砂の上で、星の下で(3)

「恋仲じゃないなら、あなたにとってあの娘は何なの?」

「そうですねぇ」

 返答にいささか時間を要するようだった。

 やがて彼は「時化る海に漕ぎ出でた船に乗り合わせた者同士、ってところです」とまとめてみせた。

「要するに利害の一致、ってことね……それにしては、甲渠であんたがリクラフに殺されそうになった時、ソフィは身を挺してあんたを庇った。そんなにドライな関係にも見えなかったけれど」

「あれはまぁ、確かに意外でしたが」

 ソフィに命を助けられた場面のはずなのに、ハイバルはどこかばつが悪そうに笑った。あの場面、彼が読み違えた何かが起こったのか。「ソフィがああしたのは、最初に俺を殺そうとした理甲がリクラフ様だったからでしょう。じゃなきゃ、賢いソフィがあんな真似をするわけがない。あれがリクラフ様でなければ、俺はあのまま殺されて、俺の描こうとした絵は全ておじゃんでした。幸か不幸か、まだ俺にもツキがあったということです」

 リクラフだからそうした、という理由がよく飲み込めなかったが、それは今の話題の本筋ではないし、あんまりあいつのことを思い出して考える気にもならない。

 こちらが何も言わず黙っていると、彼はそのまま続きを話してくれた。

「……それに、俺は別にソフィとの仲がドライな関係だとは思ってませんよ。互いの利害や目標が純粋に一致するだなんて、肉親や親友とだって案外難しいものでしょう?」

 そこでハイバルは思い出したように笑いかけた。「例えば、そうだな――エリザさんのような理官の人たちが命令に従い、仲間のために命を張る理由は、『愛』ゆえに、ですか?」

「ああ……あいつらに『愛』だなんて、反吐が出そう」

 思わず笑ってしまった。考えて見れば、この5日間で初めて純粋に笑ったかも知れなかった。「――でも、そう言われるとあんたとソフィの間柄は何となく伝わったわ。戦友ってことね」

「なるほど。戦友、と言えば一発で通じましたか。いい響きです」


 当のソフィは、まだ向こうの焚火で談笑している。

 ソフィは、この悪い男にたぶらかされているものとばかり思っていた。だけど、ハイバルの話しぶりを聞いていると、徐々にその考えの角が取れていく。

 なるほど、こいつの口ぶりには、悪意や邪心のようなものがあまり感じられない。もちろん、「悪意がない」ことは決して「正しい」ことを保証しないし、邪気がまるでなさそうなソフィに比べて、この男はもう少し実際的で狡猾な側面があるようにも感じられる。

 しかし、あの娘が繰り返し「ハイバルはあなたの思うような人じゃない」と私に告げていた訳も、今なら少しは理解できる気がしていた。



 せっかく、こうして目の前にいて、腹を割って話そうとしているハイバルだ。ずっと気になっていたことをもうひとつ訊ねることにした。

「私のことを“神灯”の守り人だと掴んだのは、どうして?」

 彼はほんの少し得意げな笑みを浮かべた。ずっと尋ねられるのを待っていたのだろうか。

「――守り人という存在が実在するということは、個人的に知っていました。でも、“エリザ・ウィルダ中級理官”がそうだと知ったのはつい最近ですよ。あなたの家柄は、旧アリゴレツカの人間ならだいたい誰でも知っています。でも、偽名を使って連邦軍にいられちゃ、俺も全くわからなかった。いつ気づいたかと言われると先月で、しかも偶然の出来事でした。その頃、アリゴラ中がエリザさんの話でもちきりだったんですよ」

「私が? アリゴラで? どうして?」

 先月、何かあっただろうかと考えたが、すぐに気づいた。「――もしかして、リクラフ絡みってこと?」

「そりゃそうですよ。あのリクラフ様がご活躍されたとなると、アリゴラなんかにいる土着の人間は誇らしい気分になるものです。しかも、その時の理官が、麗しい女性ときた」

「そういうのいらないから」

「そう言われても俺が言ったわけじゃないし」

 本気で声を尖らせてみせたが、ハイバルはノーダメージといった風に話を続ける。「……それである時、俺が馴染みの酒場にいると、『あいつは俺の教練所時代の同期なんだ』なんて大きな声で話していた奴がいたもので。聞き耳を立てていました」

「教練所の頃の……?」

 誰だろう、と思った。

 教練所で私と仲のよかった友人は数少ない。その友人の中に、酒場でそんなことをべらべら話しそうな奴がいただろうか。カウリールは比較的騒がしいが、直属の部下のことをそうやって褒めるとは思えないし、そもそもあいつは下戸もいいところだし。

 だとすれば、在所中あまり絡みのなかった奴かも知れない。

「彼はエリザさんの武勇伝をいろいろと語っていましたよ。例えば、エリザさんは教練所で派手に喧嘩をしたことがあるそうですね。ほとんど半裸になって取っ組み合ったとか?」

「あー……まぁ……」

 口元が引きつった。話すことなら他にあるだろうに、また恥ずかしい話を持ち出されたものだ。だが、私とあまり交流のなかった連中にとっては、あの印象が一番強いのかも知れない。

「その事件を機に、周囲の連中がエリザさんを見る眼が変わったんだ、と彼は言っていました。――ただ、実はエリザさんが怒り出したこと、服を脱いだことよりも、周りが驚いたことがあったんだ、とそいつは言い出したんです」

 思い当たることがない。私は眉を潜めた。「……じゃあ、何に驚いていたの?」

「その身体にある、“龍のような大きな火傷”――」

 ぎくりとした私のその反応を見て、ハイバルも答え合わせができたようだ。静かに頷いた。

「龍と言えばアリゴレツカの国章です。入れ墨ならともかく、火傷だなんてそう間違えるわけもないし。“神灯”や、その守り人のことなんて微塵も知らない連邦の連中には、ただの変わった火傷にしか見えないのでしょうけどね」

「だけど……いや、だからって、それが守り人の証拠だとは……」

「どうしてわかったか、ですか? それは俺にも“守り人”の知り合いがいるからです」

 私はぴたりと表情を止めた。ハイバルの声にわずかな冷気が宿った。「その知り合いの身体にも、同じものがある――龍の火傷が。だからエリザさんがそうだとわかった」


 身体に刻まれた龍のような火傷。まさしくこれが“神灯の守り人”であることの照明であり、刻印だった。


――私が経験した事実はこうだ。

 今から7年ほど前になる。連邦軍による大陸侵攻の噂がまことしやかに漂い始めた頃、アリゴレツカ王朝では“神灯”の漏洩を防ぐため、神官の子どもたちに少しずつ分割して託すことを決定した。

 それが“神灯の守り人”。

 例えアリゴレツカが降伏して戦乱を避けたとしても、王朝が培った膨大な信用源がそのままであれば、収奪されることは眼に見えている。しかし、その信用源は金銀財宝のように、王侯貴族の道楽で集められたものではない。この大陸で安全に暮らす上で、絶対に確保しておかなければならないものだった。

 しかし、連邦の実力はアリゴレツカをも圧倒していて、言うことを聞かせるために殴りつけることぐらい朝飯前だ。こちらの言い分を「そうですか。では手出ししません」などと頷くはずもない。そもそも連邦本土で逼迫する信用源を調達するために戦争を仕掛けるのだから。

 したがって、みすみす“神灯”を明け渡すわけにはいかない――そんな密命を受けた守り人たちは散り散りになり、託された“神灯”を人知れず守り続けるよう言い含められた。

 守り人の役割は単純明快、誰にもばれてはならないということだけ。だから、旧アリゴレツカの中でも王朝中枢にいたほんの一部の重鎮と神官たち、そして私を含む“守り人”本人しかこの事実は知らないはずだった。


 だから、ハイバルに守り人の知人がいるのなら、その守り人はハイバルに対して自身の秘密を打ち明けていることになる。

 どういうことだ。こいつの立場は、一体?


「――ま、俺にいろいろ聞きたいことはあるでしょうけど、それは遠からずお話しましょう。それより、」

 彼はぽんと両手を打った。澄んだ荒野の星空に、その音は凛と響いた。「改めて言っておきます。ソフィと一緒に俺がこんな立ち回りをしているのは、蛮教徒カルトを壊滅させるためです」

「でも、あんたも蛮教徒カルトでしょ?」

「獅子身中の虫、ってやつです」

 事もなげにハイバルはにこりと笑った。「どうにかリクラフ様は連邦軍から救い出せたので、目的の第1段階はクリアできました。この企てがうまくいけば、こんなせわしない日々もまもなく終わります、ようやくです。――ところで、エリザさんが連邦にいるのも、俺と同じ理由だったんですか?」

「勝手に一緒にしないで」

 私は蠅を追い払うように片手を振ってみせた。「私が理甲師団に身を置いたのは、自分で決めたこと。これからはここで生きる、と決めたってだけの話よ。私は“神灯”の件がばれなければ何でもよかったけれど、まさか“神灯”の守り人が、あの戦役にも参加した理官だなんて、誰も思わないでしょうしね」

「カモフラージュの着眼点としては最高ですよ。でも、ばれてしまっちゃ、かっこもつかない」

「本当にそうね。全くもって仰る通り。とんだもらい事故」

 ふんと鼻を鳴らすと、ハイバルはどこか楽しそうに笑った。

「俺にばれたことはノーカウントでいいと思いますよ。元々、守り人との付き合いもあったわけだから」

「なんでそんな楽しそうなのよ……」

「楽しいじゃないですか。守り人のことなんて、誰とでも話せることじゃない。エリザさんも楽しくないですか?」

「何言ってんだか、楽しいわけ……」


 普段なら、『楽しいわけがないでしょ』と語尾まで言い切ってしまうところかも知れない。でも、紡がれるはずの語尾は焚火の揺らめきの中に溶けていった。


 ハイバルは、変な奴だ。

 私はなんでこの男と喋っているのだっけ。なんで少しほっこりとしているのだっけ。

 こいつは蛮教徒カルトの手先だし、理甲であるリクラフを強奪したし、私の立場もぶち壊したし、私が神灯の守り人だと把握している。殺す理由で満ち溢れているような奴なのに。


――でも。

 こんなにきれいな焚火を一緒に眺めている相手に、殺意を抱くことは不可能だ。

 そして、星空を見上げれば、息を呑むほどの煌めきが全天にひしめいている。

 こんなにきれいな星空の下で、憎しみ合うなんて、そんなのはあまりに無粋だ。

 砂漠の冷たい夜風が、私の肌を撫でるように冷やしていく。そんな心地よさとともにこの星空を見上げていれば、自分のことも、抱えてきた秘密のことも、それにまつわる悩みや不安も、全部がとてもちっぽけなものに思えてくるのだ。



「ひとつだけ、あんたには礼を言わないとね」

 視線を再び戻して言うと、ハイバルはきょとんとした。

「何か礼を言われること、しましたっけ? 憎まれることはさんざしてると思いますが……」

「甲渠でのことよ、」

 一瞬、躊躇った。さんざ憎まれ口を叩いてきた相手に、改まって礼を言う恥ずかしさに尻込みしたのだ。だけど、こればかりはきちんと言っておくべきだと思った。「神灯のこと、それから私が“神灯の守り人”だということをばらさないでくれて、――ありがとう」


 あの時、私は本気でこいつを処刑しようとした。

 ソフィが庇った時のことを、ハイバルはさっき「意外だった」と口にした。ということは、あの瞬間の彼は死を覚悟したはずだ。

 それでも、捨て鉢になって私の秘密をぶちまける暴挙には及ばなかった。

「どういたしまして」

 ハイバルは笑った。それは後ろ暗さのない、健やかな笑い声だった。「――と、あそこで殺されなかったからこそ、言えますけどね」



 ソフィがこちらにやってきた。

 ふたりとも何だか楽しそうだけど、どうしたの? とおかしそうに微笑む彼女に、ハイバルは「別に何でもないよ」と答えて、ソフィと連れ立って私の前から立ち去っていった。


 もう少しひとりで焚火を眺めながら、私は少しだけ気力を取り戻したことに気づいた。



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