入試と体形変化②

 ブラウベルク帝国に人質としてやってきてからもうすぐ3か月程経つ。ジルはその暮らしの中で帝国の人々が食べる野菜の種類の少なさを感じていた。

 それもあって、トマトを品種改良しようという考えになったのだ。


 出される野菜のバリエーションは皇子に出される食事であっても増えるわけではないようで、マズそうに前菜を口に運ぶハイネを見ていると、飽き飽きしているのが見て取れた。


(早くトマトを収穫したいわね。余裕が出来たら、他の野菜にも手をつけてみようかしら)



「ハーターシュタイン公国の事、聞きたいんじゃないの?」


 前菜を眺めなら物思いに沈んでいたジルは、ハイネに声をかけられた事で急に現実に引き戻され、驚いて椅子から少し腰を浮かせてしまった。


「吃驚して飛び上がる人初めて見た」


「ハイネ様の見間違いですわ! えーと、ハーターシュタイン公国の事……、それは私が聞いてもいい事なのですか? ハイネ様はあえて私の耳に、情報が入らぬようしていたではないですか」


「口止めしてたのは、歪んだ情報が伝わったら混乱すると思ったからだ。別に何も教えたくないわけじゃない」


「そうでしたの。では、私名義で離縁状を送った後の事をお聞きしてもよろしいですか?」



 ジルはずっと聞きたかった事を質問し、椅子の上で居住まいを正した。


「ああ。離縁するかどうかについては保留。信頼関係が著しく損なわれたとして、両国の同盟関係は解消したいという意向を示す回答を貰っている」


同盟はハーターシュタイン側から解消させたいと言っていたハイネの思惑通りに事は運んでいるらしい。


「私の事なんか、すぐに捨てると思いましたのに」


「あくまでも正妃を大事にしているという体裁をとりたいんだろうな。まぁ、それは想定済みだからいい。向うから同盟関係を解消するようにもっていけたのは、なかなかの成果だ」


「戦争が始まるんですの?」


 魚料理をジルの席に置こうとした給仕は「戦争」という言葉に動揺したのか、バランスを崩し、手に持つ皿がほとんど落下したようにジルの前に置かれた。


「申し訳ありません! ソースは零れておりませんか?」


「大丈夫よ。気にしないでちょうだい」


 今にもひれ伏しそうな給仕にジルは笑いかける。


「話の邪魔だ。コースの順番とかどうでもいいから全部いっぺんに料理を持って来い。目障りなんだよ」


「承知いたしました! 今すぐに持ってまいります!」


「そんな言い方をしなくても……」


 大急ぎで部屋を出て行く給仕の姿を可哀そうに思い、ジルはつい咎めてしまう。


「……イライラするんだ。しなくてもいいミスする奴を見てると」


 ハイネはやはり冷淡な性格なのだろうか? 残念な気持ちで彼の顔を覗き込んでみると、その瞳がユラユラと揺れているのが見て取れ、その心がどこか別の所に向いているのだと思い至った。


「上に立つ者の不安は、下で働く者達にも伝わりやすいものですわ……」


 言ってしまった後、ジルは後悔した。


(私ったら、また余計な事を……)


 強烈な嫌味を覚悟したのだが、ハイネは深くため息をついただけだった。



「俺は一週間後フリュセンに行く」


「一週間後……」


「ああ、忙しいから出発までの間にアンタの所に来れるのは今日が最後」


「フリュセンへ行くのは、戦争に備えるためにですの?」


「そうだ。いつ帰って来れるかは分からない」


 フリュセンとは、ブラウベルク帝国とハーターシュタイン公国の国境に面する村だ。そこに駐在するという事は、帝国の皇帝の判断次第で公国に攻め入るか、または侵略を迎え撃つか、どちらにも対応できるようにしておくという事なのだろう。


「皇子でも、前線の村まで行かなければならないのですか?」


「俺も指揮をとるからな」


「い、意外ですわ……」


「どういう意味だ?」


 ハイネは口が悪いが、皇族なので育ちはいいだろうし、ジルが体当たりしたら吹っ飛びそうな見た目なので、戦地に行って生き延びられるのだろうかと思ってしまう。


「い、いえ……。別に深い意味なんてありませんわ。オホホ」


 考えた事を正直に伝えてしまうと、怒られそうなので、誤魔化すことにした。


「ならいい。俺のいない間にちゃんと大学院に編入するのと、ダイエットするのを忘れるなよ」


「勿論ですわ!」


「俺が戻って来ても、何の成果もないようだったら、俺を背に乗せて腕立て伏せ1000回させるからな」


「それは嫌ですわ! というかそれって女性にさせる事としてどうなんですの!?」


「心の中で俺を侮辱したお返しだ!」


「な、何でバレて……」


「あれだけハッキリ顔に書いてあったのに、読み取れないはずないだろ!」


 戦地になるかもしれない地へと向かう人との最後の会話は、結局言い争いで終わってしまった。


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