第2章

新兵だった頃の夢

 ◆◆◆


 人間の手足が、こんなに簡単に千切れるものなのか。

 理甲の頑強な装甲が、こんなに簡単に突き破れるものなのか。

 我が軍は連戦連勝。敵勢は脆弱寡少につき鎧袖一触――のはずだった戦争で、私は絶望という感情に溺れている。



 これは夢だ。私がまだ新兵だった頃の。



 私の上官が――この部隊に加わった新米理官の私を、時に「こんなこともできねぇのか!」としごき、時に「お嬢様気取りはいい加減にしろ!」と叱り、時に「お前はよくやってるよ」と励まし、時に「俺たちは肉親よりも強い絆を持つ”戦友”だ」と肩を抱いてくれた恩人たちが、無残に殺されていく。

『白銀の悪霊』は、その艶めかしい銀色の装甲に少しずつ返り血の華を咲かせながら、私の恩人たちをひとりひとり、ちり紙のように千切ってこちらに近づいてくる。

 なんであいつに勝てない? なんであんなに強い?

 誘引は成功した。伏撃も成功した。20体以上の理甲が揃って攻撃を仕掛けた。

 なのに、理甲のほとんどは返り討ちにされてしまって、後に残った生身の理官は為す術もなく殺されていく。

 何故、何故、何故、何故――?


 ついに、私たちの分隊長ラグドリッジ上級理官の身体にその刃を突き刺した『白銀の悪霊』だが、そこでぴたりと動きを止めた。

 その足元から土をはねのけて起き上がった1体の理甲が、刃の刺さったラグドリッジ上級理官ごとがっちりと掴んだからだ。その理甲も満身創痍だが、これで容易に『白銀の悪霊』も飛んだり跳ねたりは出来ない。

「最後の機会だ、やれぇ、エリザァ!」

 口から血を散らしながら、ラグドリッジ上級理官は私目掛けて叫んだ。

 私はすぐにその意を理解した。躊躇しかけた感情を、理性で抑え込みながら。最後の理幣を取り出した。

 まだ動けるか、私の理甲。


「エルデンリード、砕け!」

――そう、ラグドリッジ上級理官ごと。


 私の同調理甲エルデンリードは既に『白銀の悪霊』に片腕をやられ、その背後に転がされていた。それでも私の指示に即座に応え、その漆黒の装甲ごと放たれた矢のように跳んだ。『白銀の悪霊』へ、その背後から体当たりを見舞った。

 激突の瞬間。最期の力を振り絞ったエルデンリードの全身の装甲が歪み、砕けていく。ラグドリッジ上級理官と理甲によって固定された『白銀の悪霊』も、さすがにかわすことは出来ず、その場に倒れ込んだ。


 それでも、『白銀の悪霊』だけは再び起き上がった。捨て身の体当たりをまともに食らったその右腕だけはぐちゃぐちゃに潰れていたが、表情には何の変化もない。あれだけやっても、片腕だけしか潰せなかった。


 今度こそ、私に扱える理甲はいない。私に指示する上官も、私をかばう戦友もいない。起き上がった『白銀の悪霊』は、そんな孤独な私を真っすぐに見つめた。この場の生き残りは、もう私だけだから。

 どこまでも冷えた瞳で。


「――なんで、そんな眼ができる!」


 私は腹の底から、そこで佇む『白銀の悪霊』へ叫んだ。

 当然、奴の表情は微動だにしない。


「その眼を止めろ、止めろ、止めろっ! 伴侶亜人類プロクシーズめ、伴侶亜人類プロクシーズめ……!」


 叫び声がよれよれとしぼんでしまうのと比例して、私の両眼から涙が噴き出した。

 上官が、戦友が、私の恩人たちが皆死んだ。どうして新兵の私だけ逃げ帰れるものか。

 例え、一種の破滅衝動だとしても、私のふたつの瞳から涙が溢れてしまうのを、自分の感情でも止めることができない。

 喪った。

 喪った。

 喪った。

 誰も守れなかった。逆に、私を守ろうとした上官たちがみじめに殺された。


 私は刀剣を引き抜いた。熟練の上官たちが操る理甲が20体がかりで倒せなかった相手に、私のサーベルが届くはずはない。蟷螂の斧だ。それでも、この涙に恥じぬために、そうする以外の選択肢は私には思い浮かばない。


――ラグドリッジ上級理官、私もお傍に参ります。


 奥歯を噛み締めて、私は『白銀の悪霊』へ足を蹴り出した。




 これは夢だ。私がまだ新兵だった頃の。




 ◆◆◆

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