四 一つ目大入道

 今宵こよいうたげ支度したくに追われ、小倫は城を飛びまわる。

廊下を駆けるが音はたてない。

優雅に振り袖が揺れている。

突然現われて、はかまの裾から中に入り込んだのは、白猫お雪。

小倫の桃のような尻に牙を立てる。


「ぎゃ、痛い、何をする」

驚いた小倫は手にしていた、殿の白いふんどしと袴を床に投げ落とす。


小蓮これん、良かった。やっと二人っきりになれた。小姓に化けていたんだねえ」

袴の脇から顔を出す。


「ああ、驚いた。なんだ小鞠こまりか。どうりで今朝は城内が狸臭いわけだ。奥方の白猫に化けたのか」

「毎晩、明石の殿と乳繰ちちくり合っているってね。憎い殿の息の根を止めるのは、いよいよ今夜。もし万が一、仕損じても最後はおまえが、閨で口吸いしている最中に殿の舌を食いちぎるのだよ」

肩に飛び乗り囁いた。


「ここの殿の胸毛は黒くてふさふさしていて悪くないぞ。鉦叩かねたたき法師とよく似ている」

「何を言っている。殿に情が移ったわけではあるまいな」

「ふふふふ、どうかな」

小蓮がにやりと笑う。


「ところで、このところずっと六甲の山では見かけなかったが、一体どこでどうしておった」

小鞠は目を細めて、愛しげに小姓に化けたの許婚いいなずけ狸を見つめた。


「実は、小倫はおれの親友だったのだ。生田の村へ、若衆姿に化けて何度も遊びに行き深い仲となった。おれは小倫を山奥へ連れ去り、山の洞穴で一晩楽しく過ごした。おれのまことの姿を見せると小倫は手を叩いて喜んだ。小倫の甘く柔かくかぐわしい体を隅々まで舐めてやった。小倫は、おれのふさふさ尻尾にくるまれて、すやすやと眠った」

悪びれずに言う。


「何と、まさかおまえまでが小倫に恋していたとは。狸の念者というわけか」

嫉妬に燃えた白猫の目は赤く吊り上がり、恐ろしく耳まで裂けていた。


「だが、翌朝、追いかけっこをして遊んでいるうちに、細い獣道を踏み外した小倫は、谷底に落ちて死んでしまったのだ<母さんを悲しませたくない。母さんを頼む>と言い残して息をひきとった。哀れに思ったおれは、小倫に化けて母の元へ帰ったのだ。すっかり小倫になりすまして暮らしていた。

 すると、ある大雨の日に生田の小野で出会った明石藩の武士から、登城するようにと声をかけられたというわけだ。おっと、こんなところで油を売っていると、小姓頭こしょうがしらに叱られる。小鞠、さらば」


 

 涼しい風吹く晩夏の夜に、満天の星が降りそそぐ。

色とりどりの小袖を着た小姓たちが舞踊る。

袴は着けずに着流し姿。

すそは乱れてしなやかな足が見え隠れ。

腰には目にも鮮やかな朱鞘しゅざやの脇差を帯びている。

姿形も皆清らかで髪はからすの濡れ色。

いずれも明石国のりすぐりの未だ前髪の初々しい小姓たち。


 上機嫌の殿は庭の東屋あずまやで諸国の銘酒を振るまった。

鼓と三味線の音色に合わせ、恍惚とした笑みを浮かべ、十数人の小姓たちは激しく妖しく輪舞りんぶする。

次第に頬は紅潮して若い体から甘露かんろがはじけ飛ぶ。

新月の夜、星はこぼれて地上の者を映し出す。


 小倫は輪舞に加わることなく東屋に居る殿だけを見つめ、しとやかに伊丹いたみの銘酒をさかずきに注ぐ。


何故なにゆえ、踊らぬ。おまえが乱れ舞う姿が見たい」

「小倫は殿のお側を離れたくありませぬ。ここで、お酌をさせてくださいませ」

「はははは、他の小姓が酌した酒を、わしは飲ませてもらえぬのか。わしを独りめする気であろう」

「はい、おっしゃるとおりです」

白地に萩の花が描かれた小袖を着て、はにかんだ様に微笑む。


「愛いやつめ。おまえをさかなに酒がすすむわい。やはり酒はなだと伊丹が美味いが、遥々取り寄せた加賀の酒もなかなか良い味だ」

各地の銘酒を飲み比べて楽しむ。

小倫の手を握り、頬に口付けた。


 突然、どこからともなく生臭い風が吹いてきた。

風流な鼓と三味線の音色が無数の激しくかねを叩く音にかき消される。

それは、地面が割れるような凄まじい音だった。

鉦の音に合わせて何者かが大音声だいおんじょうで念仏を唱え、空気を震わせる。

おびえながら小倫は殿の背にしがみつく。

輪舞をしていた小姓たちは一瞬ひるんだが、すぐに殿の元に走り寄って来た。

ぐるりと殿を取り囲み、脇差のつばに親指を掛ける。


明るい星空は消えて、暗黒の天幕が空を覆う。

その中から、巨大な一つ目入道が飛び下りて来た。

六丈ほどもある長い毛むくじゃらの手を広げて、殿を守る小姓たちの体をいやらしく撫でまわす。

驚きおびえて悲鳴を上げる者、涙を流す者もいるが、殿を囲った輪を崩す者はいない。

互いに励ましあい、耐えている。

姿形が美しいだけではなく、どの小姓も武士としての気概きがいを持ち合わせていた。

日々の武芸の稽古も怠っていない。

いざという時は殿のたてとなることを教え込まれている。


「刀を抜け。化け物の腕を切り落とせ。まず目を狙うのだ」

鉦の音にも負けぬ殿の大音声が響く。

鯉口を切った小姓たちは勢いよく刀を抜き、一つ目入道の長い腕を切っ先で突き始めた。

目を突こうと、身のこなしの軽やかな一人の小姓が勇敢にも一つ目入道の体毛を掴んで、背中をよじ登っていく。

これには入道もたまらない。

振り落として空高く舞い上がる。

そのすきに、小姓たちは殿を守りながら城の奥へ入る。


「怪異が現われた後は、天候が変わるものだ」

すっかり興醒きょうざめした声で殿が言う。

風雨激しく、大地にやりの様につき刺さる稲光いなびかりと轟音。


「この嵐と雷は朝まで続くのでしょうか。恐ろしい」

小倫は殿の足元で腰が抜けたようにぺたりと座り込み、しくしくと泣き出した。


「城の中では怪異は起きまい。そんなに恐ろしいのなら、今宵もわしの閨で眠るがいい。それにしても、あのような大きな一つ目入道を見たのは初めてだ」

少々青ざめた顔をしている。

恐怖を忘れようと、互いにいつもよりも激しく肌を合わせた。

やがて寝酒をあおって、多いに酔った殿は高いびきをかいて眠りに落ちる。

小倫はこっそり閨から抜け出す。

忍びの者のような黒装束に着替えると、殿からたまわった銘刀の来国行らいくにゆきを腰に差した。





 

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