4ー4 表側の自分と内側の自分

 それからしばらくは、平常通りの日々だった。

 トバリは無事に退院し、自分の意思で動かせる筋電義手を装着してのリハビリを開始した。さすがに武器を仕込んではいないようだが、戦闘に耐え得る特殊素材のものを特注したそうだ。


 あれから、国防統括司令部からの手配で、ヘルメットに搭載されたシステムがアップデートされた。これにより、クリーチャーのコアエネルギー感知の精度がやや上がった。


 シュカとアンジが試した新装備ウィングフォームは、約束通りチーム全員に支給された。黒色で味気ない翼は、ヘルメットと同じくハンターチーム御用達のペイントショップに持ち込み、個々人の好みのカラーに塗装してもらった。シュカが選んだのは、燃えるような赤色だ。


 この新装備の恩恵を最も受けたのは、新人のエータかもしれない。


「姿勢を安定させやすくて、狙いを付けるのが楽になりました」


 爽やかなスカイブルーの翼。

 飛ぶこと自体かなり上達していたエータは、新たな装備も問題なく操作することができた。それが自信に繋がったらしい。


 そしてある日ついに、彼の放った銃弾が一体のスクラップ・ワームにとどめを刺した。

 それを少し離れた空中で見守っていたシュカは、地面に降り立つなりエータに駆け寄った。


「やったぁぁ! すごい! ついにやったねエータくん!」

「あっ、はい……ありがとうございます! これでやっとスタート地点に立てました」

「無駄撃ちも少ないし。狙いが正確な証拠だよ」

「えっと、あの……僕、接近戦や体力勝負のことが苦手なんで、射撃ならどうにか……」


 照れているのか、エータはなぜか俯きがちだ。


「エータくんが努力した成果だよ。焦らなくていいから、まずは目の前の敵のコアをしっかり見定めるようにしてね。きっとすぐに独り立ちできるよ」

「いえ、あの……シュカさんの丁寧な指導のお陰です。僕も早く、皆さんの役に立てるようになりたいです」

「なれるなれる。既に役に立ってるよ。さっき一体倒したじゃん」


 シュカが何気なくそう言うと、エータは一瞬泣き出しそうな顔をした。


「シュカさんは……優しいですよね」

「え? そう?」

「だって、ちょっとしたことでも、いつもすごく褒めてくれるから……」

「あー……ごめん、自分の子供に接するみたいになってたかも」


 エータは軽く目を伏せ、口の両端を小さく持ち上げた。


「……僕、兄が一人いるんです。優秀な兄で、陸軍キャリアで、僕とは大違いで。父が厳しくて、いつも比べられてました。僕は……いつも落ちこぼれで」

「……そっか」


 どう考えても戦いには向かない性質のエータが軍に入った理由に、合点がいった。一家揃って軍関係者というケースは珍しくない。


「まぁ、得意不得意は誰にだってあるよ。行き着いた先で自分の能力が上手く嵌れば儲けもんってぐらい。私だってそうだし」

「シュカさんが、ですか?」

「そうだよ。元の所属じゃ、もう全然」


 シュカが渋い顔をして見せると、エータは僅かに表情を緩めた。


「……それじゃあ僕、頑張ってシュカさんみたいなハンターを目指します」

「え、私?」

「シュカさんは僕にとって、ヒーローみたいなものですから」


 真っ直ぐな眼差し。

 シュカは思わずぱちりと瞬きして、ついと視線を逸らす。


「あの、エータくんさ……私、そんな大層なもんじゃないから……」

「あっ……女性に『ヒーロー』なんて失礼ですよね、すみません。こういう場合は何て言ったらいいんだろう。『ヒロイン』? なんかちょっと違うなぁ」


 『ヒーロー』に代わる呼称について、ああでもないこうでもないとブツブツ言い始めたエータを横目に、シュカは苦笑しながら小さく息をつく。


 あのね、違うんだよ。エータくん、私はね——


「よし、『スーパーウーマン』にします」


 澄んだ瞳。


「……うん、まぁ……いいよ、それで」


 他に何と応えたら良かっただろうか。



 ともあれ、新装備導入によりハンターチーム全体で狩りの効率が僅かに上がった。

 それに伴ってリニア支部からのローテーションのヘルプ要員も微妙に減らされたが、この忙しさにも慣れた面々によってどうにか仕事は回っていく。

 トバリが勤務時間を調整しながら事務所に顔を見せるようになった。まだハンターとして現場に出ることはできないが、統括リーダーがいるというだけでメンバーの士気は上がった。


 日常が、流れていく。

 淡々とスクラップ・ワームを狩り続ける、まともな日常が。

 シュカにとってごく当たり前で、平穏な日常が。


 だがそれは、意外なところから綻びを見せ始める。



 ■



 そっと扉を開き、隙間から中を覗き見る。

 締め切った部屋の片隅で、何かが蠢いている。一目で惨状が分かった。これを放っておくわけにはいかない。

 相手に気付かれぬよう、音を立てずに忍び寄る。

 目標に接近。ファーストコンタクトが重要なのだ。

 緊張の一瞬。

 静かに息を吐き出し、吸い込み、そして口を開く。


「こら! イチ!」

「わぁぁ!」


 小さな背中が、面白いぐらいにびくりと跳ね上がった。


「なんだ、ママかー」

「何だじゃないよ。もう、散らかしすぎ! ちゃんと片付けてから次のおもちゃ出してっていつも言ってるじゃん。そういう約束だったでしょ」

「えー、だってめんどくさいもん」


 リビングダイニングの床一面に散乱する、大量のブロック。細かくて硬いので、うっかり踏むと大変痛い。大昔のシノビが使ったというトラップのようだ。

 しかし当のイチはブロックではなく電車のおもちゃで遊んでおり、そのレールもあちこちに点在している状態である。その上『スカイソルジャーΖゼータ』の変身ベルトのパーツまで転がっている始末だ。


 平日の昼間、天気は生憎の雨。こんな生活もかれこれ三日目だ。

 本来であればシュカは仕事に行っている時間帯だが、イチの通う保育園が感染症の蔓延により休園となってしまったため、やむなく有休を取っていた。

 流行り病も何のその、イチ本人は至って元気。しかし連日の降雨のため外遊びもできず、家の中にこもってばかりで互いにストレスが溜まる一方だ。


 休園の連絡を受けた時、別の預け先を探してみた。


『電脳チップを入れてる子なら、臨時でも受け入れてるんですけどね』


 とある保育園からは、そんなことを言われた。

 体調管理がしやすいことや、子供が親と直接ネットで繋がっていて精神的に安定していること。それであれば飛び込みでも預かってくれるそうだ。

 どこも人手不足なのだ。いずれにせよ、今後もまた同じようなことが起こらないとも限らないので、イチの電脳チップは早めに導入すべきかもしれない。


 首都セントラル・シティでは、小学校入学までに全ての子供に電脳チップ埋め込みが義務付けされているらしい。

 イチはもうすぐ六歳になるので、タイミングとしてもちょうど良いだろう。それに、自分と繋がることで本人が寂しい思いをせずに済むのであれば何よりだろうと、シュカは思った。


 ブロックを拾い集めていると、イチが抱き付いてきた。


「ママ、だっこ」

「えー、何で」

「だっこしてほしいから」


 そのまま細い腕をシュカの背中に回し、胸に顔を埋めてくる。

 片付けは、と言おうとして、つい毒気を抜かれてしまった。

 自分と同じ色の髪に、そっと手を乗せる。いつも一緒に過ごす時間が短い分、存分に甘えたいのだろう。

 こういう時こそ普段なかなかできないことをした方がいいかもしれないと、シュカはあることを思い付く。


「ねぇ、久しぶりにパパのお墓参りでも行こっか」

「……いきたい!」



 ノース・シティ総合庁舎の敷地内に、遺骨センターと呼ばれる施設がある。

 昔からの慣習で死者は火葬されるが、墓のための土地が確保できないので、遺骨はここへ納めることになっている。

 玄関のタッチパネルで割り当てられた番号を呼び出すと、該当の小祭壇が小型エレベーターで降りてくる仕組みだ。

 一抱え程度の大きさのそれを不思議そうな顔で見上げながら、イチが問うてきた。


「ここにパパがいるの?」

「うーん、骨の一部分だけね」


 センター内のスペースにも限りがあるので、納骨は一部だけである。

 レイの遺骨も、スクラップ投棄エリア横にある火葬場から戻ってきたのは、ほんの一欠片だけだった。

 電脳チップ端末だけでも残っていれば良かったが、頭ごと喰われてしまったため、それすら手元にはない。


「……パパはね、イチの心の中にいるよ」

「こころのなか? どうやって?」

「イチが大きくなってくのを、きっとパパはちゃんと見てるよ。それを忘れないでね」


 なおも眉根を寄せる我が子に、シュカはふっと頬を緩める。


 ——俺がお前を見てるから。


 少しだけ、きゅうっと胸が苦しくなる。

 忘れない。記憶装置などなくとも、ずっと覚えている。レイと共に過ごした日々を。




 その晩、夢を見た。


 赤く錆びた鉄の山。ひらひらと舞い散る粉雪。

 あぁ、あの時だと、すぐに分かった。

 仲間と共に中型のスクラップ・ドラゴンを取り囲み、トバリの号令で斬り掛かる。

 レイの斧がその首を落とす。

 コアを狙ったシュカは、横合いから肩を貫かれる。


 そして、あれを発見する。

 鉄屑の塊がたちまち変形し、巨人の姿を取る。

 仲間の一人が握り潰され、小型の雑魚に退路を塞がれて。

 無理を押して攻撃を仕掛けようとしたら、レイに抱き締められ、気絶させられた。


 ——シュカ、————……


 次に目を開けた時、レイは巨人と戦っていた。彼の放った一撃により、敵がシュカの間近に倒れ込んでくる。

 大きく空いた怪物の口。その奥。

 淡く光るコアを、撃ち抜こうとして。


 衝撃。

 降り注ぐ赤色。


 何も分からなくなった。ただただ、駆け巡る衝動に意思を委ねた。


 ——ころせ。


 誰かの声が聴こえた。だから、それに従った。


 ——戮せ。


 咆哮を上げる。本能が、それを求める。


 ——戮せ——……!




 弾かれたように、ベッドから身を起こした。

 激しい動悸がして、息が上がっている。腋の下には嫌な汗をかいていた。

 部屋の中を染める白い光に目が眩む。視線を落とした掌は、同じように白かった。


 赤、ではなく。


 すぐ隣では、イチがすやすや眠っている。その穏やかな寝顔に安堵し、柔らかな髪に触れる直前で、はたと手を止めた。

 相手が擬似生命体とはいえ、理性を忘れて破壊の限りを尽くしたこの手で、愛しい我が子を抱こうというのか。

 自分の顔を両手で覆う。ほうと吐き出した溜め息すらも、情けないほど震えていた。


 たった数日もなんて。


 忘れたい。忘れられない。

 あぁ、今もまだ。

 声が、聴こえる。

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