全て、覚えている(2)

 幌馬車の中からリーヴスを覗いている限り、行軍中のトラブルあるいは戦闘は、いずれも散発的なものだった。

 アンラウブ城出撃後の5日間、蛮教徒カルト主力部隊は特に脅かされることもなく、我がもの顔で街道を進む内に、高低にうねった渓谷に入っていた。


「これまであれだけ苦戦していたのが嘘のようだ」と機嫌よくほくそ笑む余裕もリーヴスにはある。

「“骸軍”とて、これほどの兵力を前に、手出しのしようがわからんのでしょう。ただし、残念ながら時間が味方するのは“骸軍”です。ずっとこうはいきません」

 純粋な兵数の差、残り乏しい信用源、軍隊としての質的・量的な規模――冷静に自軍の状況を見つめているサウガ参謀長は、さすがに浮かれるつもりにならないようだった。

「そう、時間は我らの味方ではない。だからこそ“断固たる拒絶”作戦OARではないか」

 リーヴスはその笑みを全く緩めず、むしろ下弦の月のように口元をにんまり開いた。「楽しいな。これだけの軍勢でさえも、前座に過ぎないのだから」

「……ところで、“骸軍”はこちらの想定通り、アリゴラ手前のグランカゼルに防衛網を敷きつつあるようです。兵力規模は人馬少なくとも5000以上、配備される“悪骸”は50体程度と、つい先ほどハイバルからの一報がありました」

 ハイバル――その名前がサウガ参謀長の口から聞こえたので、幌馬車の中から私は自然と聞き耳を立てた。

「“悪骸”50体程度、か。こちらの偶像アイドルと同数分はかき集めたようだな。それが連中の精一杯か」

「我々の全ての偶像アイドルを動かせるのであれば屁でもない数ですが、そうはいきますまいな。グランカゼルを抜けるのは苦労しそうです」

 サウガ参謀長がため息をついたところ、突然リーヴスはその眼光をびかりと光らせ、彼を睨みつけた。

「神衛隊への“筒”の教練に抜かりはないか?」

「は?」

 急な詰問に、サウガ参謀長はやや焦りながら答えた。「え、ええ、手配は終えていますが。どうかされました?」と彼が応えると、今度はリーヴスが失望のため息をついた。

「手配するだけなら小僧でもできるぞ、サウガ。教練に抜かりはないか、と聞いたのだ」

「基本動作は伝達済みですが……」

「もうよい、貴様自身が確信が持てないなら今から叩き込んでおけ。今夜になって“筒”が使えなかった、などと泣き言を私に聞かせるなよ」

「今夜?」

 サウガ参謀長はすぐにリーヴスの言わんとすることを理解したらしく、「はっ、徹底させます」と答えた。

 私も聞いたことがない。“筒”とは何だろう?



 リーヴスの口にした“筒”が何かはわからないまま、その後も事変は起こらず、時刻は日没へと差し掛かった。

 彩度を落として空はみるみる低くなり、箒で掃いたような薄雲が、日没の残光と夜が交じる天蓋を取り持つように浮かんでいた。

 峡谷の傾斜がなだらかになったところで、街道から少し逸れた中腹の岩場が今夜の宿営地だ。沢の方へ降りれば一筋の小川が流れており、その控えめな水音が岩肌を滑り下りる風を震わせて、まるで虫の卵のように点々と散らばった天幕の表面をはためかせていた。

 私とソフィは幌馬車の外に立ち、その穏やかな光景の中に自分の意識を浸していた。私たちの寝起きする天幕は兵士が立ててくれる。食事も作ってくれる。だからこうして何もせずに眺めていることが許される。


 徐々に日は傾き、空にはひとつ、ふたつと星の瞬きが現れて、地上には松明が灯り始める。兵たちにパンが配られ、そこかしこで煮炊きが始まった。

 今夜も静かな夜になりそうだと思った時だった。


「て、敵襲――!」


 渓谷の向こうから、ほんの微かに悲鳴が響いた気がした。ほんの微かに、だ。それきりまた何も聞こえなくなった。

 気のせいかと思った時、ソフィが私に話し掛けた。

「今、何か聞こえなかった?」

 彼女の表情は、外敵を察知した野ウサギを思い出す。

 ソフィにも聞こえていたなら、気のせいじゃなさそうだ。

 設営や煮炊き作業にあたっている他の兵士は気づいていないのかもしれない。私たちは幌馬車の傍から自分たちの天幕へと、足早に向かうことに決めた。


 その途中、2頭の黒馬が夕闇の中から飛び出して、私たちの行く手を阻んだ。

「ウィルダ殿、ユリスキア殿、夜襲だ。まもなくここまで来る」

 騎乗していたのは他ならぬリーヴス。もう1騎が付き従っており、白面布で目元から下を隠した、全身が白装束の兵士だった。「後ろに乗り給え。陣中で一番安全な場所へ行く」

「安全な場所?」

 ソフィが戸惑いを見せる。「……あの、ここは陣地の一番真ん中で、ここが一番安全なのではないですか?」

 リーヴスは「相手が人間ならそうだな」と短く応じただけ。

 襲撃相手が理甲だと、彼は予見しているようだった。


 先ほど悲鳴が聞こえた方向を見ると、峡谷を登り切った縁のところに、こちらを見下ろす人影が見えた。その数、12体ほど。輪郭からは鎧のような形状が伺える。

 その影が、急にノミのように大きく夜空へ跳躍したかと思うと、こちらへみるみる迫ってくる。


 ああ、間違いない、あれは理甲だ。

 連邦軍の襲撃だ。


「早くせよ! “悪骸”がここに来る!」

 白装束の兵士が怒鳴った。私はリーヴスの馬へ、ソフィは白装束の兵士の馬へそれぞれ力づくで引き上げられ、2騎は谷底へ向かって猛然と駆け出した。

 欠けた月の光は弱々しく、足場は岩だらけ。しかし、リーヴスの馬術は卓越していて、迎撃のため四方八方に交錯する兵士たちをすらすらとかわしながら風よりも速く斜面を駆け下りていく。


 背後から兵士たちの絶叫と怒号、偶像アイドルのものと思われる地鳴りのような咆哮が、爆発するように連鎖する。あっという間に戦闘が始まった。

 襲来した理甲は12体、つまり1個小隊規模。奇襲にしては思い切った投入数だが、腐っても数十体の偶像アイドルが控えるこの主力部隊の全てを撃滅できる数ではない。連邦軍の目標は、恐らく他にある。


 でも、私たちはこのままどこへ。

 リーヴスの肩越しに進行方向のずっと先を見れば、谷底に近い場所にいくつかの松明とふたつの天幕が立っていた。まるで本隊からはぐれた迷子のように、ぽつねんと。兵たちの人影はなく、待機する偶像アイドルもいない。


 逆に背後へ振り返った瞬間、宿営地に殴り込んだ理甲の内、5体がこちらへ向かって跳躍を始めるのが見えた。あの動きは、私たち2騎を捉えている。

 どうやら狙いはリーヴス本人か、この緊急時にリーヴスが向かう場所のようだ。確かに、彼の豪奢な服装と、威風堂々とした体格は遠目にも目立つ。それが本隊の集積する宿営地から1騎のみ従えて一目散に逃げ出したとあれば、誰でも追いかけるに決まっている。

「殿下! “悪骸”5体がこちらへ!」

 背後を追いかける白装束がリーヴスに叫んだ。駿馬の脚でも追いつかれるまでほとんど時間はない。

 さて、どうするつもりだ、リヴァー・リーヴス。


「か・ま・え――ッ」


 唐突に、リーヴスの張り声が渓谷に響いた。

 彼は眼前のたったふたつの天幕が立つのみの宿営地に向けて叫んでいた。すると、その陰から10名の白装束の兵士が即座に現れる。槍も矢も持っていないが、彼らは“筒”を抱えていた。大男の腕一本ほどの大きさで、かつ赤く火が燻る紐らしきものがくっついた“筒”。5名ずつ横2列にしゃがんで、こちらへその“筒”先を向けた。

 私たち2騎はその横列の隙間をすり抜けて180度取って返し、馬の鼻先を迫りくる理甲たちへと向き直る。

 追手はすぐそこまで来ている。あと2跳躍ほどでここに到達するだろう。

「まだ待て。引きつけろ」

 腹の底に響くような重い声でリーヴスは命じ、むせ返るような殺気で白装束たちは応えた。

 まさか、この10人ぽっちで正面から殴り合うつもりか。いくら何でも自殺行為だ。


 だが、そこで理甲たちは不可解な挙動をする。あとひと跳びというところで、私たちの眼の前で、つんのめるように急停止したのだ。5体全て揃いも揃って、何かに気づいて怯えたかのように。

 そして、その隙をリーヴスが見逃すわけもない。

「は・な・てェ――ッ」

 号令一下、まずは前列5名の白装束たちの構えた“筒”の先から、耳を貫くほどの音が轟いた。

 それと同時に、立往生した5体の理甲の内、複数の装甲ないしは装甲の隙間が突然砕け散った。


――何だ、今の攻撃は!?


 無傷で残った理甲も、即座に後列5名の白装束による“筒”の第2派の轟音によって、片手片脚を吹き飛ばされてしまう。

 ほんの数秒で、5体の理甲全てが損壊してしまった。


 蛮教徒カルトの攻撃は終わらない。次いでリーヴスは、鞘から抜き去った白刃を理甲たちに向けて「突撃」と命じる。白装束たちは一斉に“筒”を投げ捨て、一気呵成に抜刀突撃へと移行する。

 一騎当千の理甲に、歩兵突撃など。

 白装束たちは手負いの鹿を狩るように襲い掛かった。理甲1体に対し、白装束が2名。まるで人喰い猿のような速度と平衡感覚で、理甲たちの一撃一撃を躱して胸元に飛び込んでいく。そうして理甲の身体に絡みつくように彼らは白刃を振るい、装甲の隙間や肉の崩れた箇所を、熟練の料理人のように的確に突く。

 理甲たちはたまらず撤退を始めた。白装束たちの眼前で急停止してしまったことが、闘いの全てを決したのだ。



 逃げていく理甲を白装束たちは追撃せず、悠々とリーヴスの馬前まで引き揚げてきた。

「――“筒”も使えなくはないが、前途多難だな」

 リーヴスは労わりもせず、そんな独り言を漏らしただけだった。

 生身の人間がかくも完膚なきまでに理甲たちを叩き伏せた事例は見たことがない。白装束たちは途轍もない仕事を成し遂げたように思えるが、この男はいったい何が物足りないのだろう。

 御大将からの礼などなくても、白装束たちは『当然の仕事をしたまで』とばかり眼をぎらつかせている。この連中は、恐らく蛮教徒カルトの中でも最精鋭の兵士たちなのだろう。徹底的に鍛えられた精兵はまるで理甲そっくりで、それがひどく不気味だった。



 宿営地の方からの戦闘音もまもなく聞こえなくなり、連邦軍の奇襲を撃退できたようだ。私とソフィはそれぞれ馬から降ろされる。

 リーヴス自身も下馬して「手荒な案内ですまなかった」と詫びた。

「もう安心してよい。今の“悪骸”の反応を見たであろう? きやつらもここにはおいそれと近づけまいよ」

「……理甲たちは、どうしてあんな反応を見せたのでしょうか?」

 合点のいかないことだったので、リーヴスに訊ねると、彼は誇らしげに答えた。

「奴らの怯えるものが、この後ろにあるからだよ」

 リーヴスがそう答えた瞬間に、背筋がぞくりと震えた。妙な頭痛が走り出し、頭の内部をかき混ぜ始める。ぞくぞくと寒気が肌を這いずり、壊れた泉のように噴き出した闇に引きずり込まれそうな錯覚。

 ここにいてはいけない、と本能が訴えるこの感じ。

 ハイバルと共にアンラウブ城の地下で味わった、あの時の感覚だ。

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