25 無念/遺言

 直径六千八百キロ。そんなちっぽけな惑星上の片隅で起きたささいな出来事などには構いもせず、太陽はいつもと変わりなく平穏に輝き、赤い大地をやわらかく照らしはじめた。

(今日の朝焼けは一段と派手だな……)

 雅樹は、朝日を全身に受け、しびれた頭でぼんやりと考えながら非常エアロックの前に立っていた。体の左右を二人の少女に支えられ、不自由な足でゆっくりとエアロックに向き直る。

 変形したチタンの扉は昨夜彼が押しのけたままの状態で岩壁に立て掛けられ、朝日を反射して鈍く複雑に輝いている。


「こんな所に……? 俺への伝言が?」


 雅樹の短い問いかけに二人は大きくうなずいた。


「先生がそう言ったもの」


 薫は当然じゃないかとでも言いたげな表情で雅樹を見上げて言い切ると、促すように雅樹を支える手に力を込める。彼はその力にあがらいきれずよたよたと歩き、エアロックに足を踏み入れた。

 内部の薄暗さに彼の目が馴れるのにしばらくかかった。

 昨夜、絶望とともに見つめた血まみれのデータパッドが最初に彼の目に飛び込んできた。回線はとっくに切れており、スクリーンは光を失ったままだ。

 そして、正面奥の気密ドアは二度目の地震で新たに崩れ落ちた岩に完全に突き破られ、一部だけがかろうじて岩の下敷きになることをまぬがれているだけだった。

 一方それらとは対照的に、壁際で相変わらず妙な存在感を放っているのが緊急用備品ロッカーだ。

 二人に促されるようにロッカーの前にたどり着いた雅樹は、荒い息を整えるために大きく深呼吸を繰り返した。

 昨夜は周りに注意を払う余裕などなかったが、こうして改めて見上げてみると、さすがに緊急用だけあって二度の大地震でもロッカーの筐体はほとんど傷んでいない。

 ほんの二日前、メイシャンと二人で乱暴に引きはがしたはずの封印のホロテープまでもがいつの間にかきちんと張り直されている。

 不審に思ってしげしげと見る。封印者のサイン欄には伸びやかな右上りの筆記体で〝Li Meixiang〟としるされていた。


「ああ」


 雅樹は思わずごくりとつばを飲むと、左肩のツールポケットからマルチツールを取り出し、メインブレードを引っぱり出そうとして取り落としてしまう。


「ちっ!」


 イライラと舌打ちをする雅樹。

 久美子は素早くナイフを拾い上げ、無言でそれを差し出しながら澄んだ瞳で彼を見上げた。

 二人の視線がぶつかり合い、雅樹は思わずはっとした。

 ぶかぶかのヘルメット越しに真剣な表情で彼を見つめる彼女のたたずまいは、メイシャンが時より見せたそれと驚くほどよく似ていたからだ。

 買いかぶりとしか思えないほどの大きな信頼と、わずかな不安のないまぜになった複雑な表情を目にした途端、暴風が吹き荒れていた彼の心は急速にいだ。

 償うことのできない最悪の失敗を犯したにもかかわらず、この子達はそれでもまだ自分を信じようとしてくれている。そう思った瞬間、鼻の奥がつんと熱くなった。


「ありがとう」


 目じりにじわりとにじむ涙をごまかそうと鼻をすすり、小さく咳払いした彼は、久美子の手からナイフを受け取り慎重にホロテープを切断する。

 マルチツールをポケットに戻し、ピカピカに磨かれたステンレス製の太いハンドルに手をかけ、親指の腹でロックボタンを押す。

 カチリと小さな手ごたえ。ほどなくハンドルに埋め込まれたLEDがオレンジ色に発光し、次いでハンドルごと音もなくせり上がってきた。光は間もなくグリーンの点滅に変わる。

 雅樹は二人の少女に再び視線を落とすと、無言のままうなずき合い、両手を添えてハンドルをゆっくりと回す。

 扉ははじめ抵抗するようにわずかに軋んだが、後はあっけないほど簡単に開いた。自動的に内部に明かりが点され、そのまぶしさにわずかに目を細めた次の瞬間、彼は思わず絶句した。


「こ、これは!」


 ほんの数日前、わずか数本のミニエアボンベがぽつりと置き忘れていただけのロッカーには、大量の大型エアボンベ、非常食、緊急用の各種機器やサバイバルキットなどがあふれんばかりに詰め込まれていたのだ。


「……メイシャン先生」


 昨夜、メイシャンがなかなか現れなかったわけがこれで理解できた。

 おそらく、地質調査車に備蓄されていた物資の一部をひそかに移動させていたのだろう。

 彼女は起こりうる事態をほぼ正確に予測していたのだ。それでもなお、子供達を救うために単身地下深くに赴き、そして……。


「おじさん、これ」


 久美子が小さく声をあげる。彼女の指さす先にはきちんと折り畳まれ、エアボンベにテープで止められたポリエチレンペーパーがあり、右上りのやわらかな筆跡で〈辻本君へ〉と記されていた。

 雅樹は震える手で紙片をはぎ取り、ゆっくりと開く。そこには、小さな文字でびっしりと彼女の最後の言葉が綴られていた。


〈――辻本君

 あなたがこの手紙を目にしたということは、恐らく私はすでにこの世の人間ではなくなっているという事でしょう。

 もう気づいているかも知れませんが、私は、医者であると同時に、NaRDO上層部から特命を受け、アズプール基地内部でひそかに進行している不正の実体を探るために送り込まれたエージェントです。

 これまでの調査で、不正に関与しているのは地質調査隊の人間であることがほぼ確実になりました。残念なことですが、山崎調査班長はあなたの信頼に足る人物ではありません。

 あなたがこの手紙を手にした時点で一体どのような状況だか判りませんが、けっして、彼と彼の部下に気を許してはいけません。

 あなたの、あくまで人を信じようとする純粋な気持ちは理解できます。

 個人的には、そんなあなたの信念を大変いとおしく思います。でも、思い込みは正しく物を見る目を曇らせます。冷静に事実だけを見て、正確に判断する事が今のあなたには何より大切です。

 アズプールの最高司令官として、この大事故から一人でも多くの人間を生還させるために、時に冷徹な判断が必要になることを忘れないで。

 今、あなたはひどく打ちひしがれているかも知れません。でも、もしそれが私の死によってもたらされたものであるのなら、もうこれ以上悲しまないで下さい。

 私の使命は不正のしっぽをつかんだ時点でほぼ終わりました。この先は専門の優秀な調査官と官僚の出番になるでしょう。

 今ならはっきりわかります。

 私は、幼いころのシャトル事故で多分一度は死んだのです。神様のお情けでつかの間、この世にいることを許された亡霊にすぎないのです。

 ですから、覚悟はとうにできています。

 命を失うことに悔いはありません。

 でも、おまけの人生の締めくくりに、あなたのような頑固で、意地っ張りで、わがままで、あきらめの悪い、でも、困難にあってはもっとも真摯な司令官に出会えて本当に幸せでした。

 これ以上あなたを手助けできないのは残念ですが、あなたならきっとどんな事態でも克服できます。私は心から信じています。――〉


「……なんだよ、いなくなっても皮肉のきつい人だな」


 つぶやいたきり、いつの間にか放心状態におちいっていたらしい。


「おじさん…?」


 その声で彼はふっと我に返った。無言で立ち尽くす雅樹が心配になったのか、二人が不安げな顔で彼を見上げている。

 雅樹はそんな少女たちの肩に手を添え、ぎこちなく笑顔をつくると、自分自身をも励ますように大きくうなずいた。


「大丈夫だよ。俺達はサンライズコロニーに帰るんだ! きっとだ!」

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