乾いた欲望~一大陸七国物語 宋国物語3

松浦 由香

第1話 夏の日

 今年の夏はどうかしている。

 このそう国でこれほどの暑さに見舞われたことは記憶がなかった。うだるような暑さ。というものを初めて経験した宗国の央都の人々は、熱中症にかかり、ありがた迷惑なサイレンがひっきりなしで行き交っていた。

「まったく、忙しい限りだ」

 馬車に揺られながら、急いでいる救急馬車を横目に見る。あの中に何人の患者がいるのだろうか? あの中に押し込められた時点で「死亡」してもおかしくないのじゃないか? とサミュエル・ガルシアは思いながら、前に座ってくすりと笑ったエレノアのほうを見た。

 エレノア・マルソンの美しさはますます磨かれているようだった。未だ、マクレガー縫製所の女工をしているが、そろそろそれも辞め時なのかもしれない。と思う。

 夏用の薄い青いドレスがよく似合っていた。

 サミュエルは少しつまらない顔をして馬車の少しだけ空いた窓に頭を傾げて、

「おかしいですか?」

 と聞いた。

「本当に、……本当にサミュエルは出掛けるのが嫌いなのね」

 そういったエレノアにサミュエルは首をすくめた。

「君のたっての願いでなければ出かけないよ」

「そう思っておきます」

「本当だよ」

「ええ、そうでしょう。でも、わたくしの後ろにいるロバートが居なかったら、出かけませんでしょう?」

 エレノアに言われその通りだと首をすくめると、エレノアは「素直な方」とほほ笑んだ。


 それが来たのは、数日前だった。

「央都は異常気象とかいうやつで非常に暑いらしいじゃないか、田舎で何もないけれど、人が少なくて過ごしやすいと思うんだ。ぜひ、夏の避暑に来ないか?」

 という手紙をロバートからもらってすぐ、エレノアの訪問を受けた。

 エレノアと会うのは実に二カ月ぶりだった。サミュエルの、ラリッツ・アパートの使用人夫妻、執事のジェームズと、彼の妻であるマルガリタはエレノアの訪問を快く受け入れ、手土産に持参してきたお菓子に感激していた。

「ロバートから手紙をもらいました?」

 お茶を飲んでからエレノアは微笑んだ。

「ああ、先ほどね。君も?」

「ええ、出不精のサミュエルをどうしても引っ張り出してきてほしい。と書いていますわ」

 と手紙を机に置いた。

 ロバートらしい少しせっかちで、だが大地に生きている領主らしく力強い文字で、「どうにかしてでもサミュエルを引っ張り出したいんだ。協力してくれないか?」と書いてあった。

 (君たちは、僕をに会いたいだけじゃないか?)と意地悪を言いたくなるが、そこは黙って微笑み、彼らのランデブーのために出かけることにした。

 今にして思えば、なぜそんなことを思うのだろう? と自問してしまう。だが、その時はそれが最善だったし、そういう感情のまま了承したのだ。

 列車の中でエレノアはきれいな指に本を納めて読んでいた。サミュエルも持ってきていた本を読んでいた。これはジェームズがポケットに入れていてくれたもので、ジェームズお手製のモノだった。それが珍しい装丁をしているのでエレノアが興味を示したが、

「これかい? これはこの一か月で捕まったり、死刑が決まった犯罪者の、」

「もう結構。……ジェームズはそういうものをかわいそうですわ」

 といった。

 サミュエルは眉を片方だけ上げた。だがこれは、ジェームズの趣味で、彼が日ごろから新聞を切り抜いたり、文章を写して蒐集しているものの一つに過ぎないのだ。新聞に載った小さな犯罪でも、その事件の内容―新聞公表分―その犯人と被害者の関係性など、それらをスクラップするのが、ジェームズの楽しみで、それをサミュエルは「」のだが、そこはエレノアのジェームズに対するイメージを大事にして悪者になることにした。

 央都の中央駅から数時間後、ロバート・アームブラスト男爵が治めるアームブラスト村に着いた。

 小さいけれどきれいな駅舎には、近所の人が花を植えたりしていた。

「ここはいつ来ても居心地のいい駅ですね」

 エレノアは誰に言うでもなくそういって、おいしそうに空気を吸い込んだ。サミュエルの感覚に、空気の良し悪しは無い。だが、確かにこの村は非常に「いい感じ」を受ける。たぶん、領主がしっかりしていて、村民は幸せなのだと判る。

 駅を出てすぐに馬車で待ち構えていた男がいた。ロバートの屋敷で雇ってもらっていて、ロバートが忙しいので代わりに出迎えに来たといった。以前会ったことのある男なので、男は久し振りだとか、ロバートがエレノアが来ることで舞い上がっているなど、ロバートが聞けば余計なお世話だと言いそうなことをずっとしゃべっていた。

「ロバート様は接客中でしてね、全く約束をしていなかったようですけど、古い友人だとか言ってましたね。子爵。だとか言っていたかな? でも、貧乏貴族ですよ。服がもう二代も古かった」

 男の言葉にエレノアはたしなめたりしていた。

 サミュエルは男の相手をエレノアに任せていたが、「ロバートの家に子爵の客」というところだけなぜか引っかかった。


 アームブラスト邸の門をくぐると、たくさんの人が庭の世話をしていた。その中に、ロバートの母親と、姉の一人、アリアナ・レスター子爵夫人がいた。

「あぁ、アリアナのところの息子かな?」

 サミュエルはぼそっと言った。

 ロバートのところにいる客をアリアナの息子のうちの一人だと思ったのだ。

 ロバートの母親とアリアナは、馬車から降りてくるサミュエルとエレノアを熱烈に歓迎した。

「ご無沙汰してます。レスター夫人」

「いいのよ、サミュ、あなたにそう呼ばれると嫌味に聞こえるわ。エレノアね? あなたとは、二回目かしら? あなたも、私をアリアナと呼んでちょうだい」

 アリアナは一番下の姉なので、ロバートと二つか、三つしか違わない。血色がよく、おしゃべりでよく笑う人だ。

「息子の誰かがロバートと?」

 サミュエルの言葉にアリアナは首を振り、

「うちの子供たちはサマーキャンプ中。お客様はシダークレー子爵。ご存じ?」

「シダークレー? ……ああ、先の大戦で活躍され子爵を受けたが、先代か、その前かが浪費癖があって、今は貧窮していると聞いていますが?」

「その通りです」

 そこに居た四人はドキリとして声のほうに振り返った。

 そこにやってきたのはロバートと、細身の貴族だった。

「サミュエル・ガルシア卿ですか? お初にお目にかかります。ヘンリー・シダークレー子爵と言います」

 といった細い男は、確かに流行から二代遅れた服を着ていたが、きちんと上までカラーを止め、カフスボタンもなかなかいいものをつけていた。だが、金がないのはところどころのほつれ具合で判る。

「いや、失礼を、」

「いいえ、本当のことですし。私なんかのことをあなたのような方が知っていることのほうが恐れ多い」

「……私は、私ですよ」

 サミュエルのひどく不快に冷たい声にロバート以下四人が首をすくめ、シダークレー子爵は気分を害してしまったかと顔を曇らせた。

「気にしないでいいですよヘンリー。サミュは特別扱いをされて気分を悪くする変わったやつなんです……そう、ねぇあなた、サミュにさきほどの話しをしてみませんか? 私では話を聞くだけだが、妙案を出してくれるかもしれないよ」

「いや、しかし、これはあまりにも私的で、それこそ、」

「いやいや、無理にここに連れてきたけれど、やっぱり、サミュがこの村で夏を過ごすには暇だろうからね。暇つぶし。と言っては失礼だが、何か事が起こるかもしれないよ」

 シダークレー子爵は渋っていたが、最後には、ロバートに根負けし、もう一度屋敷の中に入った。

「お茶に誘ったんだが、自分はそれを頂ける身分じゃないと帰るところだったんだ。だけど、こうなったら、お茶を飲んで、もう一度最初から話してもらわなければね」

 ロバートはそういうと、風通しのいい部屋にあるお茶の机に案内した。

「先に言っておくけれど、彼女も同席させますよ。彼女は秘書ですからね。よろしいですか?」

「秘書、ですか?」

「ええ、まぁ、しばらくすれば、婦人。と呼ぶようになるでしょうが」

「まぁ」

 エレノアが顔を赤くしてサミュエルの背中を叩いた。そしてお茶目に首をすくめシダークレー子爵に微笑んだ。

 お茶を飲み、サミュエルたちが来るために焼いていてくれたお菓子を食べ、一息ついてから、シダークレー子爵は話し始めた。

 風が南の窓から入ってきて気持ちよかった。

「シダークレーという名前は珍しくて、言いにくいそうで。これもでも、意味があるんですが。まぁ、それはさておき、

 まず、何から話したらよいか。

 アームブラスト男爵には、取り乱して、よく解らない話をしたことでしょう。

 そもそも、私が、男爵を訪ねてきたのは、近くにあります屋敷で行われた夏の宵の宴で声をかけてもらったからなんです。

 私は、皆さんも知っての通り貧乏貴族です。貴族という称号があるだけで、貴族手当でやっと食いつないでいるという有様です。私としては、近所の教会で日曜学校を開く程度しかできない。何とも情けない生活を送っています。

 それが、せっかく若いのだから。というので、誘われたのですが、やはり、居心地が悪くて、隅の方で料理を持って帰れるかどうかを使用人に尋ねていました。

 笑われてしまう話ですが、もし、持って帰れるのならば、二日分の食事には困りませんからね。

 ですが、返事はダメだというのです。もっともだと肩を落としていると、そこへ男爵が近づいてきて、

「食べきれない分は捨ててしまうのだからもったいないじゃないか。昨今の料理には脂が混じり、豚のエサにしようにも、豚が無駄に太ってうまくならない。だったら、持って帰って細君の手土産にしてもらった方が料理人も喜ぶというものだと思う」

 と言ってくださって、ありがたいことに料理を頂いて帰れることになりました。

 男爵はつねづね無駄に作る料理、それを捨ててしまっては、料理人がかわいそうだと思っていたと話しかけてくださり、持って帰るということは考えつかなかったと言って、ご自身もたくさんの料理を持って帰られていました」

「うちの料理人に食べさせて、研究させましたよ。かなりおいしい料理でしたからね。母などは古い人なので、そんなみっともないといったけれど、同じ料理をその夜料理人が作ってくれた時には、こういういろんな料理の研究のためにこれからは持って帰ってきてくださいとまで言われたよ」

 ロバートは笑いながら話した。

 シダークレー子爵は口の端を上げ、ため息をついた。

「そういう気さくな男爵ですから、私が、どこか心あらずなのも感じ取ったようで、もし、何か話したいときには来ていいとおっしゃってくださって。ですが、そうそう尋ねることもできず。そうしたら、一週間ほど前、お手紙をいただき、……変わりないだろうか? 君を煩わしていることが解決していたのならばいいが、もし、誰かに話でもして心がまぎれるのならば訪ねていらっしゃい。という手紙をいただき。もう、無我夢中で、約束などしていませんでしたが訪ねてきたわけです」

 ロバートの手紙を机に置いた。

 相変わらずの文字と、相手を気遣う言葉の温かさがにじみ出ている手紙だった。




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