何かが間違っている(2)

 ソフィが能力の制限を解除すれば、リクラフは生き永らえる。個体値の高い理甲ということは確かだから、この先も師団の重要な戦力として息長く活躍することだろう。

 私にとっては苦虫を噛み潰すに等しい選択だ――としても、それでソフィも生き続けることができるのなら。



「でも……」

 ソフィは私の持ち掛けをすんなりとは呑まず、悩ましげに、しかし確かに押し返した。「わたしが何年もリクラフのことを騙し騙しごまかしていたのはね……その解除をしてしまったら、リクラフはきっとすぐに廃甲されることになると思っているから」

「違う、逆よ」

 私はソフィの誤解を解くために慌てて彼女の意見を訂正する。「能力に制限がかかっているせいで、リクラフは『理官の言うことを聞かない』と見なされて、廃甲の危機に瀕しているの。それを解除すれば廃甲を唱える人も黙るはず」

「――もしそうだとしても、よ」

 ソフィは疑念の声を更に強めた。「その場合、この先ずっとリクラフは理甲として“運用”されてしまうのでしょう? どこかの戦いで破壊されてしまうまで、ただの兵器として。たぶんそうなってしまうよね?」

「理甲である以上、いつかはそうなってしまうかもね。でも、遠い先だと思う」

 ごまかさずに答えるのが誠意だと思ったので、そうした。

 すると、ソフィが微かにため息をついた気がした。

 ため息――、彼女のその反応に微かな不安がちらついた。

「……エリザ、わたしね、リクラフと暮らしたいの。のリクラフじゃなくて、のリクラフと。あの戦役が始まる前みたいに」

 ソフィの言葉はまるで今夜の月光のようだった。太陽ほどの強さはないが、暗闇の中を静かに凛と差し込む。そんな響きが。

「もうお父さんもお母さんも、先生も友だちも、村の人も誰もいない。わたしとリクラフだけになるかも知れない。でも、そうすることは、そんなに難しいことなのかな。望んではいけないことなのかな。ただわたしたちだけで、静かに暮らすことが、そんなに……」

「リクラフが理甲のままでも、今はいいじゃない」

 私は抱き締める腕をいったん解いた。ソフィの両肩に手を置き、彼女の澄んだ眼を見下ろした。「ソフィ、死んでしまえば元も子もないわ。リクラフだって廃甲されてしまえば同じこと。そこで全ての可能性が途絶えてしまう。でも、お互い生きてさえいれば、会うことも触れることもできる。リクラクの能力を解放することは決して別れじゃない。連邦の中で生きていくなら、そこで折り合いをつけるしかない。ソフィはもしかしたら0か100を選ぼうとしているのかも知れないけど、でもここは0か1を選ぶべきところよ」


 どうかわかって。どうか頷いて。

 例え私の言葉が身勝手に聞こえたとしても。


「……本当に、そうするしか、ないのかな」

 ソフィは私の身体を押し戻し、私たちの身体は離れた。

 それは、明確な不同意の意思表示に他ならなかった。「――わたしが未開部族の道理で語っていると言うのなら、エリザだって連邦の道理で物事を語ってる」

「……何を言っているの?」

 耳を疑う言葉だった。「私が連邦の道理に則るのは当然でしょう。ここは連邦の統治下で、私もソフィも連邦の民なのだから」

「でも、ほんの5年前までここはパングラフト連邦なんて国じゃなかったわ。それなのに、連邦の統治下になったから、リクラフは従順な理甲になって誰かを殺して回るのか、それとも処分されてしまうかを選ばないといけない……それって、本当にそうでないといけないの?」

「少し落ち着きなさい、その言い分はさすがに違う」

 怪しい風向きを変えるため、食い下がらなければと感じた。「法規に疑義があるから守らなくてもいいんだ――なんて話が通るなら、秩序というものは成立しない。それは叛逆と受け取られても文句は言えない言い分よ」


「――ただの風見鶏だわ」


 ソフィの一言に、私は背筋に冷たいものが走るのを覚えた。

 今、私に対して言ったのか? あのソフィが?

「例え話をしましょ?」

 不愉快さを堪えて歌う姫様のような面持ちで、ソフィは人差し指を立てた。「想像してみて。もし明日何かの弾みで連邦が滅んでしまって、アリゴレツカ王朝が復活したら。そんな理幣で啓霊に何でも言うことを聞かせようだなんて――神様に指示し、要求しようだなんて、以前のアリゴレツカの時代だったら明確な冒涜で首斬りの刑だわ。そうなったら、理甲師団の人たちはみーんな断頭台に乗せられる。エリザが必死で命乞いの言葉を並べる時、そのエリザの言葉を処刑人たちはこう言うの、『連邦の道理で語っている』って」

「――ソフィ! 黙って!」

 思わず、叫んだ。

 目の前の少女が、まるであの図書館にいたお嬢さんとは全く別人のように見えた。

 妙な胸騒ぎがする。今のは本当に彼女自身の言葉なのか。そうだとは思いたくない。だとしたら、誰の言葉なのか。

 すぐにひとつの顔が浮かんだ。


「……それは、あの男の影響?」

 ハイバルと名乗る、不審な青年。

 他にいるだろうか。町外れの牢塔に軟禁されていたソフィが、友だちとして接することのできた誰かが。彼女を惑わし、つけ込むことのできた誰かが。

 ソフィは何も言わなかったが、否定もしなかった。それを『肯定』と私は受け取った。

「悪いことは言わない。あの男と会うのはもう止めなさい」

「どうして」

 再び、ソフィは私を貫くような、あの眼差しを向けた。「ハイバルは、エリザが思っているような人じゃないわ」

「いいえ、あいつは信用出来ない」

「どうしてそう思うの?」

「今のあなたの言葉を聞いて! それがあいつの影響だとわかって! 確信したのよ」

 断定した、強く。「あの男は普通なら知り得ないことを知っている。廃甲されるのがリクラフだということを知っていた。私の立場と名前も知っていた。牢塔に人知れず軟禁されていたはずのあなたにも接触した。その上で、あなたを連れ立って、私に妙な依頼を持ち掛けてきた。――放浪学生って言うけれど、とても信じられないわ」

 ソフィは何も答えず、何の動作も見せない。動揺する素振りすらも。「……ソフィ、あなたも本当は、あいつがただの浮浪者じゃないことを知っていたんでしょう? 私に声を掛けてきたのは、偶然なの? それとも、それすらあいつの目論見?」

 捲し立てる私のことなどそよ風が吹いたように受け止めて、ソフィは静かに眼を閉じた。

「……ええ、それについては、ごめんなさい。ハイバルが学生だと言ったのは、嘘だった。それを正直に話せば、エリザはきっと私たちと話すことを断ると思ったの。まずはエリザに話を聞いてもらいたかったから」

 やはり、嘘をついていた――とすれば、どこからがソフィの“本当”なのか。

「いい? あなたが、元々関わりのあったリクラフに感情移入していることは理解する。でもね、あんな煽動家のような男は絶対に善き味方にはならない。理官をそそのかしてまでリクラフの廃甲を止めさせるだなんて、どんなことに巻き込まれるか……ねぇ、聞いてる?」

 ソフィに考えを改めて欲しいから私は言葉を放つのに、ソフィの態度は頑なで、岩石に水掛けしているよう。

 背後からソフィとは違う声が投げられたのは、その時だった。


「ひどいことを言うなぁ、エリザさん」

 振り返れば、いつの間にか入口の扉が開いていて、月光を背負って男が立っていた。「あなただって他人のことをとやかく言えるご身分ですか。理甲師団の威を借りて、ソフィにそうやって彼女の望まぬ選択を強要しているというのに」

 そこにいたのは、疑いもなくハイバルその人だ。端正なその顔に、不敵な微笑を浮かべて。

「――趣味が悪いわね。いつから覗いていたの?」

「最初からですよ。ソフィが無事に牢塔から抜け出て、再び戻るまで、エスコートが必要ですから」

 彼は涼しく言うと、後ろ手に扉を閉めて、ゆっくりこちらに歩き始めた。「――”煽動家”という響きも悪くないですが、俺が愉快犯であるかのように思われるのは心外です。どうせなら、“調整者”とか“理想家”といった風に呼ばれてみたいところですが」

 こと、こと、こと。

 靴底で床を鳴らしながら、近づいてくる。

「……放浪学生なんじゃなかったの?」

 もはや隠す気もごまかす気も失せたかのようなハイバルの居直った態度に、私は吐きかけるように言った。

 窓から射し込む月光の陰に隠れていても、彼の食えない笑みはよく見えた。

「放浪しているのも、学びながら生きているのも、別に真っ赤な嘘ではないですから。嘘をつくのは嫌いな性分なんですよ」

 事もなげに答えると、思い出したように彼は話題を変えた。「ああ、進駐軍本部での面談、お疲れ様でした。こっそり覗かせてもらいましたが、大した役者ぶりでしたね。こちらの期待通りの流れにまとめてもらって、動いて頂いて。おかげ様で事がスムーズに動き始めましたよ。で、今宵あなたを呼んだのは、もうひとつご協力を頂きたいからで――」

「――説明しろ、」

 彼の言葉の終わりを待たず、私はサーベルを鞭のように引き抜き、その切っ先をハイバルの鼻先に突きつけた。「本部での私の面談を『覗いていた』とは何の真似だ?」

「ち、ちょっと、エリザ落ち着いて!」

 背後からソフィの慌てた声が飛んだが、私には躊躇う気持ちは一分もない。


「もうひとつ答えろ、ハイバル。学生でないなら、お前の正体は何だ?」

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