34 帰還//
長い廊下の突き当たり、シルバーグレイに鈍く光る巨大な扉の直前で訪問者はわずかに引きずり気味の足を止める。
規則的なアクチュエータの作動音が止まり、空調ダクトから聞こえるごく小さなノイズだけがその場に残った。
彼は制服の襟元を整えて小さく咳払いをすると、一歩踏み出して開閉パッドに軽く右手を触れる。
さっと音もなく扉が左右に割れ、そこから先はゴムチップの床に代わって毛足の短い高級なじゅうたんが彼の歩みを受け止める。
と、右わきのカウンターでキーボードを叩いていた秘書の一人が彼を認めて立ち上がり、にこやかに微笑みながらさらに奥の扉を右手で示した。
「先ほどからお待ちになっています」
一方、彼は仏頂面のまま小さく会釈をしてその場を通りすぎると、〝総裁室〟と金属プレートのはまった扉をぐいとにらみつけ、力強くノックした。
「入ります」
それだけ言うと、返事を待たずに勢いよく扉を押し開ける。
「おお、来たか。待っていたぞ」
正面の執務机でモニターに見入っていた白髪頭の大柄な男は彼の姿を認めるとさっと立ち上がり、握手を求めて大股で歩み寄ってきた。
「体の方はもういいのか?」
「ええ、総裁。先日ようやくリハビリを終えました。結局、足は二本ともヤトゥーガの連中にくれてやらなくちゃいけませんでしたけどね」
白髪頭の男は、自分とは親子ほどに歳の違う若い訪問者、辻本雅樹の皮肉のきつい答えに苦笑しながら、手まねで腰を下ろすように促した。
「あの時君を発見した夫妻、NASAの救難艇パイロットと〝カール・セーガン〟通信士の二人から連名で祝電が届いたよ」
「……へえ、彼ら、結婚したんですか?」
「そうらしいな。読むぞ。〈――〝オジサン〟ことミスターツジモト、退院おめでとう。君と、君を見事にサポートした勇敢な二人のレディに神の祝福を――〉だとさ」
雅樹は小さく肩をすくめただけで特にコメントしようとはしなかった。
あの時、マリネリス峡谷の真っただ中で倒れている雅樹を発見したのは二人の少女たちった。
嵐の中、NASA東マリネリス基地駐在のパイロットは、恋人からの私信に隠された暗号メッセージを受けとると、すぐさま救難艇をNaRDO基地に差し向けた。
さらにその帰途、彼は少女たちの願いを聞き入れ、砂嵐の中危険な超低空飛行を行う。
そうして、エアも尽き、気を失って半分砂に埋まりかけの雅樹を、まさにぎりぎりのタイミングで助け出したのだった。
それでも、雅樹の両足はもはやどんな手を尽くしても救いようがなく、ほとんど根元から切断せざるを得なかった。
退院までにこれほど時間がかかったのは、大腿骨をチタンで置き換え、さらに新開発の神経直結型義足の
「さて、君の報告書は読ませてもらった。検証にはずいぶんと時間がかかったよ。一字一句おろそかにするわけにはいかないからな」
短く刈りそろえた白髪頭をさらりとなで上げると、総裁は執務机の上からデータ記録用のコアメモリをつまみ上げる。そうして雅樹の向かいのソファにどっかりと腰を下ろすと、テーブルの上にそれをコトリと置いた。
数カ月前、雅樹が病院のベッドの上で書き上げ、見舞いにきた上司に提出したメモリそのものだった。総裁はそのまま両手をすり合わせ、少しためらった後、言いにくそうに切り出す。
「で、だな、最終的に、我々NaRDOとしてはこのレポートを正式な事故の記録資料とするわけにはいかないということで意見が一致した。
「何ですって! あれほどの人命が一挙に失われたっていうのに、あなた方は一体……」
いきり立つ雅樹。
一方、総裁は予想された反応に目を細めて大きくうなずくと、相手を制するように小さく右手を動かした。
「まあ落ち着け。話は最後まで聞くもんだ」
「でも、このままでは死んでいった彼らがあんまりかわいそうじゃないです――」
「見損なうな! このままで済ますつもりはもとよりないっ!」
「!」
静かだが、張りのある声できっぱりと言い放つ総裁の姿に、雅樹は気勢をそがれて黙り込んだ。
「君が治療とリハビリに励んでいた一年近く、我々が何もせずに手をこま抜いていたと思わないで欲しい。ただ、事は君が考えているよりはるかに大規模で複雑なんだ」
「とおっしゃいますと?」
雅樹は半分ふてくされ、機械じかけの足をこれ見よがしに組む。
「一番簡単な解決法は、君が報告書の中でそう結論づけていたように、ヤトゥーガデベロップメントカンパニーを大量殺人とテロの容疑で国際法廷に告発することだろう」
「ですよね?」
「だが、現時点でそれは不可能だ」
「どうしてですか?」
「万人が信じるに値する確実で明白な犯罪の証拠がどこにもないからだ」
総裁は低い声でそう断言した。
「いいかね? 全てを知っていて、なおかつ証言能力のある成人の生存者は君一人だ。さらに〝昭和〟のフライトレコーダーは行方不明、アズプール基地のストレージメディアは真っ白だ。映像もデータも何一つ残っていない。どちらかと言えば君が巧みに演出した狂言だと考えるほうがはるかに理屈に合っている」
「え……違います。私は……」
雅樹は慌てて組んでいた足を戻した。
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