯をご馳走してください」


「たまにすごく疑問なんだが、お前のその日本人に有るまじき押しの強さってどこから来るの?異次元?」


「可愛い妹のためなら、プライドとか見栄とか気遣いとか遠慮なんて、兄はいつでも捨てられるんですー。先輩だって、たまには飯食いに来ていいって言ってたじゃないですか。いいんですか?先輩がここで頷いてくれないと、うちの可愛い四歳児が麻婆弁当を食べる羽目になるんですよ?先輩はそれでも心が痛まないって言うんですか?」


「なんで俺が脅されてるんだよ……ていうか、見栄はともかく気遣いとか遠慮とかそんな大切なものを簡単に捨てるなよ。ちゃんと拾っておけよ」


 多分、それは人として捨ててはならないものだと思う。


「確かに食べにきていいとは言ったけど、そんな急に言われても米がねぇしなぁ……」


 おかず類はこれから作るので問題ないが、米は一人分しか炊いていない。正確には、一食分の米だけを炊くのは非効率的なので、朝にまとめて一日分の米を炊いているのだが。


 たとえ足立兄妹が食べに来ても、我が家には一人前の米しかない。そう告げると、後輩はなるほどと頷いた。


「じゃあ俺らの分はレトルトパックのご飯を買っていけばいいんですね」

「よしわかった足立。お前と俺の分は冷凍ストックの米にしよう。炊飯器の中に残っているのは百瀬の分だ」


 さすがに四歳児にレトルトパックを食べさせる傍で、自分だけ炊飯器のほかほかご飯を食べる気はない。俺はそこまで人間をやめていない。



 そんなわけで今日の夕飯は急遽、一人ではなく三人ごはんとなった。


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