16 射線/鬼胎
「そういえば、司令代理に一つ話しておきたいことがあるんです」
「どうしました?」
「これは私の思い過ごしかも知れないんだけど……」
「はい」
「あ、やっぱりいい。ごめんなさい」
「うう、そういう焦らし方、余計気になるんですけど?」
そう雅樹に突っ込まれ、なおメイシャンはためらった。
「……怒らないで聞いて下さいよ」
まるで捨てられた子供のような不安そうな表情。風呂上がりのすっぴんのせいか、彼女の顔つきはずいぶん幼く見えた。
(与圧服を着ているときはあんなに強気なのに)
雅樹は思うが口には出さない。こっちが逆に叱られそうだ。
「山崎班長のことです……なんだか違和感があるんです」
「……それは、一体どういう意味で?」
目をむく雅樹にたじろぎ、彼女はしばらく天井を見上げながら考え込んだ。
「別にこれといった根拠があるわけではないんです。ただちょっと――」
ガツンと車両全体が激しく揺れ、一瞬遅れてコンソールのインターホンがけたたましい呼び出し音を響かせた。二人は身体をこわばらせ、怪訝そうに顔を見合わせる。
「何?」
「何でしょう?」
じれたように再び呼び出し音が響く。
雅樹が慌てて応答ボタンに触れると、同時に山崎の怒鳴り声が響く。
『雅樹! 俺だ。例の怪しい火星車を発見した! 攻撃されているぞ。すぐ外に来てくれ!』
雅樹は慌てて松葉杖を掴むと、気合いと共に立ち上がった。
「それじゃ先生はここで! 俺、行ってきます!」
「あ、司令代理! あの……」
だが、それ以上うまく言葉にできず、メイシャンはただ首を振って付け加える。
「お気をつけて!」
無言で大きくうなずいた雅樹は、足を引きずりながらコマンドルームを飛びだした。
「敵の装甲車は一台。これまで見たことのない形だった」
火星特有の青い朝日に照らされ、峡谷全体が一面薄水色の薄い霧に覆われている。そんな霧のベールから頭だけをのぞかせたすり鉢型の小高い丘を指さし、山崎はささやくように告げる。
「あれ? 一台ですか?」
首をひねる雅樹に、山崎は大きく頷くと電子双眼鏡を差し出した。
「ああ、西の方から基地に接近して、今は正面に見えるあの丘のちょうど裏側に回り込んでいる」
「じゃあ、敵の攻撃は山なりですか?」
「ああ、丘を飛び越すように高く上がって最後はまっすぐ落ちてくる。今のところ照準がかなり適当だけどな。もともと火星用の武器じゃないのか、それとも射手があえて外してるのか……」
山崎は冷静に状況を解説する。と、新たな一撃が二人の隠れる砂丘のふもとで炸裂し、爆炎と共に大量の砂煙を吹き上げた。全身がブワッと押される感触と共に、大量の石つぶてが降ってくる。
「ど、どうします? こっちに武器はなし。相手が照準に手間取っているうちに避難した方が……」
「おいおい、稼働中のボーリングマシンを見捨てるわけにはいくまい。それに反撃の手段ならちゃんとあるさ」
「え?」
「武器はないが、これがある!」
雅樹は山崎班長がジュラルミンのトランクから無造作に取り出した直径百五十ミリ、長さ一メートルほどの金属筒を目にしてあっけにとられた。
「ペネトレータ! でもこれは……」
ペネトレータというのは二十世紀末、旧JAXAが開発したユニークな観測装置を先祖に持つ極限探査用のロボットだ。人間が近づけない場所にロケット弾のように打ち込んで各種観測データを収集するのが本来の使い道だ。
ロボット本体は先端にチタニウム製のショックアブソーバを装備した砲弾型で、近距離から岩山にぶち込んでもけろりとしている。その頑丈さと汎用性の広さから、今ではNaRDO地質調査隊の標準装備にもなっている。
「君も使ったことあるだろ?」
「……確かによく使いますけど、武器だと思ったことはなかったです」
峡谷中を走り回ってペネトレータをあちこちに打ち込むのは雅樹の重要業務の一つでもある。もちろん山崎のチームも地質サンプル採取用に掘り抜いた縦穴を活用し、ペネトレータを地下深くに設置する任務を帯びていた。
「手持ちがあと三本ある。武器じゃないから吹っ飛ばすことはできないが、うまく狙えばあいつの横っ腹をぶち破るぐらいのことはできるだろ?」
山崎はさらりと言うと、トランクをごそごそあさって手持ち式の簡易ランチャーを取り出し、にんまりと笑う。
「……凄いことを思い付きますね」
「まあな。で、君はここに待機して、相手が出てくるのを見計らってうまいこと狙ってくれ。俺はバギーでちょっとばかり揺さぶりをかけてみる」
首を横に振りながら、雅樹は手渡されたランチャーを山崎に押し返す。
「できれば俺にそっちをやらせてくれませんか? バギーの運転なら班長より俺の方が慣れて――」
「悪いが却下だね。そんな不自由な足で一体どうするつもりだ? それに、おとり役は危険だ。〝司令代理〟の君がそんな
山崎は〝司令代理〟の部分を強調すると、雅樹のそばに転がされた手製の不格好な松葉杖に向かってあごをしゃくる。
「ですが――」
山崎はなお言いつのろうとする雅樹の肩を、分厚い手でパンパンと叩いてニヤリと笑う。
「まあ任しとき。荒っぽい運転は何も君だけの専売特許じゃないんだよ」
憤慨と気恥ずかしさで顔を赤らめる雅樹にひらひらと手を振り、山崎は砂煙を蹴立てながら敏捷に丘を駈け下りていった。
山崎の駆る調査隊のランドバギーは敵の潜む丘に一直線に近づいていく。丘の麓を時計回りに回り込み、雅樹の死角に入ったあたりで丘の稜線がわずかに光った。
「班長!」
砂煙を上げて飛び出したランドバギーを追うように白い煙が伸びていく。あわや激突という瞬間、バギーはひらりと向きを変え、オレンジ色の爆炎を突き破るように飛び出してきた。
『いや、今のは結構ヤバかったな』
荒い息混じりの笑い声がインカムに響く。
敵の目の前を突っ切り、反転して全速後退といった心臓に悪い挑発が繰り返される。
いつの間にか喉がカラカラに渇いていることに気づいた雅樹は、激しい動悸を鎮めようと無理やりバギーから目を離した。
ランチャーにペネトレータをセットし、痛みをこらえながら片ひざを立てた姿勢でスコープを覗き込むと、丘の稜線から敵の姿が現れるのを身じろぎもせずに待つ。
バギーを追ってまるで熱帯植物の花が開くように、鮮やかなオレンジ色の爆炎が次々と炸裂する。
その一方で、山崎はまるで相手の意志が読めるかのような見事なハンドルさばきで巧妙に着弾を避け続けた。
荒野に次々と咲く火炎の花。それは、秘めた破壊力とは裏腹に、ひどく現実離れした美しい光景だった。
だが、どこかでほんのわずかでもタイミングが狂うと、山崎はあのオレンジ色の火の玉にあっさり飲み込まれてしまうのだ。
危ないバランス。
これまでに何度となく構えたはずのランチャーが実際の重さ以上にずしりと肩にのしかかり、グリップを握る雅樹の手はじっとりと汗ばんだ。トリガーにかけた指が小さく震え、スコープを覗く右目に汗が入ってちくちくと痛む。
しかし、ついにそのバランスは崩れた。
目の前に生じた爆炎を避けようと急ハンドルを切ったバギーは、安定を失い横転したのだ。
『雅樹! 出てくるぞ!』
悔しそうな叫び声がインカムにこだまする。山崎に大したケガはないらしいが、シートベルトが絡んだのか、なかなかバギーから離れようとしない。
雅樹はごくりとつばを飲み込んだ。
山崎の叫びに呼ばれたように岩陰から装甲火星車が姿を現し、まるで獲物を狙う猛獣のように、ゆっくりと音もなく前進し始めたからだ。
彼は迷った。
(一体どこを狙えばいい?)
初弾で決める必要があった。
敵は今、こちらにまともな武器がないことを確信している。だが、一発でも撃ってしまえばその油断も消える。
失敗すれば、逃げ道のない山崎は木っ端みじんにされるだろう。
装甲車はついに全身を現した。
雅樹は小さくうなずくと覚悟を決めて勢いよく立ち上がり、敵にあえて全身をさらした。バギーを狙っていた砲塔が雅樹の姿を察知してくるりと向きを変える。
「今だ!」
チャンスは一度きり。
雅樹は息を留め、トリガーをゆっくりと引き絞った。
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