不滅魔王の暇潰し旅

えのころ草

第1話 邂逅 前編

 

 むかーしむかしの大昔。

 どれぐらい昔かと言うと、ざっと千年前。


 この世界ノルンでは、百年もの長き間、世界征服を目論もくろむ魔族と、それを阻む人が相争う、争乱の時代があった。

 後に‟煌魔こうま大戦”と名付けられたこの戦争で、人は滅亡の危機に晒されるほどに数が減ってしまう。

 圧倒的な力を持つ魔王と魔王軍の前に、数多の勇者、英雄が挑んだが、その尽くが無残な最後を迎えていた。

 そんな時。

 世界の行く末を憂いた創世の三女神が、一人の心正しき青年に加護を授けた。


 一つが、星神より授けられた、何ものにも負けない頑強な身体。

 一つが、時神より授けられた、あらゆる敵意ある魔法への耐性。

 一つが、聖神より授けられた、全ての邪悪を断つに優れる聖剣。


 だが、この三つの加護と、さらに一枚岩となった人間達の力を加えても、魔族に拮抗する事は出来ても、勝利するには至らなかった。

 特に、魔王の力は絶大なだけでなく、その身体は不老不死にして不死身であった為、倒しきれない青年は幾度も危険な状況に陥る。


 そんな事態を打破する為、青年は三女神の力を借り、‟根源神”と呼ばれる、世界の外側にいる神に助力を求めた。


 願いを聞き入れた根源神は、青年にとある品を手渡した。

 それは水晶の様に透き通る、鋭い杭だった。

 ‟封神晶ほうしんしょう”と呼ばれるそれを、魔王の胸へと突き刺せば、魔王を倒す事は出来なくとも封印は可能。

 そう、根源神は告げた。


 青年は封神晶を受け取り、ノルンへ帰還すると、改めて魔王と対峙する。


 魔王と青年の最後の戦い。

 二人は七日七晩戦い続け、遂にその時がきた。


 魔王の一瞬の隙を見逃さず、その胸へ封神晶を突き立てる青年。

 轟く絶叫が、暗雲立ち込める空にすると、たちまちのうちに雲は切れ、合間から陽の光が降り注ぎ、戦いによって傷つき、荒れ果てた大地を優しく照らした。

 その光に反応する様に、封神晶は魔王の身体を瞬く間に飲み込んで、ようやく封印は完了したのだった。


 こうして、多大な犠牲を払いながらも、神の力を借りた青年の活躍によって、煌魔大戦は人間側の勝利で幕を閉じた。


 その後、青年は救世の勇者として人々に慕われ、三女神との間に子を儲ける。

 子らはそれぞれ新たに国を興し、現在の帝国、王国、聖教国の下地を造ったとも言われ、今日こんにちの我々へと至るわけである。


 封印された魔王は、今も聖教国が管理する神造遺跡の奥深くに、ひっそりと安置されているらしい。


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「という訳で、良い子にしていないと、その魔王が復活して、君達を頭からバリバリ食べちゃうぞ!」

 ニコニコと、人好きのする笑顔を浮かべてそう言うのは、黒い長髪を後頭部で一つに結い上げた、二十歳前後の青年。

 両サイドの髪から覗く耳はピンと尖っている。


 ややつり目がちで切れ長の眼は紫色で、猫の様に細く尖った瞳孔を持ち、さながらアメジストの様に煌めいていた。

 その顔は、老若男女問わず、思わず立ち止まって見入ってしまうほど美しい。

 手足も長く、スラリと伸びた肢体は、まさしく容姿端麗にして眉目秀麗。

 要は、絶世の美青年だった。


 そんな彼の着ている服装だが、かなりシンプルに纏められている。

 と言うか、ほぼ一色だ。

 上半身に羽織った、フード付きの丈の長い黒い外套コートの下には、袖部分を肩まで捲り上げ留めた黒いジャケットと、半袖で濃い灰色のシャツを着ている。

 外套の上から巻かれた黒い剣帯には、飾り気のない一振りの長剣が差してある。

 下半身は黒いズボンと、脹脛ふくらはぎまである黒いミリタリーブーツを履いており、およそアクセサリーと呼べるものは、首を隠すように着けられた黒いチョーカーだけ。


 その青年は、村の中央にある樹の下に座って、子供達を相手に昔話を語っていた。

 子供達も青年を取り囲む様に座って、大人しく話を聞いていたが、青年のその言葉を聞いて、ガキ大将っぽいガタイも声もデカい少年が立ち上がり、食ってかかる。

「ハンッ!そんな子供だまし、オレには通じないぜ!魔王なんて怖いもんか!もし復活しても、オレの鉄拳でやっつけてやるぜ!」

 シュッシュッシュと空中にジャブを繰り出しながら、威勢のいい事を言っている。

「そうだそうだ!大体、なんでオレ達が良い子じゃないと魔王の封印が解けるんだよ!リクツに合わねぇぞ!」

 ガキ大将の取り巻きっぽい連中も、立ち上がって拳を振り上げ、青年に詰め寄る。


「理屈ねぇ~。そう言われると……。参ったなぁ~」

 ボリボリと頭を掻きつつ、困った表情をする青年。

「こらぁ!男子!旅人さんを困らせるんじゃないわよ!」

 唐突に助け舟を出したのは、同じ様に座って話を聞いていた子共の一人。

 茶色い髪をツインテールにした女の子だった。


「はぁー!?てめぇ、コイツがイケメンだからってヒイキすんのかよ!」

「こっちはせーとーな理由を聞いてるだけなんですけどぉー!」

「ブスは引っ込んでろ!!」

「うっ……酷い……。何もそこまで……うっひっく……うわぁぁぁぁん!」

「男子最低」

「だから男って嫌いなのよ。野蛮人」

「ちょっ!泣くのはヒキョウだぞ!?だから女って奴は」

「けっケンカは……やめようよぉ……」


 なんて言い合いを始めたものだから、事の元凶を作ってしまった青年はオロオロする。

 仲裁に入った方が良いのか、入った結果余計話がこじれるんじゃないか、そう考えた末、ただ状況を見守る事になってしまっていた。


 そんな折だった。

 喧嘩を始めた子供達を見かねて、村の大人が声を掛けてくれた。

「こーら、やめろやめろ!旅人さんが困ってるだろ?」

 今まで畑仕事をしていたのか、大柄な男性はくわを肩に担いでいる。

 その状態で、器用に男子と女子の間に割って入ると、一度空を見上げた後、再度顔を子供たちに向け、続けた。

「そら、そろそろ晩飯の時間だ。家で母ちゃんが待ってるだろうから、今日の所は帰れ」

「ちぇ。わぁーったよ!じゃーな!」

 不貞腐れたガキ大将を筆頭に、子供達は次々に立ち上がり、思い思いの言葉を青年に告げて家路につく。

「またね!旅人さん!」

 最後に青年に言ったのは、さっきまで泣いていたツインテールの女の子だ。

 どうやら、嘘泣きだったらしい。

 まだ年端もいかない子供なのに、なかなかしたたかである。


「あー、悪かったなぁ。アイツらめんどくさかっただろ?」

「いえいえ。とても楽しかったですよ」

 青年も立ち上がり、尻をポンポンと叩く。

「アレを楽しいって言えるアンタも、なかなか神経が太いよな」

「そうでしょうか?」

 青年はキョトンと首を傾げる。

「一人二人ならまだしもなぁ~。っと、いけね。オレも帰らねぇと。そんじゃあな!旅人さん!」

 そう言うと、男性も家へ帰って行った。

 その背中を見送った後、きびすを返して、青年も泊まっている宿屋へと、足早に歩を進める。


 木造平屋の家屋がひしめく、この至って平均的で平凡な村は、王国と聖教国の境にある辺境にあった。

 特に土地が枯れているという訳でもないが、特産と呼べる物は無く、ただ野菜や穀物を育て収穫し、日々の糧を得ているだけの、何の変哲もない村だ。


 青年は、ふと足を止め、自分の目に映る景色をボンヤリと眺めた。


 夕暮れ時の為、茜色に染まった空は高く澄んでいて、綿菓子の様にポツポツと浮かんでいる雲を赤く色付けしている。

 季節がもうすぐ夏に差し掛かるせいもあって、穏やかに吹く風の中には、僅かに熱気が混じっていた。

 草むらや畑だけに限らず、そこかしこから夏の到来を告げる虫のが聞こえてくる。

 空には数羽、優雅に泳ぐ鳥の姿があった。


 リーリー、ギーギーと鳴く虫の声に、青年は微かに目を細める。

 そこに映る色を読み取る事は出来ないが、少なくとも不快感でないのは断言出来た。

 青年の目の前を、茶色いにわとりが二羽、悠々と横切って行った。

 この村に養鶏場や牧場の類いは無い事から、どこかの家で飼われているのか、それとも村自体で飼っているのか、鶏を追いかけてくる人もいない為、逃げ出した訳では無いようだ。

 なんて事をつらつらと考えながら、鶏を目で追う。


 平和だ。

 欠伸あくびが出るほど平和だ。

 平和のなんと素晴らしい事か。

 日がな一日、だらだらぐだぐだしていても誰も気にしない。


 平和って最高。


 最終的に、そんなありきたりな感想に行き着く。

 そして、青年はまた歩みを再開した。


 ザリザリと、乾いた大地を踏みしめて歩くこと五分。

 宿屋に到着する。

 なんてことは無い、普通の宿屋だ。

 他の家屋と同じ木造平屋造り。

 扉の近くでぶら下がる、宿屋を示す看板だけが、他との違いを主張していた。

 宿内の主な部屋は、客室が二つと宿屋を営んでいるオーナーの自室が一つだけ。


 そんな簡素な宿屋に宿泊して、もう三日。

 金銭の蓄えや持ち合わせなんてものは無い為、宿代代わりに細々とした雑用や子供の世話をすることで、タダで泊めてもらっている。

 それだけで夕飯も出る。

 働き盛りの若者の半分以上が、主要な都市へ出稼ぎに行っているせいで人手が足りないとは言え、かなり太っ腹な主人だ。

 今日、子供達の相手をしていたのも、そういった事情があったから。


 そうは言っても、いつまでもこの村で滞在する訳にもいかない。

 別に、宿屋の主人に気兼ねをしている訳では決して無い。

 むしろ、この村に永住しないかと逆に提案されているぐらいだ。

 固辞しているが。


 やらなければいけないことは無い。

 やりたいことも無い。

 やった方がいい事はあるけれど、別にやらなくても問題は無い。


 だらだらとそんな事を考えながら、青年は宿屋の扉を押し開けた。

 ギィッと、草臥くたびれた音が鳴る。

 その音に反応して、カウンター内で溶けたチーズの様にだらけていた、宿屋オーナーの男がシャキッと背筋を伸ばす。


「おかえりなさい!旅人さん!」

「お疲れのようですね。カーターさん」

 そう青年が声をかけると、カーターと呼ばれた小太りの中年男性は、ははっと苦笑しつつ、禿げた頭を掻く。

 数本の貴重な頭髪が宙を舞い、それに気づいたカーターは慌てて掻くのを止めた。

「はは、いやまぁ、それほどでも」


 実際、カーターは宿屋の主人であるが、こんな辺境の村では訪れる客などたかが知れている。

 月に一人、二人来れば御の字だろう。

 そんな訳で、宿屋業だけでは食っていけないカーターは、昼過ぎから夕方まで村の畑で働いていた。

 そこで採れた規格外の野菜を分けてもらい、自分の食事と客の食事を作っている。

 本来なら金の無い青年など門前払いなのだが、青年は非常に見目麗しい為、破格の待遇でもてなされていた。


 話が逸れたが、今カーターが疲れ切っているのは、その畑仕事が理由だ。

 夕方になれば多少は涼しくなるものの、季節はもうすぐ夏。

 昼など水分補給を怠れば、すぐにでも熱中症で倒れてしまうほど暑い。

 加えて、ここ最近晴れの日が続いている。

 カーターがチーズの様に溶けてしまっていても、誰も責められはしない。


「旅人さんも、子供達の相手は疲れたでしょう?すぐに夕飯を作って持っていきますから、部屋で休んでいて下さい」

 フラフラとした足取りで立ち上がり、自室に消えていくカーターを見送った後、青年も部屋へ戻る。

 宿屋に入って真正面奥に二部屋。

 青年が連泊している部屋は、その左側だ。


 部屋の扉を開けて、目に飛び込んでくるのは、窓が一つとシングルベッドが一つ、燭台が一つにチェストが一つだけ。

 装飾品?何それ美味しいの?と言わんばかりのシンプルオブシンプルである。


 青年は剣帯を外すこと無く、外套を脱ぐことも無くベッドにうつ伏せにダイブする。

 ギシィッ!!

 とベッドが盛大な悲鳴を上げるが無視。

 ベッドの布団やシーツは交換されているおかげで、ボロくとも清潔には保たれている。

 布団からは香ばしい陽の匂いがした。

 その匂いを思い切り吸い込んで、吐く。

 そのままの体勢でいると、途端に睡魔が襲ってきた。


 うとうとしながら、しみじみ思う。

 生身の肉体では無いのに、五感があり食欲も睡眠欲もある。

 本当は食事も睡眠も必要ないが、我慢するのは性にあわない。

 唯一の救いは性欲が無い事。

 元々希薄だったが、この状態になってからは完全に消えたように思える。

 スタイルの良い女性を見ても、何の感情も湧かない。

 これはこれで不健全なのか?

 でも性行為なんて、それこそ飽きるほどやったからな……。


 青年はそんな不道徳な事に思いを巡らしていると、いつの間にか眠ってしまっていたらしく、しばらくしてからカーターが扉を叩く音で目を覚ました。


「旅人さん、入りますよー?」

「ふゎ……あ。はい。どうぞ」

 青年が欠伸をしつつ、ベッドからムクリと身体を起こしてそう言うと、ガチャリと扉が開き、カーターが入ってくる。

 その手には、夕飯の乗った盆を持っていた。


「今日は温野菜とスクランブルエッグにバケットですよ!」

 夕飯、と言うよりは朝食がお似合いのメニューだ。

「ありがとうございます。今日はずいぶんと豪華ですね」

 そう。

 これで豪華なのだ。

 今までは野菜炒めとパン。サラダとパン。素揚げした野菜とパンなどなど。

 どれもこれも野菜とパンだけだったのだが、ここにきて卵が加わってきたのだから。

「ええ!今日はくじ運が良かったようで!いやぁ、毎日こうだといいんですがねぇ」

 どうやら卵はくじ引きで手に入れたらしい。

「おめでとうございます」

 当たり障りのない言葉で祝う青年。

 カーターはテーブル代わりのチェストへ、盆を乗せながら礼を言うと、名残惜しそうに部屋を出て行った。

 ふっとため息を吐き、夕飯を食べ始める青年の目は、どこかうんざりしている様にも見える。


 もそもそと食べ始め、ものの十分程度で食べ終わると、青年はさっさと盆をカーターの元へ返しに行く。


 その後、改めて部屋に戻り、再度ベッドにダイビング。

 先ほどよりも大きく軋むベッド。

 まだまだ夜は始まったばかりだが、もう誰にも邪魔されることも無い為、青年はこのまま本格的に寝る事を決める。

 明日、明後日あたり、いい加減村を出発しよう、と心に決めると、あっという間に青年の意識は夢の世界へ旅立って行った。


 夜更け、または深夜。

 突然青年は、不穏な気配を感じて、パチリと目を覚ました。

 そのまま、ベッドを鳴らさないようにゆっくりと起き上がり、そっと部屋を出る。

 宿屋には、阿呆みたいに大きいカーターのいびきが轟いていたが、青年は気にせず入り口の扉を開けた。


 外は宵闇が支配しており、二つの月が煌々と空に輝いている他は物音一つしない。

 動物の声はおろか、虫の声も無い。

 耳に痛いほどの静寂の中で、空気だけが電気を帯びたようにピリピリと痛い。

 生ぬるい風が、宿屋を出た青年の頬を緩く撫でる。

 青年が鋭く周囲を見回していると、それは唐突に起こった。


 隕石でも落下したかのような轟音と地響き、そして爆発。

 青年の視線の先。

 斜め左の家が勢いよく吹き飛んだ後、キャンプファイヤーの如く燃え盛った。

 あの家は確か、村長が住んでいたはず……と考えていると、村長宅から飛び散った火が近くの麦畑に落ち、あっという間に燃え広がる。

 青く伸びていた若葉を、無情にも赤い炎が飲み込んでいく。

 パチパチと拍手の様な音が、村長宅と麦畑からやかましいほど鳴り響き、さらに炎が周囲と空を眩しいほど照らし出した。

 ここしばらく雨は降っていない。

 乾燥した草はさぞかしよく燃えるだろう。

 熱風が青年の黒髪をもてあそぶ。


(爆発の規模からいって、村長の生存は諦めた方がいいな)

 青年は早々に見切りをつけると、周りを見渡して爆発の原因を作った者を探す。

 そしてそれは、すぐに見つかった。

 村の外、少し離れた平原の奥で、木陰に隠れて蠢く黒い小鬼の姿が数匹見える。

 さて、殺そうか、見逃そうか。

 そう考えた所で、轟音に驚いた村人達が家々から飛び出してきた。

 紅蓮に染まった村長宅と畑を見て、皆驚愕と共に悲鳴を上げている。


 青年の背後で、けたたましい音を立てて扉が開く。

 そしてドタドタと、裸足のカーターが鼻息荒く出てきた。

「な!?な、何があったんですか!?」

「それが、俺にもさっぱり。出てみたらすでに村長の家が……」

 嘘である。

 面倒な追及を免れるためには、嘘も方便という訳だ。

「あぁ!そんな!村長!!畑まで!」

 パチパチと、弾ける音を立てて燃える村長宅と畑を見て、カーターの顔色が真っ青になる。


 我に返った村の人達が、急いで桶に水を汲んで畑へと撒いているが、畑の炎はもはやその程度ではどうにもならない程の火柱へと成長していた。

 村人達が、村長宅ではなくまず畑を消化しようとした理由は明白。

 辺境にあるこの村は、これから冬に向けて食料の備蓄が必須だ。

 もうすぐ夏になるとは言え、まだ春。

 気が早いと思うかもしれないが、辺境であるが故にこの先何が起こるか分からない、そう言う危機感の表れである。

 だから、生存が絶望的な村長より畑を優先したという訳だ。

 なかなか合理的判断で、冷徹と言い換えてもいい。

 さらに付け加えると、村長宅と他の家屋はかなり間隔が開いているので、延焼の危険が低い、という事もあったのかもしれない。

 もちろん風向きの有無等の条件もあったが、幸いな事に今日は無風に近かった。


「カーターさん。遠くに魔族の姿が確認できます。これは、そいつらの仕業でしょう」

「ま、魔族!?」

「俺はこれから、そいつらを退治してきますが、カーターさん達も念の為気をつけて下さい」

「た、旅人さん!?」


 怯え、困惑するカーターの声を置いて、青年は走り出す。

 燃える家と畑の間を、風のように疾駆し、消火活動に勤しむ人々を尻目に、瞬く間に村を出た。

 言っておくが、決して消火活動が面倒だった訳じゃない。

 ただ魔族退治の方が楽だったからだ。


 村の外は、背の低い雑草が広がる青い草原。

 奥に真っ黒い森が見える他は、所々でまばらに木々が生えているだけで、特に特筆すべき点は無い。


 その木々に隠れるようにして、小鬼達は潜んでいた。

 夜間も相まって、通常であれば見つけるのは困難なはずだが、青年は迷いのない足取りで、草を蹴散らしながら一直線に向かって行く。


 ギイギイと小鬼が鳴く。

 声色から、恐らく困惑、又は焦燥の類いだろう。

 青年は薄く微笑んだ。


 小鬼は、身長一メートル程度の大きさで、灰色の肌と赤い目を持ち、額からはねじくれた短い角が二本生えていた。

 餓鬼の様な体型をしているので、お腹だけが不自然にぽっこりと出ている。

 服、と呼べる物は着ておらず、唯一腰に巻いた襤褸切ぼろきれの様な布が、辛うじてその役目を果たしていた。


 そんな小鬼が計十体。

 内六体が手に棍棒を持ち、残りの四体が角と同じ様な捻じれた杖を持っている。

 恐らくこの杖持ちが村に攻撃を仕掛けたのだろう。


(さて、どう殺そうか)


 走りながら悩む青年に向けて、杖を持った小鬼の内二体が魔法を放ってきた。

 赤々と燃える火球が二つ。

 大きさは一抱ひとかかえほど。

 それが、青年に向かう途中で合体し、元の大きさより一回り大きくなる。

 村長宅を襲ったのも、この火球であると推察される。


 高速で飛来する火球を、青年は腰の剣を抜き放ち、そのまま流れる様に叩き斬る。

 二つに分かれた火球は、青年の両サイドで派手に弾けた。

 その爆発を置いて、走る速度をさらに上げる。


 ギイギイとさらに鳴いて、今度は棍棒を持った小鬼が、総掛かりで青年に向かって行く。

 小鬼が火球で追い打ちを掛けてこないのは、同士討ちの危険があったからだろう。

 と思っていたら、杖持ちの小鬼が火球を作り出すのが見えた。

 しかも四体同時だ。

 そして放つ。


 四つある火球の内二つが、先ほどと同じように青年に向かうが、残りの二つは青年を無視して村へと飛んで行く。

 一拍の後、背後から盛大な破壊音が響き渡る。

 距離がある為、村人の悲鳴は聞こえてこないが、恐らくは運の悪い何人かが死んだだろう。

(ご愁傷様)

 冷たくそんな事を考えながら、青年は急停止し、合体せずに来た二つの火球を続けざまに薙ぎ払った。


 先刻と同じく、切り分けられた火球が爆発し、黒煙が発生する。

 耳をつんざく様な爆発音を、顔をしかめて耐えると、煙を突き抜けて小鬼六体が覆い被さるようにして飛びかかってきた。


 一体を剣で縦二つに両断。

 二体を剣で薙ぎ、横二つに両断。

 一体を足で蹴り飛ばす。

 二体を魔法で圧殺。


 あっという間に小鬼の骸が出来上がる。

 周囲にバラバラと散らばっているのは、小鬼の中に詰まっていたモノだ。

 唯一、蹴り飛ばされただけのラッキーな小鬼は、すぐに仲間の元へ逃げ帰っていく。

 まず間違いなく内臓が破裂しているだろうに、その動きは鈍っていない。


(もう少し強めに蹴るべきだったか。だが、あれ以上強いと、中身が飛び散って服に付くから嫌だな)

 青年は呑気に服の心配をしながら、逃げていく小鬼の背中を、これまた呑気に見送った。

 剣に付いた血を、一度振って血払いする。

 青年から小鬼達までの距離は大体家三軒分。

 やろうと思えば一足で辿り着ける距離だが、青年は欠伸をするだけで追う気配は無い。


 無事、仲間の元へ戻った小鬼は、相変わらず壊れた蝶番の様な、軋んだ鳴き声で喚いている。

 察するに、逃げるか戦うかで揉めているんだろう。

 青年をチラチラと伺いつつ、身振り手振りで必死に説得している。


 ややあって話が纏まったらしく、小鬼達は青年に背を向けて敗走する。

 つまり、背後にある森へ向けて走り出した。

 

 青年は、その小鬼達の背中目掛けて、持っていた剣をぶん投げた。


 鋭く風を裂く音が鳴る。

 甲高い笛を思わせる音だ。

 そして、剣はラッキーだった小鬼の背中に吸い込まれる。

 そのまま小鬼の身体を貫通した剣は地面に突き刺さり、はりつけよろしく小鬼の身体を固定した。

 一瞬で絶命した仲間を見て、てっきり見逃してくれるものと思っていた杖持ちの小鬼達は、地団駄を踏みながら、青年を指差して抗議の声を上げる。


「何を怒っている?お前達、仮にも魔族の端くれなら、死んでも殺してやると言う気概ぐらい見せろ。情けない」


 青年が呆れ果てた声で言うと、それを聞いた小鬼達が雄叫びを上げた。

 どうやら小鬼達は、人語を喋れはしないが理解は出来るらしい。

 次々と上空に火球を作り出して、青年へ向けて落とす。


 青年の剣は、ちょっと前にぶん投げてしまい、今手元に無い。

 先ほどの様に、火球を剣で叩き斬る事は出来まいと、小鬼達が歪にわらった。

 醜悪極まりない笑顔を、青年の妖しい微笑が迎え撃つ。


 トントンっと、青年はつま先で地面を叩いた。

地殻槍ガイアランス

 途端、小鬼達の足元の地面が隆起し、そこから鋭い岩の槍が出来上がり、生き残った四体の小鬼達を貫く。

 文字通りの瞬殺。

 百舌鳥モズの速贄状態だ。

 とは言え、例え術者が死んだとしても、一度放たれた魔法は消えない。

 後数秒もしない内に着弾する火球を、さてどうするのかと言えば。


 おもむろに青年は指を鳴らす。

 パチンと軽快な音が響いた瞬間、全ての火球が毛糸玉を解くが如く、空中に掻き消えた。

 なんの盛り上がりも無いまま終了した戦闘に、青年はハアとため息を漏らす。


「……つまらん」


 ボソリと呟きながら、地面に串刺しになった剣を抜きに行く。

 そこに刺さっている小鬼の死体を足で落とした後、再度血払いをして鞘に戻す。

 さらに足で地面を叩き、隆起していた大地を元に戻す。

 これで、小鬼の死体以外は元通り。

 さて、村の消火活動でも手伝ってやるか、と思いつつ振り返ると、こちらに向かって走ってくるツインテールの女の子が見えた。


「旅人さん!旅人さん!!」

「あれ、君は確か村の……」

「大変なの旅人さん!!村が魔族に襲われて!」

 少女が、ハァハァと息を切らす。

「……あぁ、それなら今しがた倒したよ」

「違うの!もっと大きい、ドラゴンみたいな奴とか、獣っぽい人達なの!」

「竜種と獣人種?こちらは囮か。……ふーん」

「お願い!助けて旅人さん!!」

 少女がまたたいた。

「……わかった。案内してくれる?」


 少女は、うん!と元気よく頷き、青年と共に村へと走る。

 少女の背後で、青年は楽しそうに口の端を薄らと吊り上げて嗤った。


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 戻った村は、それは酷い有様だった。

 家も畑もぼーぼーと燃え盛り、もはや無事な家を探す方が難しいぐらいだ。

 青年が泊まっていた宿も燃えている。

 凄まじい熱気と渦巻く煙のせいで息苦しさを覚え、ジリジリと肌が炙られる感覚に不快感を抱く。

 気をつけていないと服の裾が燃えてしまいそうだ。


 この盛大な炎のおかげで、村の周囲までもが真昼の様に明るい。

 近くを飛んでいた蛾が、炎に飛び込んで燃え上がる。

 

 村長宅以外に家が三軒ほど追加で吹き飛んでおり、その近くで真っ赤に燃え上がる塊が数個確認出来た。

 多分、元人間だったであろうモノを横目に、少女と青年は紅蓮の村内を走る。


「ところで、村の人達はどこにいるのかな?」

 走りながら、青年は少女に訊ねる。

 そう。

 青年が村を飛び出した時には確かにいた村の人達が、今は人っ子一人見えないのだ。

 それどころか魔族の姿も見当たらない。

「みんな教会に避難してるの!あそこなら女神様が守ってくれるからって!でも魔族に囲まれちゃって……。だから急いで!」


 少女が言っている教会は村の中央にある。

 鐘楼を備えたレンガ造りの教会は、確かに木造の家に立てこもるより遥かに安全だろう。


 少女を先頭に、青年は艶やかな黒髪と外套を翻して駆ける。

 この村はそれほど広くない為、突っ切る様に走っている今、もう間もなく教会が見えてくるはずだ。

 しかし、何故か教会まであと少しという所で、唐突に青年は立ち止まった。

 それに気づいた少女も、必然立ち止まる。


「どうしたの?旅人さん、あと少しだよ?」

「……くだらない茶番はここまでだ」

「……え?」


 突如口調の変わった青年に困惑する少女。


「お前、魔族だろう?」

「……え?」

「しらばっくれても無駄だ。少し考えればわかる。そもそも、教会が魔族に囲まれているならば、お前はどうやってそこから抜け出した?」

「そ、それは、秘密の抜け道があって……」

「虚言だな。そんなものがあるのならば、お前のような子供ではなく大人が来るべきだ」

「こ、子供にしか通れない大きさなんだもん!」

「よしんばそうであったとしても、魔族の目を掻い潜った上、無事に私の所まで来れるか?お前が言った獣人は嗅覚が鋭い。竜種は音に敏感だ。そんな奴らが、逃げ出した子供を放っておくはずが無い」

「…………」

「何より、人間はに瞬きなどしない」


 青年がとどめを刺す様に言った瞬間、少女の身体は膨張し、脱皮するかの如く皮膚を破って、ヌラヌラと光る鱗が姿を見せた。


 中から出てきたのは、竜、と言うより蛇とワニと人間を掛け合わせた様な不格好な魔族。

 上半身が人間、下半身が蛇、頭がワニといった感じだ。

 身の丈はざっと三メートル。

 この大きさを、どうやってあの小さな身体に収めていたのか不思議で仕方ない。

 その魔族は、銅鑼どらの様なデカい笑い声を上げた。


「ブゲハハハハ!よく見抜いたな!褒めてやるぞ人間!そうとも、このオレ様が竜種の魔族よ!泣いて命乞いをするがいい!逃がさねえがなあ!ガーッハッハッハ!!」


 音量設定を間違えたかのようなやかましい声に、思わず青年の顔が不快気に歪む。

「竜種は誇張こちょうしすぎだな。当人達が知ったら激怒するぞ」

 そして冷めた目で、自称竜種の魔族に忠告する青年。

「ああ?なぁーに言ってんだ!どこからどう見ても竜だろうが、ああん!?」

 胸を張って言い切る魔族に、青年はポカーンと口を開けて呆れ果てる。

「あー……単細胞系か。気の毒に」

 憐れみを宿した目で呟く。

 そんな青年の横を、脱いだ少女の皮が風に流されていき、蛾と同じように炎に呑まれて消えた。


「ゲェヘヘヘヘ!余裕ぶっていられるのも今のうちよぉ!テメェもオレ様の皮にしてやるぜ!中身は美味しく頂いてやるから安心しなぁ!」

「…………」


 もう何も話したくない。馬鹿がうつるから。

 青年の内心をありありと映した目は、極寒もかくやと言った様相だ。

 そして、盛大なため息を吐きつつ腰の剣を抜いて、自称竜種の魔族に対して手をこまねいて挑発する。

 もういいから、さっさとかかって来い。

 という事らしい。

 魔族の尻尾、いや下半身か。

 それが一度大きく地面を叩く。

 どうやら青年の発言が気に障ったみたいだ。


「いい度胸だ、人間」

 魔族は地の底から響く様な低い声で言うと、おもむろに指笛を吹いた。

 ワニ頭なのに、指笛なんてよく出来たな。

 ある種、感嘆に値する、等と緊張感の無い感想を抱く青年。

 ピィーッと甲高い音が、燃え盛る炎を切り裂いて辺りに響く。

「だがな!誰が一対一でやるかよ!手下達でなぶり殺しにしてやるぜ!」

 情けない事を堂々と言う魔族に、青年は泣きそうな表情をして、頭をフルフルと振る。

 それを絶望の表情と勘違いした魔族が、さらに大声で笑う。

「今さら後悔したって遅せぇ!ガアーッハッハッハ!!」


 と、突然、顎が外れそうなほど大口を開けて笑っている魔族の背後、つまりは教会方面から白刃の光がほとばしった。

 次いで爆発音と地響き、その後に粉塵が青年と魔族を襲う。


 何事かと目を丸くして驚く二人。

 その二人に向かって、一人の人間が駆けてくる。

 焔の如き紅い外套に身を包んだ人間は、高く跳躍すると、青年と魔族の間に降り立つ。


 性別は男。

 年齢は十七、八程度だろうか。

 所々跳ねた金色の髪と、柘榴ガーネット色の眼が特徴的である。

 青年ほどでは無いが、それでも美形に属する顔立ちだ。

 丈の長い深緋こきひ色の外套の下には、裾を出した白いシャツが見えている。

 下半身は、シャツとは対照的な黒いズボンと茶色のミドルブーツを履き、腰の焦げ茶色の剣帯には長剣が下がっていた。


「大丈夫ですか!?お怪我は……」

 そう言って振り返った青年は、青年の顔を見るなり凍りついた。

 同じように青年も固まっている。


「な」

「は」

 前者が赤金の青年。

 後者が紫黒の青年。


 一瞬の静寂。


「魔、王?」

「よお勇者。奇遇だな」

 前者が赤金の勇者。

 後者が紫黒の魔王。


 実に千年ぶりの邂逅だった。

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