28 独行//離別

 それから、さらに一週間。


 アズプール基地は本格的に嵐の渦中にあった。

 吹きすさぶ砂塵に日光がさえぎられ、太陽電池の出力が能力スペックの半分以下に下がる日が多くなった。おまけに基地のどこかから供給されていた電力は数日前から不安定になり、日中はなるべく明かりをつけずに延命させているが、どこまで持つかはわからない。

 ポータブル電源に繋いだLEDライトで弱々しく照らし出されたエアロックの中で、雅樹は電動ドライバーを放り出してゆっくりと立ち上がった。

 長時間不自然な姿勢で作業したせいか、背骨がバキバキと音を立て、肩も首もひどく痛む。

 それでも、撃ち抜かれたひざと骨の折れた右ももの痛みに比べればまだましだった。

 何種類もの抗生物質の複合投与ちゃんぽんと局所麻酔でごまかし続けた傷口は、もはや見るも無残な状態だった。ちゃんとした治療を受けられないまま荒っぽい素人療法でごまかしているためか、醜く開いたままの傷口は一向にふさがる気配がない。

 麻酔のおかげで何とか自力で立ち上がることはできるようになったものの、太ももから下は見るからに恐ろしい色に変色し、両足とも、ほとんど感覚がない。


(もし無事に還れたとしても、足は諦める以外なさそうだな)


 彼は、今まで取り組んでいた不格好な構造物ジャンクパーツから目を離さず漠然と考える。


(それにしても……)


 最初の大地震からまだほんの十日ほどしか過ぎていない。いつもなら、退屈な基地生活のほんの一瞬としか感じられないこの短期間で、彼らが支払いを迫られたもののなんと多かった事か……。

 彼は首を振り、その思いを振り払った。


「今さらそんなこと考えてもどうにもならない、か」


 一人つぶやくと、エアロックの一番奥で体を寄せ合うように眠っている少女達に目を移した。

 気密テントを一台犠牲にし、切り離した簡易エアロック部分を吹き飛んだ気密ドアの代わりに壁に接着した結果、再びエアロック全体に空気を満たすことが可能になった。

 少なくともこの中にいる間は与圧服を脱ぐことができるし、身体を起こすことも難しい狭苦しい気密テントではなく、広いエアロックで足を伸ばして眠れるようになったおかげで疲れは格段に減った。

 深夜、不安に襲われた少女二人が泣き出しそうな顔で雅樹にしがみついてくることもなくなった。


「よく寝てる……」


 連日の重労働のためか、二人とも泥のように眠っている。深く規則正しい呼吸にはいささかの乱れもない。いつもと同じなら、目覚めまで、あと数時間は眠り続けるはずだ。

 雅樹はけなげな二人の姿をまぶたに焼き付けると、静かに振り返り、完成したばかりの計器板を手にエアロックを出た。




 日の出直前のほんの一瞬だけ、嵐は日中の激しさが嘘のように弱まる。

 夜の凍てつく寒さから開放された大地からはまるでスモークマシンのようにドライアイスのもやが立ちのぼり、次々と風に吹き飛ばされていく。

 そんな中、夜明け前の薄明かりを受けて鈍く輝く物体は、どうひいき目に見てもがらくたジャンク以外に表現のしようがない。

 初日に岩に潰されたバギーからはかろうじて動くサスペンションとホイールを、穴のそばで立ち往生したバギーからはシートと足回りのフレームを、倒れたボーリングマシンからはチタニウムの構造材とコンソールの計器類を、それぞれよせ集めて強引につなぎ合わせた物体は、アメンボの背中に扇子を突き立てたような、奇妙にアンバランスな形をしていた。

 先端にホイールの付いた四本の長い脚を大きく踏ん張り、放射状に突き出した長いマストには、パラシュートを縫い合わせて作ったケブラー製のセイルがたくしこまれている。本体中央部のシートの前にはほとんど形ばかりのハンドルとコンソール。


「もう少し格好良く出来ればよかったのになぁ」


 計器板を取り付け終わり、少し離れて出来栄えを眺めながら、我ながらあきれずにはいられないその不格好さ加減に思わず苦笑した。

 五千キロの道のりを動力なしで渡るために、雅樹が少女達と作り上げたのは、折からの大嵐を逆に利用し、巨大な帆で風を受けて陸を疾駆する一種のヨットだ。

 もちろん雅樹のオリジナルではない。昨年の大嵐冬ごもりの最中、車両部の若手整備員が暇つぶしの手慰みに考案したコンセプトモデルがその原形だった。

 もちろん、模型そっちの方が実物の十倍はよく出来ていた。

 彼は改めてエアロックの方を見やると、シートに深く腰掛け、下半身をベルトでがっちりと固定した。軽量化と上半身をバランサーに使うため、シートの背もたれは最初から取り外してある。

 軽く足踏みをして安定を確かめると、コンソールのメインスイッチを人さし指で弾く。GPSのスタンバイランプが小さく光り、スピードメーターにはゼロが三つ浮かび上がる。一旦手を止め、メモを見ながら慎重にNASA基地の座標を入力する。

 だが、GPSのスクリーンには〈衛星を補足出来ません〉の文字がむなしく点滅するばかり。


「やっぱり駄目か」


 彼はため息をつくと、衛星写真にびっしり書き込みをした手作りの地図をコンソールの脇にボンドでべったりと張り付けた。

 地図には、峡谷の両サイドにある特徴的な地形と、その地点のGPS座標が記されている。そこから予定のコースに向けて何本もの直線が引かれ、荒っぽい三角測量で自分の位置が推測できるようになっている。


「遊びのつもりで作ったんだけどなあ」


 何度目かの調査行のついで、大昔の偉人、伊能忠敬の真似をして半分趣味で作った実測図だが、今となってはこの地図を元に目測で位置を割り出すしかない。

 子供達にはすで昨夜のうちに出発を告げてあった。二人の猛反対を受けて一度は引っ込めたものの、やめる事は考えていなかった。

 薫が泣きわめきながら強硬に主張したように、彼女達と共に旅をするつもりも、ない。

 あまりに危険すぎるからだ。

 集められた食料と酸素は、小柄な彼女達二人だけであればまだ数週間は楽に持ちこたえられる。

 いくら敵の妨害があろうとも、NaRDOからの救難船は確実に出ているはずだ。だとすれば、後は時間との勝負になる。手持ちの酸素と食料で、一日でも長く耐え抜くことが、彼女たちの生還のカギだ。


「あの子たちには色々忙しくしてもらったけど……」


 ランドヨットの作成は子供達に暇な時間を作らないための口実であり、雅樹自身、本当にNASAの基地までたどり着けるかどうか、本気で信じてはいなかった。

 遭難で一番危険なのは、ふと気を抜いた瞬間に絶望に囚われてしまうことだと赴任前の講習で聞かされた。なんでもいいから考え込む時間を作らないことが、結局は長く救助を待つコツだとも。


「あいつら、性格が正反対だし、その割に仲がいいから、きっとうまくやるだろう」


 久美子と薫、二人であれば、お互い励まし合って生き延びてくれるだろう。この一週間の共同生活で、そう信じるだけの根拠ができた。

 となれば、あとは物資を減らさないことだ。

 このまま図体のデカい自分がずるずると貴重な酸素と食料を浪費し続けるわけにはいかない。

 彼女たちには一日でも長く耐え抜くこと。そして自分は一か八かに賭けること。お互いにこれが一番成功率の高い賭けだ。

 雅樹は少女たちをそう納得させようとして失敗し、結局、出発を告げずに行く事にした。

 雅樹は大きく深呼吸し、覚悟を決めて帆をほどくロープに手をかけた。


「やっぱり独りで行っちゃうんだ」


 突然の声に彼はぎくりと動きを止めた。こわごわ振り向くと、エアロックの入り口に腕組みをして立つ久美子の姿があった。


「安心していいよ。薫はまだ寝てるから」

「久美子……お前、気づいてたのか?」

「うん。おじさんが最初からこうするだろうってなんとなくわかってた」

「そうか……悪いな」

「ううん」


 久美子は小さく首を振った。

 雅樹が空元気で何か調子の外れたことを言うたびに考え込むような表情を見せていたのは、内心、雅樹の決心に気づいていたからなのだろう。


「謝る事なんてない。薫だって本当は判っている。いつもおじさんに文句ばかり言うけど、あの子は寂しいだけなのよ。それに……」


 心細げにそう告白する久美子の声に、彼の決心は鈍りそうになる。だが、今さらやめるわけには行かない。彼はしばしためらい、心を決めて再びロープに手をかけた。


「私はうまくいくと信じてる。気をつけてね。私達、ずっと待ってるからね」


 雅樹は無言で大きくうなずいた。

 空が次第に明るさを増し、風は次第に強くなる。

 だが、不思議に恐怖心は湧いてこなかった。

 連日の麻酔注射オーバードーズで俺はきっと酔っているんだ。そう自嘲気味に思いながら、彼は勢いよくロープを引いた。

 その瞬間、銀白色のケブラーセイルは、折からの強風をはらんでまるで弾けるかのように一気に膨らんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る