王子と護衛騎士の友情からはじまる恋愛譚

瓶覗しろ

第1話 かけがえのないもの

「リアム、そろそろその机の書類を片付けて」


 さっぱりとした淡白な、だけど穏やかな声が耳を通り抜けた。それはまるで春のそよ風のように優しい声が。


「んー、俺は今眠くてな......あと少し寝て」


「朝からそれでしょ、もう起きて」


「春はどうも眠くてなあ、今日1日くらい、」


「殿下」


 春から冬に様変わりした風に、思わずビクッと肩を揺らす。


「......夏のこの暑さの中で春と勘違いするくらい眠いのであれば、目が飲み物を薬師にお願いしましょうか」


 薄っすらと目を開けてみると、金の綺麗な髪を軽く1つに結いあげ、淡々とした表情で恐ろしげなことを口にする騎士の透き通った青い瞳と目があった。


「うん、今のは嘘な。さあやるぞ! どんどんやるぞ!」


 そうやって椅子に座り直した俺の目の端で、オリがふぅと溜息をついてから苦笑しているのが見えた。

 そんなぱっと見では王太子の執務室とは思えないこの部屋でのこんなやりとりが、俺の毎日の楽しみだ。


「オリ、これが片付いたらまた街に行かないか?」


 書類を片付け始めた傍らそんな言葉を投げかけると、すぐさま訝しげな視線が飛んでくる。


「また書類が溜まるのでは?」


「はは、そうしたらオリが手伝ってくれるんだろ」


「......全く。リアムは王族としての自覚が足りないと思うよ」


 そう言いながら承諾してしまうのだから大概オリも王太子の護衛騎士としての自覚がないと思うが、彼女のそんな優しさに甘えている自分を思えば、やはりどっちもどっちだと笑うのだ。




 -・*・- オリ視点

 時計を確認すると、もうその時刻だと針が告げていたから、ちら、と起こすべき人物を見やった。

 大きなベッドの上でぐっすりと眠っているのはこの国の王太子。まだあどけなさの残るその青年の顔には、似合わないクマが目の下にあった。


 日々少なくない量の書類仕事をこなす彼は、それでも民の生活から離れるわけにはいかないだろ? と笑って定期的に街に出かける。

 この間も2人で出かけて、花売りの少女とお話ししたばかりだ。


 かと言って彼は王を捨てたいわけではない。

 王となってそれでも民の側にいる、そんな夢を少年の頃から語る彼のために、私も自分に喝を入れた。


「リアム、朝だ。起きて」


「もう、少し......」


「駄目、もう時間がないから起きて」


「んん」


 寝起きが悪いのと往生際が悪いのは昔からだ。だが、甘やかさないのも私の務めと決意したばかり。


「リアム殿下。起きて下さい」


 少し棘を込めて言ってみると、リアムはぴく、と反応してからもそもそと動いて目を開いた。


「おはよう、オリ。それにしても、久しぶりに朝に殿下って言われたな......」


「おはよ、リアム。全く、子どもの頃から変わらないよね」


「お前のその態度も変わらないよな」


 ちょっとにやっとしながら言ったリアムを横目で見て口を開く。


「では殿下、今日は午後の1時から」


「うわっ、すまん! 普通に話してくれ!」


 普通というなら敬語でいいはずなのだけど、彼は昔からそれは駄目だと言って聞かない。そんな王族おかしいだろうと笑うやつらが居るのも知っているけれど、私はリアムのそんな屈託のなさに何度だって救われた。だからこそ、彼が願うものがあれば叶えてあげたい。


「ーー今日の午後は剣の稽古だ。久しぶりだけど、まさか鈍ってはいないよね」


 手元の資料を繰りながらそう言いなおす。


「お! 今日は剣か! 鈍るどころか、今日こそオリに勝つって俺は決めたからな!」


「はいはい」


「雑だな?」


「まさか、王太子相手に片手間な返事をする人がいると?」


「はは、そうだなオフィーリア・レットっていう女騎士なんかどうだ?」


「リアム・ウォーレンロードって名前の王子は、お付きの騎士に書類仕事やらせるくらい仕事溜め込んでるらしいですよ」


「うっ」


 隣でビクッと固まったリアムをちらっと見る。


「......」


「いや、まあ、うん、今度お前にはなんか甘いもんでも買ってやろう、俺が!」


 どんと胸を張った彼を、それでも構わずじ~っと見つめると。


「......うん、調子乗ったわ、すまん」


 なんて簡単に頭を下げるものだから思わずふっと笑ってしまった。


「全く、王子が護衛相手に簡単に頭下げたりしないでよね。笑っちゃうから」


「笑うだけならいいだろ......。大体こんな風に接するのはお前くらいだ」


 口を尖らせてそんな風に文句を言う彼の、という言葉には多少胸を張らせてもらう。確かに、私ほど長く彼と一緒にいて気を許して貰えている人はいないのかもしれない、と。


(まぁそれは、私からリアムに対しても同じことが言えるわけだけど)


 そう思って思わずまた口の端に笑みが浮かんだ。私も大概、彼相手にはそこら辺の緩み加減が他の人とは違うのだ。



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