(3)お城で迷子


 周囲のアメジスト色の光が薄れてくると、見えてきたのは壁際の棚に積まれた大きなタルだった。

 後ろを振り返れば、そこにもタルが積まれている。左右には通路が続いており、それほど広くはない石造りの部屋だ。


「……ここ、どこ……?」


 リームが呆然とつぶやくと、ちょっと湿っぽい匂いと同時に酒の匂いがした。もしかしたら酒蔵なのかもしれない。


 アメジスト色の光が完全に消えると、あたりは真っ暗になってしまった。

 リームは〈小さき光〉を唱えて指先に光を灯す。光の維持にはコツが要るが、仮にも魔法士を目指すリームである。神殿にいたころは大人の目を盗んでよく練習したものだった。


 あれからティナは、丸々1刻近く自分の部屋から出てこなかった。そして出てきた時には1冊の本を持っていた。


 本というよりも装丁された白紙の束といったようなもので、最初の数ページだけ手書きで文字や図形が描かれていた。ティナが自分で書き込んだものかもしれないし、そうでないかもしれない。


 尋ねてみると、そのページに書かれているのは空間移動の魔法なんだそうだ。リームも興味津々で読んでみたが、神殿の子供同士の間で培った程度の知識では、まったく理解できなかった。


 その魔法を使うにはある程度広さが必要だそうで、ふたりはリームの部屋に移動した。リームを部屋の中央に立たせ、ティナが本を見ながら呪文を唱えていくと、床に細い光の線で魔法陣が描かれていく。


 いつもは指の一振りでぽーんと空間移動の魔法を使うくせに、今になって本を見ながら呪文を唱えるのは、やはり『青』の存在を気にしているからとしか考えられない。いつも使っている魔法には『青』に知られたくない何かがあるのだろうか。


 疑問に思いつつ空間移動の魔法で送られた先は、見たこともない酒蔵らしき場所。

これまでお茶会に送ってもらう時は、ストゥルベル城の中庭に出ていた。こんなところに出るのは初めてだ。


 扉に手をかけ押してみると鍵はかかっていないようで、リームはほっと安心した。そのまま扉を抜けて、続く階段を登ると、食料庫のような場所に出た。ここは窓があるので薄明るい。


 リームが指先の光球を消して、物音が聞こえるほうへ歩いていくと、大きなカゴに布をたくさん抱えた女性がいた。その女性はリームと目が合うと、リームが何か言うより先に言った。


「ん? お前、こんなところで何やってるんだい? まだエプロンを受け取ってないじゃないか。新人が遅刻すると叱られるよ」

「えっ、あの、私は……」

「この城は広いからね、慣れないうちはうろうろしないほうがいい。あ、ほら、エメルダーっ。この子、そっちの子だろー?」


 部屋の反対側を通りかかった別の女性を呼び止めると、そのエメルダと呼ばれた女性はちょっと首をかしげながらもリームの側に来た。


「あら、今日は3人って聞いてたけど、4人だったのかしら? まぁいいわ。いくらいても足りないぐらいだもの。さ、もうみんな持ち場に分かれて仕事を始めてるわよ。あなたはそうね、西階段をお願いしようかな」

「あ、あの、ちょっ……!?」


 リームはあれよあれよと言う間にてきぱきとエメルダに連れて行かれ、大きな階段の側でエプロンとホウキを渡された。


「階段掃除の基本は上から下へ、ね。まず5階まであがってから、1段ずつ掃いて降りてきてちょうだい。目上の人が通るときは端に寄ってお辞儀をするのよ。終わる頃に私がまた来るけど、何か分からないことはある?」

「す、すみません、私は……」


 と、そこまで言ったが、リームは次の言葉が見つからなかった。


 自分は何だと言うのか。フローラ姫の……娘? いやいやいやいや、絶っ対に、そんなこと、言えない。

 じゃあ、友人? それも無理がある。年齢もあるけれど、こんな使用人以外だと微塵も疑わせない格好をしていて、信じてもらえるはずがない。


「……いえ、なんでもないです」

 仕方なくリームはそう言ってエプロンをつけ、階段を登り始めた。まわりに誰もいなくなったら中庭を探しに行こう。やっぱり私がこんなところに来るなんて、不釣合いなんだよなぁ……。


 目線を下に落としながら階段を登っていくと、上の階からぬおぉぉぉ!?という妙な声が聞こえて、リームは何事かと顔をあげた。


 ばたばたばたと階段を降りてくるのは、濃い緑色のローブにアミュレットをつけ長い杖を持った、どこかで見たことのある老人だった。


「りりりりリーム様!! なぁにをやっておられるのですかぁ!?」

「あ。ロデウォードさん」


 ロデウォードはリームをレンラームの街まで追いかけてきたストゥルベル家付きの老魔法士だ。追手として出会った時は気に食わないやつだったが、今は某タヌキオヤジ宮廷魔法士を敵視する点では共感が持てる相手だった。


「一体誰がこのような仕打ちを!? ストゥルベル家の次期当主となられるお方になんってことをーっ!」

「いえ、違うんです。ちょっと空間移動の魔法で間違いがあって、いつもと違う場所に出ちゃって」

「ああ、おいたわしやリーム様。一刻も早くあの恐ろしい店から離れるべきですと、申し上げておりますのに」


 ティナの魔法で簡単にあしらわれてから、ロデウォードはティナのことを極端に怖がっているようだった。人間ではないとさえ言っていたこともある。

 大げさな言い方だとその時は思ったのだが……『青』のこともあって、ちょっと気になってきた。


「……ティナって、人間じゃないんですか?」


 小さく尋ねたリームの言葉に、ロデウォードは大きく何度もうなずく。

「えぇ、そうですとも。あの魔法の扱い方、あの魔力、人間ではありえませぬ。私どももですが、何よりフローラ様が心配しておられます。さぁ、もう今すぐにでも城に住まわれては」


「それはないです、ごめんなさい。――あ、私、お茶会に呼ばれているんです。中庭はどっちですか?」

「おぉ! フローラ様とお茶会でございますか! それは早く行かなければなりませぬな。ささ、こちらでございます」


 ティナが人間じゃない、かぁ……。ロデウォードの後ろに続きながらリームは思った。


 この世界には、人間以外にも人間に似た姿形の種族がたくさんいる。王妃様のような竜族の他にも、精霊族、妖精族、光族、闇族。みんな人間は足元にもおよばぬ魔力を持つという。


 半ば伝説上の存在である光族と闇族は、希少すぎて見たことがない。精霊族や妖精族は、王都であれば少ないながらもそれなりに数がいて、リームも見たことがあるが、どんなに人間に似た姿のひとでも耳の形や肌の色などが明らかに違っていた。


 ただ王妃様を見ると、人の姿をとった竜族は人間とまったく区別がつかないように見える。もしかしてティナは竜族なのだろうか。だとすれば王妃様と知り合いだったことも納得できる。


 そうだとしたって、別に隠さなくても、言ってくれればいいのに、とリームは思う。街の人に隠しても、『青』に隠しても、私には言ってくれても……いいんじゃないかなって。


 姉妹みたいに思っていたのは自分だけだったのだろうか。ティナにとっては、自分はただの雇われた店番に過ぎないのだろうか――。

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