【短編集】ひと世の戯れ Vol.1

岩咲ゼゼ

1.その愛は霧と街の夢

 ジャックは貧民街の子供の中では裕福なほうだった。手先が器用で機械に関しては覚えの早い彼は今の時代では仕事がある。この、掃きだめのような場所から抜けだすことも可能なのだが、彼には植物状態の母親が一人病院の中で眠っていた。


 ジャックの母親は、ずっと一つの謎を追っていた。たった数年の間に衰退の道をたどった霧と衰退の街ホールクロック。彼女が想い人と出会った場所であり、ジャックの生まれ故郷。行方不明のまま発見されないジャックの父親。


 母はある日、異常な霧の発生の調査に参加し意識不明で帰還した。あの町で何があったのか、意識を無くしたのは母だけだった。参加したボニー・シャージャスによれば、一寸先も見えない霧に包まれ一歩も動けなくなった間に彼女はいなくなり、発見したものの外傷がないというのに、目を覚まさなくなっていたという。


 そういうことで、ジャックは働かなければならなかった。母は元学者だ、土地の歴史に強くホールクロックを訪れたのも、あの土地の特殊性に引かれたと聞かされていた。その特殊性については聞き及んではなかったが。


 そんな日々が数年は続いたある日。ジャックは医者を半殺しにしていた。理由は完結、母の回復が見込めず、流行病により病室から立ち凌ぎを宣告されたからだ。母は立てないというのに。


 ジャックは今まで最善を尽くしてくれた医者に感謝の言葉を述べるわけもなく暴力を与えた。それなのに、その医師は最後まではジャックに謝罪の言葉を紡ぎ続けた。


 ジャックの住処は仕事先の工房を営む夫婦の家。その屋根裏へと移った。母の安全が大切だった。夫婦は快く迎え入れてくれたが、ジャックは申し訳なさで押しつぶされそうになっていた。


 それから、一年もしないある日、今度は宿主であり仕事先の責任者である夫のルカ・リドルを血まみれになるまでジャックは暴力を浴びせていた。


 それは、夏の日だった。家の中に腐臭を感じていた夫婦は流行病の原因とされる鼠の死体があるのではと考え業者を呼んだ。しかし、数時間後その業者は協会の聖職者へと変わっていた。腐臭の原因は、ジャックの母親だった。


 病院では栄養補給や十分な設備で生命活動を続けさせることが出来ていたが、知識のないジャックにそれを継続させることはできなかったのだ。


 夫婦は死体回収させてすぐに処分を行った。ジャックはまだ、仕事中だった。帰って死体を放置していたことを咎められたジャックは我を失い、「母さん、母さん」と嘆きながら暴れ始める。


 この騒動により、ジャックは母親・生きる意味・寝処・仕事。何もかもを失ってしまったのだった。

 



――あぁ、卑しき街よ。僕から全てを奪った衰退よ。


 幾度の辛酸をなめた。全てを失ってから五年。ジャックはホールクロックを前に、物思いに耽ていた。


 町から出る許可が出る適正年齢になるまで、多くの汚れを知った。一度どん底に落ちた彼は流れるように下位の下位まで落ちた。小さな町だ。噂は広がり表での仕事は見つからない。いっそ自殺しようとも考えた。


 そんな中、彼が生きる道を突き進めたのはこの街のことがあるからだろう。いや、この街ではなくこの街の中にあるはずのモノ。母が見つけられなかった父の痕跡。


 異常な霧についての解明は未だにされていない。そもそも、この街と周囲の探索は極めて困難だった。調査を開始しようとすれば意図的としか思えないほど霧は濃くなる。現代技術では無理であり、進歩による新たな調査法を開発しないことには手を付けられない状態だ。


 そんな恐ろしい街に一人の青年が挑む。


 街の奥へと進むたびに霧は濃くなる。それでもジャックは臆さず進む。ボニーが言っていた一寸先も見えない霧に包まれる。でも、ジャックは進む。


 ――聞こえるんだ。心音のような、吐息のような、呼吸みたいな小刻みな音が。僕を誘うように。


 ジャックは足を速める。そして、それは聞こえてきた。


 鼓膜を刺激する爆音。それなのに心地よい重低音。町全体を包み込むような鐘の音。


 ゴーン。ゴーン。ゴーン。


 その鐘の音はジャックの古い記憶を呼び覚ました。母の言葉。


「今となっては、ホールクロックは霧と衰退なんて言われてるけどね。私たちが住んでいた頃は違ったわ。人々はあの町をこう呼んでいたの」


――栄光と時計の街ホールクロック。

 



 気づけば、ジャックは暗闇の中にいた。目をつむっていることに気づき、その後は意識が遠のいているのに気づく。


 ジャックの目の前には一人の少女が立っていた。彼女は自分と意識の戻らない母を受け入れてくれた夫婦が見せていた温かい笑みをしている。


 ボサボサの髪、綺麗な藍色の布を外套に羽織り、裸足。


 意識が遠くなるごとに、ジャックは彼女に近づいている。待ち構えるように、受け入れるように少女はジャックを待つ。


 彼女に触れそうなほど近づいたその時、再び鐘の音が聞こえてきた。先程のモノよりも鮮明に、より響きの良い鐘の音だった。

 



 目を覚ますと霧は晴れていた。青々とした空が広がり人々が行き交い、喧騒が四方八方から沸き上がる。


 ここはどこだと、ジャックは辺りを見渡すが半ば答えは出していた。ゆっくりと、歩き始め街の外を目指した。


 逆転していた。町の中ではなく、街の外に霧が広がっている。空はどこまでも広がっているというのに、門の先は濃い霧で満たされている。それなのに、人々はそんなものがないかのように馬車を走らせ霧の中へと入ったり、現れたりしている。


 この先には進めない。進んだら最後、もう戻れないだろう。

 不確かだが、妙に確信を持った直感。引き返し、ジャックは再び街の奥へと歩き始めた。


 この街は、ホールクロックだった。ただ、妙に流行が古い。機械の発達により急加速する社会、たった数年でも流行は大きく変わってくるがこの街は一つも二つも古く感じる。


「ここは……過去。なのかな」


 不安な気持ちを言葉と共に吐き出す。過去に閉じ込められた。なぜだろう。あの少女は? どこに向かえば?


 とりあえず、中央の広場に来たジャックはレンガ造りのその建物に見下ろされて、少しだけ安心感を抱いた。


 街の象徴。衰退した彼の時代においても活動を辞めず、決まった時刻には休むことなく金を鳴らす時計塔。しかし、見上げたそれは違和感を通り越してしまうほど速い速度で秒針を回していた。


「君、あの時計塔が気になるかね?」


 声を掛けられ思わず振り返ってしまう。ジャックは無意識のうちにここの住人に人形のようながらんどうを感じていた。だから、声を掛けられたことに驚いてしまう。


 しかし、その人物は他の住人とは違った。白髪をオールバックにした初老の男。そのオレンジの目は、しっかりとジャックを移している。


――同じ時間に生きている。


 ジャックはそう感じた。周りの人々は加速した時間の中にいるようだった。しかし、この目の前の男ときたら落ち着いて表情で、ジャックを見つめて立ち止まっている。


「ここは、ホールクロックですか?」


 信頼には程遠いが頼ることの出来る人物。ジャックは、膨らむ疑問の中からハッキリと言葉に出来る問を口に出す。すると。男は微笑むと同時について来いというように背を向けて歩き始めた。


 男の三歩後ろでジャックはついて行く。大きいその背中は、不可思議な物語を紡ぎ始めた。


「この世界は、我が町ホールクロックの夢だよ。我々は、この夢に囚われている元住人だ。そして、君も囚われてしまった」


「出る方法はあるんですか?」


「この世界のどこかに夢の主人がいるはずだ。これは、誰かが見ている夢なのだからな。そいつをたたき起こせばいいのだろう。私は、ずっとそれを探している」


「何年くらいここに?」


「何度も言うがここは夢の中だ。夢の中で何分経ったなんか気にするか? ここは、悠長な世界だ。時間などないに等しい。時計の街などと呼ばれていたというのに」


 悼むようにつぶやいた男はある石造りの家の前に立ち止まった。


「君のように、急に夢に囚われてしまう人物は多くはない。一人紹介させてもらおう、私よりも彼女の方が案内には向いているはずだ。現実世界のこの街の現状を知っているのだからな」


 ドアをノックして数秒。返事もなしに、急にその重そうなドアはゆっくりと開き始めた。


「なにようかな?」


 その女性は面倒くさそうに言葉を放つ、そしてジャックを見るや否や家から飛び出して彼を抱きしめた。ジャックも一瞬で気づいた。でも、信じられなかった。体を伝うその確かなぬくもりの中でも信じられずにいる。


「……来てしまったのね。ジャック」


「――お母さん?」




 栄光と時計の街ホールクロック。この街はなぜ衰退の道を進んだのか。それはやはり急に街を覆い始めた濃い霧にあるのだろうが、この街に住んでいた者の中には別の回答を出す者もいる。


『殺人鬼の登場だ。奴が登場したあたりから霧が発生しだした。霧によって生活が困難になり、殺人鬼に怯える日常が始まった。俺たちは、街を出ていくしかなくなったんだ。殺人鬼が俺らを追い出したんだ。あの、栄光の街から』


 ホールクロックの殺人鬼。その実態は不明だ。霧の濃い日に無差別の暗殺を行う。ナイフを使った殺人が主だった怪奇のような事件。


「私はね、急に発生した霧の調査のためにこの街に来たの。私が来た頃には人口は三分の一ほどいなくなっていたわ。霧についての、調査が一向に進まない中で私の興味は殺人鬼の方に向かった」


 椅子に座り机を間に置いて母と向かい合い話をする。町について話す母はいつも通り落ち着いて今もホールクロックにいるというのに、懐かしむようだった。


 まだ、ジャックはこの夢を信じられていない。


「調査は中断。殺人鬼に怯えた調査員たちは街から離れたの。でも、私はこの街を気に入っていたの。そして、調査の中で一人の男に恋をしていた。……あなたのお父さんよ」


 照れるように、うつ向いた母だがすぐに表情は曇る。これも変わらない。ジャックは父親について知ることはこのホールクロックに残る選択をし、そのまま行方不明になったことくらいだ。


 何故か、母は自身の夫についての記憶がないのだ。ないというより、砂漠の砂のように、救い上げると零れ落ちていく、形にならない。


 母はそれが怖かった。恐れていた。だから、父の話は禁句だった。


「まぁ、貴方を連れて街を離れ。もう一度調査のためにこの街を訪れた時よ。急に濃くなった霧の中で、私は時計塔の鐘の音を聞いたの。そしたら、急に女のお子が目の前に現れて……気づけばここにいた」


「……っ! 僕もそれだ。女の子。えっと、小さくて髪はボサボサで、藍色の布を外套に身を包んでいた」


「えぇ、その子。私が見たのもその子であってる」


 急に僕らの話を部屋の隅で聞いていた白髪の男が、興味深そうに近づいてきた。


「その子の目は……緑色じゃなかったか? 少し濁ったような」


「いや、暗くて顔は良く見えなかった。でも……笑っていたのは見えた」


「同じく……なに? 貴方はその子を知ってるの?」


 男は、少し迷った表情を見せたが「場所が場所だ。言っても罰は下りないだろう」と呟き、ため息を一つ。


「この街に衰退の霧が訪れる二年ほど前だ。私は、一人の少女を拾ったのだ。独身だった私は、家族に憧れがあってな。その子は、ともに捨てられていた藍色の布を手放すことを嫌がり、いつも身に着けていたんだ」


「その子は結局どうなったんですか? この夢の中に?」


「いや、彼女は出会いった一年後に死んだ。人攫いにあい、抵抗でもしたのだろうか。見るも無残な姿で見つかったのだ。だから、やはり。彼女ではないのかもしれない」


 どこか、懺悔するように男は語った。どうやら、少女を一人にさせてしまったこと、そもそも拾ってしまったこと自体に罪を感じているのだろう。ジャックは深く頷きその話を聞き終える。


「でも、その子じゃないにしてもここから出るには少女を探すことが唯一の手掛かりかもしれない」


 そう言ったもののジャックはそれを行うことにためらいを感じていた。そっと、母親の方を向く。温かい笑みで彼女は頷いてくれた。


「そうね。でも、私は長いことここにいるけど、その子を見たのはここに来る時だけだったわ」


「私も、この夢の世界の隅々まで歩き渡った。それ故にここを夢と判断したのだ。しかし、その少女に出会ったことはないな」

 



 聞いた通りだった。


 いつも何かジャックの中の時間間隔は狂っていまっていた。時計の街というだけあった街のあちこちに様々な時計が置かれ掛けられしているが、そのどれもがグルグルとかなりの速さで回り続けている。しかし、日に暮れはなくよく観察すれば人々はその場をグルグルと回っているだけだった。


 この夢から出る手掛かり、藍色の布の少女は見つからない。母は協力的だが、あまり外には出ない。白髪の男は色々なところを歩き回っているが、それは通常運転の様だった。


 ジャックはいっそこの夢にずっと囚われることも考え始めていた。現実に良いことはない。ここには、母もいる。ずっとここにいても悪くはない。


 よくよく考えれば、外に戻る理由も大してないのだ。置いてきた想い人などもいないし、そもそもここに来たのは母や父の痕跡を求めてだった。旅の終着点だった。


「悩んでいるね」


「あっ、どうも」


 いつもまにか、男が横に立っていた。


「先に言っておこう。君の母親は君の想像以上に聡明だ。彼女は、私が助言する前にこの場所を夢ととらえていたし、現実の彼女自身の肉体についてもある程度の予想を立てている」


「母は、意識不明で。病院からも追い出されて、捨てられました。僕のせいです。……もう一度、僕は母を捨てないといけないんでしょうか」


「ありきたりな言葉だが、あるべき場所に返すべきだと考える。彼女のあるべき場所はここではない。肉体を失ったのならば魂を解放してあげるべきだと思うが」


「残酷なことを言ってくれるんですね」


「君のためだ」


 男はゆっくりと歩き始める。ジャックはついて行くこともなく、ただその場に立ち止まっていた。


「貴方は、街にとどまることを選んだからこの夢にとどまったと言ってましたよね」


「ああ」


「じゃあ、あなた以外の残った人たちはどこにいるんですか?」


「どう考える?」


 さっと、男が言うと周囲に霧が立ち込む。初めてこの世界が違う表情を見せてきた。


「整理すればするほど疑問が浮かんだ。僕と貴方、母以外に自由に歩き回っている人物が見つからない。夢から解放されたのか、そもそもいなかったのか」


「なるほど、君はこの世界が街の夢だと信じていないわけだな。この私が見ている夢だと。私が夢の主だと思ったわけだ。しかし、それであの少女は? 君の母は?」


「少女は貴方の記憶に存在する。そして、母と僕も。だから僕らは夢に引き込まれた。違いますか?」


「半分正解だ」


 一寸先も見えない霧に包まれる。心のどこかで目を覚ますことへの希望と母と別れることの悲しみを抱いたが、霧が晴れた時男がいないだけで、まだ夢の世界のままだった。




 母の住む家に帰宅する。どうやら、この場所はジャックの生まれた場所でもあるようだった。


 母はゆっくりと微笑むジャックを出迎える。


「おかえりなさい」


「ただいま」


 母の向かい側の席に座るや否や。ジャックは自分の考えを彼女に伝えた。


「あの男、白髪の男。あの人が僕のお父さんなんじゃないの? ここはあの人に夢で、僕らは家族だから共に囚われた。あの人をどうにかすれば……」


 どうにかすれば、母親と再び別れてしまう。自分も母のように肉体が腐ってしまうんじゃないか。その思いで戻ることに急いでしまうが、思いが強くなればなるほど別れが苦しくなる。


「ジャック。私は、帰れるのかしら」


 その目は悟ったように温もりに満ちていた。ジャックの涙が、号泣がその問いの答えとなる。


 彼女は立ち上がると、ゆっくりとジャックを抱きしめた。


「大丈夫よジャック。ずっと長い間何もないここにいたんだから、覚悟なんてずっと前からできていたわ。最後に、成長した貴方に会えてよかった。私がいなくても立派になってくれて。本当によかったわ」


「お母さん……」


「終わらせましょう。この悪夢を。貴方のお陰でつながったわ。私はある事実を知っている。この街を衰退に導いた殺人鬼。その正体を」


 いつの間にか、建物の中だというのに霧が濃くなっていた。でも、母とは身を接し手を握り、温もりがある。霧の中でも不安はない。


「あぁ、思い出したわ。あの街で私が愛した殺人鬼。全てをしったあの日から、急に記憶が剥がれ落ち始めた。貴方の姿も、声も、名前も抜け落ちていった。だから、そう。私は一番大切なものに記憶を残した」


 ジャックの体から彼女の体が離れていく。


「殺人鬼の名前はジャック」


 霧が晴れていた。家の中ではなく時計塔の真下。座り込んでいるジャック。立ち上がり母と男が対面している。しかし、男は母ではなくジャックの方を見つめ、ゆっくりと笑った。


「街に残りこの夢に囚われた他の住人達。彼らは、殺人鬼。このジャック・オレンドによって全員殺されてしまった。この夢で死ぬことはすなわち夢の一部になること。意思なく街を行き交う彼らは、かつては私たちと同じで夢からの脱出を望み、活動していたのだ」


 男の手にはナイフが握られている。しかし、そのナイフを彼は捨て、両手を挙げた。やれやれと首を振る。


「私が殺人鬼だ。しかし、君たちの家族だ。流石に、家族は殺せない。まぁ、君の推理は外れだ。ここは私の夢ではなく正真正銘ホールクロックの夢なのだ。私にはどうにもできないし、私の正体を暴こうが何も起こらない!」


 彼がそう言い終えた瞬間。街中を包み込み鐘の音が響いた。耳をつんざくような爆音だ。男とジャックは耳をふさいで、さらに身をかがめた。大きな振動が街を揺らす。


「……な、なんだ!?」


 ジャックはその中で小さな声が聞こえた。


――私が助けるから。貴方を守るから。


 シンと鐘の音が止み、地響きも治まる。顔を上げた二人の目の前に広がったのはナイフで腹を貫かれた母と、その背後でナイフを握る藍色の布の少女だった。

 


 

 街が殺人鬼を守っているという噂を聞いた。


 この霧はどう考えても予想不可能だ。更に霧の中を自由に動き回るには専門の機械が必要となり、さらに使ったとしても動き回るには及ばない。


 故に殺人鬼は霧の中で犯行を行うことはできない。殺人鬼が獲物に狙いを澄ました瞬間に街が犯行を隠すように霧を発生させるのではないか。


 なぜそのような話が出たのだろうか。それは簡単な話。その時期の殺人鬼はある種のダークヒーローのような存在だったからだ。街に蔓延る不埒な輩。裏の組織、誰かから強い恨みを買っているもの。街の中でしっかりと悪と定義られる者どもが殺害の対象だったからだ。


 そのヒーローの行いをこの街が助けているというストーリーはかなり美しく。当たまえのように人々を覆った。話が広まったことで悪人たちはこの街から去っていくようになった。


 しかし、ここは本当の意味でも時計の街だった。精密機械。悪人と言えども、街の歯車の一部。それが欠けたことにより、機能の低下がところどころに見られるようになる。


 そんな中で、また新たに悪が生まれ。殺人鬼はそれを刈り取る。


 だんだん無差別に人を襲うことになる。人々は街と殺人鬼という檻の中で、不安定な日々の中正しく生きることを強制させられるのだ。


 そして、一人また一人と街を去っていく。


 ホールクロックはこうして、衰退の道をたどった。故に、こうも考えられる。


――街は殺人鬼と共に衰退を望んだと。




「お母さん! 嫌だ。もう、嫌なんだ!」


 ジャックは倒れた母親に向かって何度も声を上げる。しかし、ゆっくりとその母の体は白い煙のようなものに変わっていく。この街の夢の一部。霧となって消えようとしている。


「ジャック。貴方なら、大丈夫よ。私はずっと見ているから。怖いものなんてないんだから。もう、泣かないで」


 ジャックの涙を手の甲でふき取り。彼女は完全に霧となり消え去った。


「なんなんだお前は?」


 叫び声に似た声を聞き、ジャックは顔を上げた。虚ろな目で見ると、男が少女の肩を掴んで問いかけていた。


「私は、ホールクロック。貴方を守る、貴方の罪を隠す」


 ゆっくりとこの街の名をなのる少女はジャックの方を向く。


「貴方の罪を知るものは、貴方の罪の証拠。私が、隠す。だから、そんな悲しい顔をしないで……」


「やめろ、その子はいいんだ」


 少女は肩の手をどけ、ゆっくりとジャックの方に近づく。


「逃げろ、ジャック! 殺されるぞ」


 言われるがままジャックは走り出した。訳も分からないが、少女から感じるハッキリとした殺意を受ければ体は簡単に反応した。


 しかし、もし彼女が本当にホールクロックならこれは彼女の夢の中だ。彼女から逃げることは不可能なのではないだろうか。


 ジャックの思いを証明するように当たりが霧に包まれる。それでは走る。


『こっちよ、ジャック』


 何かから手を握られ、引かれる。


「お母さん?」


 その存在は確認できないが確証はできる。霧となれどその温もりは感じ取れた。


『すぐに、意識すら夢に取り込まれる。でも、最後に一つだけ貴方に伝えたいことがあるわ』


「なに?」


『私が聞いた話。馬鹿げているけどそれが多分真実』


 霧の奥に光がうっすらと見えた。母はそこに連れて行こうとしているのだろうか。


『この街は殺人鬼に恋をした』


「それってどういうこと?」


『すぐにわかるわ。後は自分で進んで』


 手を離した母はスッと消えていく。お別れはさっき済ませた。今のはおまけだと言いたげにあっさりとした別れ。


「大丈夫」


 おまじないのようにそう唱えたジャックは光の先絵と飛び込んだ。




 最初の殺人は人攫いの二人組だった。


 復讐のはずだった。それで全てを終わりにするはずだった。彼らの罪でもあるが、あの子から目を離した自分のせいでもある。


 罪悪感で押しつぶされそうな男だったが、それを包み込むような霧がかかった瞬間目を疑った。


 自分の周りだけぽっかりと空間が開いていたのだ。半球型の空間。周りから聞こえる悲鳴や、苦言の中男だけはある程度自由に動けた。


 この街のことは把握している。壁に手を当てて、ゆっくりと彼は死体から離れていった。その場に罪を置いていった。


 そして、数日後人攫いはある組織が集団となって行っていることがわかり、復讐が完了していないことを知った。また、あの子のような被害が出るかもしれない。


 男は組織に立ち向かった。まだ老いたとも言えない歳だが十分に生きた。大好きな街を守るためなら命の一つも惜しくない。その心持だったが、またもや霧が彼を助けた。


 自分の使命に気づいた。この街を守る。悪を取り除く。後に暴走するその使命だが、いつでも霧は男を守ったのだった。




「ここは?」


 光の先。霧ははれて、全方位に広がる青空と花畑に言葉を失うばかりだった。


「ここは……」


 隣の声に反応すると、男が立っている。とりあえず話を聞くと、霧が晴れたらここにいたということだ。そして、この花畑についても知っていると。


「しかし、ここは街の外だ。丘の上の花畑。なぜ、街の夢の中にこの場所が存在する?」


「ここは、私の記憶だから」


 今度は後ろから声が聞こえた。振り向くと藍色の布の少女が立っている。慌てて下がりしりもちをついてしまったが、そこに殺意はなく手に握っているのはお手製の花束だった。


「はい、ジャック」


「あぁ、ありがとう。ジェシカ」


 受け取った男は慣れた手つきで少女撫でた。


「これは、どういうことなんだ」


「ここは、元々私の世界だったの。でも、ある日あの子が来た。私もあの子もジャックが大好きだったから。一緒に協力してジャックを守ったわ。そしてあの子は私の世界を広げて、ジャックが悲しまない世界を作りたかったみたい」


「あの子?」


「ホールクロックのことだね」


 息子ジャックが二人の間に入る。自分もジャックだからか、彼はどこか複雑な気持ちでいた。


「貴方は?」


「……ジャックの息子だよ」


「紹介しよう。私の息子のジャンだ」


「ジャン?」


「ジャックはただのメモみたいなものだろ? あいつが私の名前を思い出せるための。私も親なんだ。君はジャンだ」


 というわけで、ジャンとなった青年は自身の考えを再び二人に聞かせ始める。


「ホールクロックは貴方のことが好きだった。理由はわからない。街に誠実な男だったから? 僕にはあなたの魅力はわからないけど、とにかくすごく好きだったに違いない」


 ジャンは急に饒舌になった自分に気づいた。母との別れ、そして新たな名前が自分を変えたのかも知れない。


「しかし、街は街だ。人の姿で無ければ貴方に愛されない。そこで、ホールクロックは依り代に彼女を選んだ。理由は簡単だ。貴方の話を聞いていればわかる。彼女は貴方が一番愛した人物だからだ。それと、彼女があなたを愛していたこともあるだろう。死んだ彼女の魂を自分とつなげてホールクロックは自分の世界に連れ込んだ。そこでずっとあなたを守ろうとした」


「じゃあ、なぜホールクロックは私の前に現れた。君や君の母のような人物を連れ込んだ? 君たちを連れ込んだことによってズレたのは確かだ」


「それは……」


「それは、ジャック。貴方が、この世界を愛せてなかったからだよ」


「この世界を?」


「あの子は貴方とこの街を愛し続ける残った住人たちを自身の世界に捕らえた。でも、その世界でも貴方は殺人を辞めなかった。あの人たちは悪でも罪のある人でもなかった。貴方は自暴自棄になっていた。最後の一人になっても、その人達はジャックのことを殺人鬼とは暴けなかった。貴方の本当の望みは、自分の罪を隠してもらうことじゃなくて裁いてもらうことだった。あの子はそれに気づいたから貴方の前に現れることが出来なかった。そして、貴方の罪を裁ける暴ける人物である二人を世界に受け入れた」


「でも、奴はお母さんを刺した」


「今頃になって、目を覚ましたくなくなったんじゃないかな? でも、大丈夫ここは私の場所だからあの子は来れない」


 もうすぐ目が醒める。ジェシカはそう言った。


「キーは単純。ジャックの思いを満たすことだったから。ずっとつらい思いをしたジャックを癒し崩壊を前に共に過ごすことを街は望んでいた。でも、そのキーは違う形で壊された。愛する人から、貴方は正体を暴かれた。それだけで、崩壊は始まっているわ。もう、向こう側の世界はボロボロでしょうね。時期にここも」


 突然の揺れ。そして、全体がゆっくりと霧へと変わっていく。


「ジャン。もし、お前の肉体が無事で現実に戻れたなら、時計台の上に来い」


 全てが霧となりジャンはまた来たときと同様、真っ暗な場所に立っていた。少女はそこにいる。ジェシカではない、ホールクロックだ。


 ジャンは近づくとそっとその肩に手を置いた。


「僕はまた、君に。この街に栄光を取り戻させたい。君は望んでないかもだけど、僕は君を愛するよ。僕の愛した人たちが大好きだった君だから」


 ホールクロックはゆっくりと顔を上げた。その瞬間、ジャンの体はどんどん少女から離れ始める。最後に一瞬だけ、この街の笑顔が見えた。




 目を覚ますと晴天が彼を見下ろしていた。しかし、辺りを見回すと気が滅入るほどの衰退景色。ジャンは自分が戻ってこれたことを悟った。


 何日か放置された体は限界が来ていたようで、動かすたびに全身にしびれが襲う。手荷物の中から食料を取り出し、ムリに口に入れ水で流し込む。胃が受け入れることも吐き出すこともできず暴れ始め、落ち着くまでその場をのたうち回った。


 体が動き、意識もはっきりしだすと。ジャンはゆっくりと目的の場所まで歩を進めた。


 時計塔の屋上。時計の裏側のその上は屋根裏となっておりそこが最上階。四方に町全体を眺められる小窓がついている。その部屋の隅、ジャックは彼を発見した。


「来たか。ジャン」


 幻覚だろうか、幽霊だろうか。半透明の男がジャンに話かける。その足元には、骨らしきものが散乱している。鼠に食われたのか、かじられた跡が痛ましい。


「ここら辺を少し漁ってくれないか? 多分持っていかれてないはずだ」


 指で指された場所の残骸をどけて誇りを払う。金属的な何かが見え、引っ張るとジャラジャラと鍵が三つついていた。


「一つは家の鍵。あの、夢の場所と同じだ。二つ目は、店のカギだ。家の横の時計屋だ。別に継げとは言わない。好きに使うといい。三つめは……店の地下の鍵だ。そこには私が殺した多くの人々が眠っている。彼らを、弔ってくれないか?」


 ジャンは静かに頷く。


 ジャックは、それを見捉えると笑みを作り、ゆっくりと消えていく。


「信じられんだろうが。私はお前を愛していたんだよ」


「信じるよ」


 彼は、夢の世界に入った来たときすぐに助けてくれた。母のもとにすぐに連れて行ってくれたし、悩んだときは助言のために現れた。


 家族だから殺せないと言ってくれた。


「僕も愛しているよ。お父さん」


 聞こえたかどうかはわからないが、返事をするように真下で鐘がなり足場を揺らした。


 その鐘はこの街の再誕の産声だった。

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