認識の違い

「文字、読めないの?」

「はい・・・・・・申し訳ありません・・・・・・」

心底申し訳なさそうに謝るジャンヌに、私は慌てて謝らないでと首を振った。

別に読めないということを責めている訳では無いのだ。たた読めないということに驚いてしまっただけで。

そこでふと浮かんだ疑問に、開いていた絵本を見せてジャンヌに問いかける。正確にはそこに書いてある文字を。

「ジャンヌは今までに本とか文字を見た事はある?」

これまでのジャンヌの生活環境を考えてみれば、本というもの自体手に取ることも無ければ、目にしたこともなかったのかもしれない。だから試しに、これは?と尋ねれば彼女はゆるゆると首を横に振った。

「・・・・・・申し訳ありません」

「謝らないで。ジャンヌは何も悪いことをしてないでしょ」

私の配慮が足りなかっただけなのだから。

それに彼女のおかげで、私は自分の勘違いに気付かされたのだから。


そうよね・・・・・・文字を知らない、読めない子がいてもおかしくはないわよね。


それにもしかしたら本自体普及していないのかもしれない。この屋敷にはたくさんの本があるが、それはこの屋敷だけかもしれないし、もしかしたら一般家庭では本を読むなんて習慣はないのかもしれない。

だがよく考えてみれば、それは何ら不思議なことではない。

日本では小さな頃から文字を覚え、文字を書くのが当たり前で、看板の文字が読めないなんて人はほとんどいなかったが、海外では読めない人の方が多かった。

そもそも義務教育なんてものは、世界の中でも限られた地域しかなく、学校に行けない子だって大勢いたではないか。それに貧富の差がある国では、子供も小さい頃から働き自由に遊ぶ時間もなかった。

学びたいのに、学べない。

そんな子供が大勢いる。

そんななかで日本の識字率の高さは異様な程で、世界を見ても三種類の文字を使う国なんてない。

それなのに、私は分かっていなかった。

当たり前のように文字を覚え、読み書きを家庭教師に教えて貰っていたから、それがこの世界の普通だと勘違いしていた。

ジャンヌのような文字を知らない子が当たり前にいるのかもしれないのに、その事実を考えもしなかったのだ。

そもそもこの国に、学校というものはあるのだろうか?

いや、家庭教師がつくくらいだからないのかもしれない。それなら一般家庭の子供はどうやって文字を・・・・・・

「お嬢様、あの、私・・・・・・」

考え事をしていたせいで、黙り込んだ私にジャンヌの不安そうな声が届く。

その顔に、あぁ、いけない勘違いさせてしまったと思い私は彼女を手招きした。そうすればまだどこか不安そうな顔をしながらも、おずおずと近寄ってくる。

「ジャンヌは、文字を覚えてみたい?」

「え?」

「文字を読んで、書いてみたいと思う?」

いずれは私付きの侍女として必要なことをもっと沢山教えられるだろう。

その中にはきっと文字の読み書きも含まれているはずだ。だがら私が教えなくても、いずれは必要な事として覚えていくことになると思ったが、それでも彼女の意見を聞きたくて尋ねれば彼女の瞳がキラキラと輝きだした。

表情よりも雄弁に感情を伝えてくれる瞳に、私は笑いかけながら彼女に見えるように絵本を広げた。

小さな子供もわかるようにと書いているので、文字数もそこまで多くはないし、簡単な言葉を繰り返し使っているので、文字を覚えるにはちょうどいいだろう。

まだ途中ではあるけど、完成した時には彼女に1番に見せようと決めながら私は書きかけの文字を指さした。

「私が教えるから、一緒にお勉強しましょう」

「!はいっ」

嬉しそうに頷く顔を見ながら、もっとこの世界のことを知らなければと強く思った。

そうすることがきっと今後とても役に立つはずだから。






「はぁ~~……」

文字を誰かに教えるということは、意外と根気がいるのだなと思った。

そもそも私はあまり人に何かを教えるのは向いてないように思う。教えている時にも頭の中ではあれやこれやと色んなことを考えてしまうので、つい他のことに意識が向きがちだ。

「・・・・・・私、先生には向いてないわね」

「そうですね、お嬢様はどちらかと言うと研究者向きですものね」

「うぐっ・・・・・・」

リリアの言う通り、1人でコツコツ地味になにかしている方が合っているので大勢に説明したり教えたりする教師には全く向かない。

そもそも自分がわかるようにしか説明出来ないし、自分語で理解しているので誰かに自分の思っていることや考えなどを話すのはなかなか難しい。

それでもジャンヌは嬉しそうに私の言葉を聞いてくれるので、ジャンヌ専用の先生ではいたいと思う。その為にも自分の勉強も頑張らなければならないが。

家庭教師から出された課題を前に、うーん・・・と唸っていれば、コンコンとノックの音が響く。

「はい」

勉強中の私の代わりにリリアが訪問者の元へ行けば、すぐによく知る声が届いた。

「アイリーン、少しいいかい?」

「兄様」

ひょっこりと顔を出した兄様に、騎士としての仕事は大丈夫なのかと思ったが、私の前ではシスコンでも優秀な兄様のことだから問題ないのだろう。

「どうかしましたか?」

「たまにはアイリーンとゆっくりお茶でも、と思ってね」

美味しいお茶を貰ったんだ、と茶葉が入っているのだろう箱をリリアに渡す姿に私は手に持っていた羽根ペンを置いた。

兄様は忙しい人だ。ベッドフォード家の跡継ぎとしても、王子の側近としても学ぶべき事もやるべき事も沢山ある。それなのにこうやって、時間を作っては会いに来てくれるので私も出来る限りその時は兄様と過ごすと決めている。

それにこうやって前触れもなく会いに来てくれる時は、私のことを心配していると分かっているから。

最近ではそんなに心配をかけるようなことをしていないと思うが、兄の目から見てなにか思うことがあったのだろう。

「兄様、なにか私に言いたいことがあるのでは?」

「それはアイリーンじゃないかな?」

何を悩んでいるの?と頬を摘まれてしまい、やっぱり見抜かれてしまっているなと思う。

「悩み、というほどでは・・・・・・」

「本当に?」

むにむにと左右の頬を摘まれながら、ほら言ってご覧と微笑まられると私は抵抗の仕様がない。元々反論する気もないのだけど、それでも兄様の目にじっと見つめられると心の中までなんでも知っているのではないかと思ってしまう。

それに私一人で考えたって答えが出ることは無い。

私よりも兄様の方が、貴族としてもこの国のことを理解しているし、解決法を探すなら聞く方が早いだろう。

だから私はぽつぽつと今思っていることをそのまま話した。

文字の読み書きが一般家庭の子にも出来るようにしたい、本を身近なものとして届けたい、子供たちの将来の選択肢を広げたい。

それはどれも私の勝手な考えで、それを望んでいる人なんていないのかもしれない。だけど、もし1人でもそれを望んでいる子がいたら?

勉強したいという子がいたら?

才能のある子がいたら?

それを叶え、人を教育することもこれから先領地経営に携わる上では大切な事だと私は思う。

民は、財産だ。

民がいなければ、国は成り立たないし、領地も同じだ。

その民の知識を広げ、生活を向上させるのは領主の仕事だろうし、子供も読み書きが出来るようになれば出来ることも増えるだろう。

ただそれをしようと伝えても、納得しなければ誰も賛同はしてくれない。もちろん設備を整えるのだって費用がかかる。口では簡単に言えても、実現しようとするのはとても難しいだろう。それに私が領主の娘だからと言ってどこまで口を出していいものか。私の功績はベッドフォード家のものにもなるが、失態して場合も同じように言われてしまうだろう。

ベッドフォード家の令嬢は役ただずの無能でわがまま令嬢なんて世間から言われたくない。いや、私だけならいいが家族まで後ろ指を刺されることになるなんて絶対いやだ!

だからこそ、どうするのが正しいのだろうかと悩むのだ。

「アイリーンは、貴族平民関係なしに平等に教育を受けさせる権利を与えてもいいのではないか、と思っているんだね」

「はい。今すぐには難しいと思いますが、いずれはすべての領民にと思っています」

「それはなぜ?」

「……知らない、ということはそれだけでとても損な考えだと思います。それに難しいことを差し置いても、文字の読み書きや簡単な計算くらいは出来るようになれば将来的にも働き口は増えますし、役に立つことは多くあると思います」

「でも誰もそれを願い出ないということはそれを欲していないということだ」

「そ、れは……」

確かに、勉強したいと望むものが多くいれば嘆願書が届いているはずだ。それを父様たちが聞いていないということは、彼らは現状に満足しているからに他ならない。

だけど私は思うのだ。

知らないこと、無知なことほど怖いことはない、と。

知っていれば回避できる災いも、世の中にはたくさんあるはずだ。だからこそ私は最低限の知識は必要だと思っている。もちろん生活するうえで必要なことと、教育は違うのだろうけど。

それでも機会を作ることができるのなら、何かしたいと思うのだ。たとえ高慢だと言われようとも、きっかけくらい作ってはいいのではないかと考えてしまうのだ。

ジャンヌが文字を覚える機会を得たように。

「……兄様、私の考え方はおかしいのでしょうか?」

ただそれがすべての人に当てはまるかなんてわからないし、すべての人というのは不可能なことだということも、この国で過ごした今までを振り返ればわかる。

ただ私の頭の中にはやはり子供は学校に通うもの、通って当たり前という認識が残っている、だからこそ私が持っている感覚や認識は、今のアイリーンとして過ごしているものよりも、前の私で判断している事の方が多く周囲との違いに時折混乱しそうになる。

学校を作りたい、勉強を教えたい、と思ってもそれが一般的でなければすぐには受け入れられないだろうし、実際取り組むにしても、使えるものも出来る範囲も限られる。


私の考えは、貴族の娘として間違っているのだろうか。


あぁしたい、こうしたい、と夢を語るしか出来ない自分が歯痒い。

理想ばかり高くたって、それを実現する力がなければ意味が無い。何一つ、私では自由に使うことは出来ないのに、こうしたいと思う気持ちばかり強くて嫌になる。

それでも兄様は私の話を頭から否定しない、むしろ大丈夫だよと無条件で私を受け入れてくれて背中を押してくれるのだ。

今だって、そうだ。

「確かにアイリーンの言うことは今はまだ難しいことだろう。でも俺はアイリーンはアイリーンのしたいことをすればいいと思うよ」

「兄様、でも」

「本当にアイリーンがしたい、と思うならまずは周りに相談することだよ。俺でもいいし、父様や母様にもね」

まずは考えて具体的にどうしたいのか、案を作ってごらん。そして誰かに見せること、とさりげなく私が暴走しないようにくぎを刺しておく兄様の手腕に流石だなと感心するしかない。

こうやって兄様はいつだって、悩んだとき私がどうすればいいのか道を示してくれる。

こういう理解のある兄がいてくれたことが今の私にとってどれほど救いになっているのか、きっと兄様は知らないのだろうけど。

「……はい」

「よしっ、さぁお茶にしようか」

せっかくリリアが美味しくいれてくれるのだから、とテーブルへと手を繋ぎ誘導してくれる兄に、はいと頷いた。

ふわりとカップから香るのは、私の好きな花の匂いのする茶葉で兄の優しさに頬が緩んだ。

「……ありがとう、兄様」

「ん?俺はただ可愛い妹の話を聞いただけだよ」

ただそれだけだとさらりと告げる兄様は、やはり王子様みたいにかっこよかった。


……いつもこうだといいんだけどな、という思いはそっとしまっておいた。

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