その11


 ――


 バベルは、夢を見ていた。


 10年ほど前の夢。その日の事を彼はいつだって忘れない。


 草木一つ生えない火山の麓。ごつごつとした巨大な岩が周囲に散乱し、得も言わぬ臭いが立ち込める。いかなる猛者であっても、立ち入ることを本能的に拒絶してしまう。そんな場所にバベルはいた。


 ただし、彼は1人ではない。もう1人、いや、もう1体がそこにいた。


 かの有名な、魔人ヌーである。


 魔人とは魔物であり、その中でも飛びぬけて強力な存在である。姿かたちは人間とほとんど見分けがつかないが、その特徴は大きく異なる。鋼鉄の剣をはじき返す強靱な肉体を持ち、凶悪な魔法を止めどなく放てるほどの精神力を備える。人間と同等の知力があり、人の言葉を理解し発することができる。個体数こそほとんどないが、ひとたび人間の街に現れれば、街が、いや世界が恐怖に陥るほどである。


 ヌーは、そんな魔人の中でも飛びぬけて強力だった。退治に来た冒険家を次から次へと抹殺し、もはや手の付けられない存在となっていた。いつしか「世界の脅威」とまで恐れられ、市民の中には終末論を唱えだす者さえ現れた。


 バベルはそんな魔人と対峙していた。ここに来るのは何度目だろうか。そいつを倒そうと挑んでは返り討ちにあう、そんなことを何度も続けているうちに、ついに彼はヌーと対等に渡りあえるほどの力を身に着けていた。


 右手には数多の魔物を退治した剣。左手には幾度の危機を防いできた盾。彼は自信に満ちあふれていた。


「魔人ヌーよ、今日がお前の命日だ!」


 高らかに宣言する。するとどうだろう、魔人はケラケラと笑うではないか。


「ハハハ、何度向かってこようとも無駄だ。俺にはかなわないぞ」

「そう言えるのも今の内だ。俺はついに身に着けた。魔人の息の根を止めるほどの力を」


 バベルも一歩も引かない。魔人はそれでも笑いを止めようとはしない。


「ハハハ、人間よ。俺は知っているぞ。お前は弱い。いくら見せかけの力をつけようとも、その内側は弱虫だ! 臆病だ! 意気地なしだ!」

「いや、違う。この強さは本物だ。見せてやる。魔人を超えた人間の力というのを」


 魔人のあおりを持ってしてもなお、その表情には強い決意に満ちあふれている。


 これまでとは違う雰囲気を察知したヌーは、にやりと笑みを浮かべる。


「ほう、では見せてもらおうか。せいぜいこのヌーを楽しませてくれよ!」

「いいだろう、俺と出会ったことを後悔するがいい!」


 ついに魔人と相まみえる。その時、背後から一陣の光が彼を後押しする。それは希望に満ちあふれた光――


 その瞬間、はっと目が覚めた。いつの間にか夜が明けて、朝日がベッドの上に横たわる勇者の身体を温かく照らしていた。


「夢か……」


 今の時間を確認しようと窓の外を眺める。しかし、まだ目が慣れないのだろう。バベルは外の光を直視できないでいた。


 ――


 ノーラは夢を見ていた。


 半年ほど前の夢。その日の事を彼女はいつだって忘れない。


 ―― ノーラ=サマリアント、合格! ――


 それは冒険家研修の最終日。卒業試験として一人でのゴブリン退治が命じられ、ノーラは見事に達成した。


「やった……ついに……」

 

 幼いころから冒険家になることに憧れていたノーラは、この日この瞬間を待っていた。感動で胸がいっぱいになった。言葉が出てこなかった。


「ノーラ! おめでとうぅ!」


 感動するのもつかの間、一人の少女がノーラの胸に目掛けて突進しながら抱き着いてきた。突然のことで思わずのけぞってしまう。


「ちょっと、レーシュ、苦しいって」


 レーシュと呼ぶその少女は同い年の幼馴染だった。二人とも同じ孤児院の出身である。両親も親戚もいない、生まれた場所すら分からないノーラにとっては、姉妹とも言うべき存在だった。


「でも、私うれしくって。ノーラが冒険家になるなんて」

「いや、しみじみしてくれるのは嬉しいんだけど、レーシュの番が始まるんじゃない?」


 レーシュは別に外野で見守っていたわけではない。ノーラと同様に、冒険家になることを夢見て研修を受けている立場でもある。


 ―― おい、レーシュはいないのか! 失格にするぞ! ――


「やば! 行ってくるね」


 試験官の怒声に気づき、慌てて駆けつける。卒業試験の班は既に新たなゴブリンと遭遇し、これをレーシュ一人で倒せとの試練が与えられていた。


 さて、姉妹同然ではあるが、まるで対照的な二人であった。


 乙女チックな性格のノーラに対して、活発な少年のようなレーシュ。


 長い赤髪のノーラに対して、短い銀髪のレーシュ。


 そして、魔法の素養があるノーラと、まったく魔法が使えないレーシュ。


 この世界において、まったく魔法が使えないというのは珍しい存在である。程度の差こそあれ、何かしら使えるのが普通だ。魔法に慣れきっている社会においては、それが使えないというのは、かなりのハンディを抱えているといえる。


 しかし、彼女にはそれを補って余るほどの「武器」があった。


「レーシュ、いきます!」


 何の前触れもなく、ゴブリンに向かって全速力で突撃したかと思えば、


「はい、じゃんぷ!」


 自分の身長よりもさらに高く飛び上がり、


「えいっ、たてぎりっ!」


 ゴブリン目掛けて片手剣を一直線に振り下ろす。唐突すぎる出来事に身構えることすら出来ない魔物は、その一撃をもって絶命する。


 そう、彼女の武器は人並み外れた運動神経。それは、冒険家として認められるに十分な能力だった。


 ―― レーシュ=サマリアント、合格! ――


「すごい! すごいすごい!」


 ノーラは、さっきのお返しとばかりに彼女の胸に思いっきり飛び込んだ。


「おめでとう、レーシュ。これで二人とも冒険家だね」

「……」


 しかし、レーシュはうつむいたまま言葉を発しない。


「え、どうしたの?」

「……」

「もしかして感動してる? あ、泣いちゃっているとか?」

「ああ、そうだ」


 ん? この声に聞き覚えがあるぞと、レーシュの顔を恐る恐るのぞく。


 違う。こいつはバベルだ。


「俺はゴブリンに勝った!」

「えぇ、どういうこと? 何であなたがいるの!」

「俺はやれる!」

「もしかして、夢? ちょっと、人の夢に入ってこないでよ!」

「俺は勇者バベルだ!」

「やめてよ! 出てってよ!」

「うぉぉぉ!」

「いやぁぁぁ……」


 ―― うぉぉぉ…ぉ…おい…… ――


 ―― おい、朝だぞ! 起きろ! ――


 その瞬間、はっと目が覚めた。ドンドンと扉を叩く音と、バベルの無駄に大きな声が部屋中に響いている。やっぱり夢だったのかと安堵した。。


「あ、悪夢だ……」


 ノーラは自分の姿を鏡で見た。髪はグシャグシャ。服はどこかに消えて、ほぼ半裸。ひどい姿に、がっくりと頭を下げる。


 その時だった。


 ―― いつまで寝ているんだ、入るぞ! ――


 ガチャガチャとドアを開ける音がする。


「ええぇ、ちょっと! 今だめぇぇ!」


 ノーラの苦しみは尽きない。

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