廃甲(3)

 ほう、とルガンクス師団長が漏らした。ランドール副官は微動だにせず、アルバント中佐は2、3度頷いた。それを確認してから、私は理由を述べた。

「リクラフが打撃行動を受け付けないという噂は事実です。なぜ拒否するかと問い質すと、『自身もしくは同調した理官に明確な危険が差し迫った場合にしか実力行使ができない』と返答しました。そこで止むなく、私はこの身を敵前に晒し、リクラフの協力を引き出したのです。あれの操舵には苦労しました。もう一度同じように暴れられる気はしません」

「貴官が理幣を支払ったにも関わらず、リクラフ自身が貴官の指示を拒絶した、ということだな?」

 師団長はそう確認したが、意外そうな感じではない。これまでに私以外にも同じ話を聞いているのか、答え合わせをしているような口ぶりだ。「信じがたい。理甲とは思えん」

 師団長が勢いよく鼻を鳴らすと、卓上の小物が吹っ飛んでいきそうな迫力があった。


「……閣下、ただ1点気になることが」

「何だ?」

「リクラフは、能力に妙な制限がかかっているようです。“理幣よりも信用強度の高い契りが何とかかんとか”と言って。もし、それを解除してやれるなら、我々の戦力として見込める可能性があるようにも思えるのですが」


 こればかりは私自身がリクラフを駆った際、実際に抱いた疑問点だった。あのリクラフも個体値自体は良好で、意思疎通ができないわけでもない。ただ、そのポテンシャルの発揮を妨げる何らかの人為的な縛りがなされている――そう感じられたのは事実だ。

 仮にそれが解消される見込みがあるのなら、あるいは。


 ルガンクス師団長は考え込むように小さく唸り、アルバント中佐が「実は……」と切り出した。

「その、“妙な制限がある”という話は、リクラフの接収直後からあってな」

 中佐の癖なのか、眼鏡の縁をくいくい調整しながら説明する。「リクラフが元々いた未開部族の酋長が、連邦に投降する前に何かしらの細工を施しているようなのだ。その未開部族は20世代もの間、リクラフを祀り続けてきたと聞いている。対して、我々の理幣はこっちの大陸内では征服後のたかだか5年使用されているに過ぎない。……となれば、未開部族の酋長の命令と、理幣を使った我々の命令、どちらが優先されてしまうかという話だ」

「しかし中佐殿、」

 私はアルバント中佐に問い掛けた。「あの戦役で鹵獲された伴侶亜人類プロクシーズは、接収後に随分と初期調整をされていらっしゃったかと存じますが?」

「無論だ。ただ、こっちの大陸じゃ土着民があいつらと密接なせいで、総じて処理に手間がかかるし利きも悪い。中でも飛び抜けて頑固なのがリクラフだ」

 アルバント中佐はお手上げといったように嘆息した。「あの調整は、例えるなら汚れ切った紙をさらの白紙に戻すような魔法の処理ではない。いわば使用途中の紙の余白にうまく上書きして、条件付けを行う処理なのだ。連邦本土の野良 伴侶亜人類プロクシーズであれば、人間との関わりが歴史的にほとんどなかった――つまり元々白紙同然だから、この手の問題はない。だが、リクラフのように20世代もの長期間崇められた伴侶亜人類プロクシーズへの指揮権を差し替えるのは、我々にも前例のない困難な挑戦なんだ。通常数回で済む処理を、リクラフには何十回も施している。それでも結果は、貴官が感じたというわけだ。これを続けるぐらいなら、連邦本土の野良 伴侶亜人類プロクシーズでも捕まえてきた方がよっぽど……」

「――言い過ぎだぞ、中佐」と師団長が小言を漏らし、アルバント中佐は慌てて「失礼しました」と発した。


 それほど煮ても焼いても食えない有様なら、リクラフにこだわる必要があるのかという話になるのも頷ける。師団本部としては堪忍袋の緒が切れたのだろう。

 アルバント中佐は、最後にこんな言葉で説明を締めた。

「まぁ何だ、極めて情緒的な話で小官も嫌になるがね、――積み重なった強い“絆”を解きほぐし、上書きするのは、それほど容易なことではないということだ」



 師団本部の調整ではリクラフを手懐けることができないとなれば、あの妙な制限をどう解除すればよいのか。

――と、私にごく単純明快な方法が閃いた。

「その酋長とやらは、もう生きていないのですか?」とアルバント中佐に尋ねる。

「いや、生きている。何ならこのアリゴラにいる」

 中佐はあっさりそう答えた。

「であれば、そいつにリクラフに施した細工を解除させればよいのでは? その酋長がリクラフに対して何らかの指図を行ったまま、その効力が今も生きているということですよね?」

「それぐらい、やっていないわけがないだろう」

 少しムッとした様子をされたので、私は「失礼しました」と言った。

 中佐はその酋長とやらに対するいら立ちを少し覗かせた。「その酋長がな、知らぬ存ぜぬと言い張るのだ。あの手の未開部族が、酋長の預かり知らぬところで伴侶亜人類プロクシーズに命令を下すなど考えにくいのだが。ただ、戦役の最中に先代酋長が失踪して急遽代替わりしたようだから、その酋長が本当によく知らない可能性もある」

「しかし、そのような反抗的な態度を取るのなら、脅すなり拷問にかけるなりされてもよろしいのでは? 既に生け捕りにしているのですから」

「いや……その酋長というのがな、」

 アルバント中佐は、発言の許可を得るためかルガンクス師団長の顔を伺った。師団長は軽く頷いただけだったので、中佐は再び私の方を向いた。「……これまた可憐な少女でね。20歳にも満たないような。前任者も情が移ったわけではないだろうが、その部族の最後の生き残りということもあって、乱暴するのは気乗りしなかったのかもな」


 今はアリゴラに住んでいる、20歳にも満たない、未開部族の可憐な少女。

 そして、あのリクラフの関係者。


 脳裏で点と点がつながり、瞬時に関係図が描かれる。

 リクラフが廃甲されることを知っていたハイバル。そのハイバルと結託して、かつて自分の村にいた啓霊ともう一度会いたいと言ったソフィ。廃甲に反対してほしい、とふたりして私に頼んだ意図。

 ルガンクス師団長が「リクラフ」と口にした時点で騒いでいた予感が、的中してしまうのでは。

 今はアリゴラにいるという、その酋長とはまさか――

「……あの、その酋長の名前は?」

 どうか私の思い違いであってほしい。

 その願いは、次の瞬間にはあっけなく砕かれる。


「ええと、ソフィ・ユリスキアという娘です。ザイアン地区に半分軟禁の状態で今も置いていますよ。名目上は客人ということになっていますが――ウィルダ中級理官、もしかしてご存知ですか?」


 まるで潮が引くように、頭の中が真っ新に漂白されて。

 でも、その奥底から地表を叩き割って湧き上がる、憤りに近い数多の感情。


 ソフィ――あの娘が、リクラフの飼い主だったのか。

 つまりあの戦役で、リクラフはあの娘の指示で――あるいはあの娘のために闘っていたということだ。


 リクラフと元通りに暮らしたい?

 そのために、よりによってこの私に協力しろ、だと?

 リクラフのせいで、私の敬愛した戦友や上官がどんな最期を迎えたか。

 そんな虫のいいことが。そんな都合のいいことが――。



 爆発しそうな激情を、奥歯を噛み締め精一杯堪えた。軍で性根を鍛えられたことに感謝した――でなければ、壁を数回殴りでもしないと気が済まなかった。

「――あの、閣下」

 私は師団長を見据えた。「廃甲を決定される前に、小官にソフィ・ユリスキアを説得させてもらえないでしょうか? かつてリクラフにかけた命令を解除するように」

 激情が沸き立つ一方、私は理性的に考えてもいた。

 リクラフなどさっさと廃甲すべき――というのは、あくまで私の腹の中の虫が収まるかどうかの話。一方で、理甲の不足により現場として苦悶しているのも一面の現実。


 それに、ソフィにも正面から問い詰めたかった。なぜリクラフにそんな縛りをかけたのか。なぜ今まで理甲師団に素直に協力しようとしなかったのか。


 アルバント中佐とルガンクス師団長は互いの目線を合わせた。

 そして師団長が私に答えた。

「確かに、戦力として問題なく使えるのであれば廃甲を見直す余地はあろう。リクラフは使えない理甲だ――という現状認識が本件の発端だからな。だが、報告を聞く限り強情な小娘らしいぞ。説得の見込みはあるのか?」

「実は、小官は先日そのソフィと接触しています。全く偶然の出会いです」

「ほう?」

 師団長の分厚い片眉が吊り上がる。「あれは軟禁されているという話だったが、貴官はどこで出会った?」

「図書館です。そこにある」

 師団長はアルバント中佐に顔を向けた。中佐は「図書館なら有り得るでしょう。外出先としては許可されていますから」と小声で耳打ちした。


 今思えば、あの出会いだって偶然だったのかどうか。

 ハイバルは、リクラフの廃甲を止められるのは私しかいないと言っていた。初めから私を狙って、ソフィが図書館で声を掛けてきたのだとしたら――。

 ぞっとする話だが、今は抑えておこう。後でゆっくり、誰にも邪魔されずに考えればいい。


「もしかすると小官の言葉なら、ソフィ・ユリスキアも友人の忠告として聞く耳を持つかも知れません。小官の忠告に従ってリクラフの能力制限を解除するか否かを迫ります。それでも意固地になって協力を拒絶するのであれば、小官も廃甲に何ら異存はありません」

「よかろう」

 ルガンクス師団長はほとんど即答した。「まぁ、例え貴官が多少の反対意見を述べたとしても、リクラフの廃甲は規定路線だった。我々師団として、あのようなピーキーな理甲を使い続ける確たる妥当性が見出せない限りはな。しかし、仮にリクラフがその本領を発揮するのであれば誰の損にもならない。貴官が説得に行くぐらい、そうカネと時間のかかる話でもない」

「御高配、感謝申し上げます。それでは直ちに向かいます」

 私はその場で起立し、敬礼した。

 その上で確認した。「ひとつ、お伺いしてよろしいでしょうか。――もし、ソフィ・ユリスキアが、それでも我々に協力しようとしない場合、彼女の処遇はどのように?」

「始末する」

 ランドール副官が、初めて口を開いた。おおよそ温かみのない、氷原で凍てつく岩石のように冷徹な語調だった。「リクラフが廃甲されれば、あいつに価値はない。それにこの5年間の態度は非協力的でさえあった。我々も舐められたものだ、身寄りのない小娘ひとりなど、どうとでも消せる」

「……承知いたしました」

 残酷だが、連邦に反抗するのであれば、当然そういう末路が用意される。

 友人としては、ソフィがこの期に及んでそんな愚かな選択をしないことを祈るだけだ。



――もうひとつの問題は、ソフィの影に見え隠れするハイバルの存在だった。

 あの怪しげな男は、もしやこうなることを見越していたのだろうか。あいつの言う通り、私がリクラフのポテンシャルを発揮させる方法を問うと、かつての酋長がリクラフに制限をかけたことが判明した。さらに、その酋長こそソフィだともわかった。

 こんな流れになっては、さすがに私も「構いませんからリクラフを廃甲して、ソフィも始末しましょう」と即答することは躊躇われる。

 そこまで織り込み済みで、ハイバルがこの依頼を持ち掛けたのだとしたら――。


 私はあいつの手のひらで転がされているのだろうか?

 あいつはソフィをどういう方向に導こうとしているのだろうか?

 さらにリクラフの廃甲を止めさせて、いったい何を企んでいるのだろうか?


 いや。あんな男に踊らされてなるものか。私は連邦軍の一兵卒として、連邦の利益に相反する行動は容認できない。リクラフが廃甲されなくとも、理甲としてきちんと戦力になるのであればよい。しかし、リクラフの悪用や簒奪のためにこんな延命工作を図っているのだとすれば、あの男の行為と、それに乗っかるソフィの行動は決して許されるべきものではない。


 仮に、ソフィにリクラフの能力制限を解除させる場合、これから起こりうる展開を私は想像した。そこにハイバルたちの意図があるかも知れないからだ。

 そうすると、私はある重大なリスクに気がついた。

「――閣下、それからアルバント中佐」

 私は師団長と中佐にその気づきを打ち明けた。「仮にソフィ・ユリスキアがリクラフの能力制限の解除に同意した場合、件の命令を解除させるため、ソフィとリクラフを引き合わせることになりますよね? 理甲に命令を下す、あるいは一度下した命令を解除するには、ソフィ本人による理動と精神の同調が必要になるはずです。しかし、当然ながらソフィは理官ではありません」

「……つまり、連邦に歯向かった旧主にあたるソフィ・ユリスキアに、リクラフを委ねてしまうことの懸念、だな?」

 師団長が深く頷いた。「ソフィ・ユリスキアとリクラフが対面したことで、よもやリクラフが“暴走”しないか。あるいは、ソフィ・ユリスキア自身に何らかの邪な思惑がないか。貴官の懸念はそういうことだろう?」

「ええ、まさに。閣下」

「その懸念はごもっともだ。リクラフの恐ろしさは、ウィルダ中級理官――貴官が誰よりも肌身で知っていようからな」

 私の読んだ通りに会話が流れ始めた。

 私はひとつの自信と共に、師団長の厳格な顔を恐れることなく見つめた。

「そこで、僭越ながらご提案したいことがあります」

「ほう――何かな?」

 机の上にやや身を乗り出し、師団長の力強い双眼が私を覗き込んだ。



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