第2話
『瑞兆』とは、この
数十年から数百年の間に1人、皇族からしか生まれない貴重な色彩の持ち主で、『日輪の君』と呼ばれ神にも等しい存在なのだとか。
故に黒は禁色。もちろん染髪、騙りは重罪だ。過去にはそれで極刑になった者までいるというのだから恐ろしい。
気が付いた時にはこの世界に紛れ込んでいた沙耶にとっては、迷惑甚だしい迷信だ。
純日本人として、黒髪黒目を持っているというだけで勘違いされるなんて……面倒な事態に巻き込まれるに決まっている。避けて通るべきフラグだ。
というわけで、大学デビューの為に都合よく脱色していた金髪を有効活用して今に至る。
そして。
そんなこの国で数百年ぶりの『日輪の君』だと騒がれている、唯一の黒髪黒目を持つ男は、避けられてムスッとした表情で反論を口にした。
「……ただの世間話だろうが。苔臭い方が悪い」
「だからって、突然なんの断りもなく人の髪を嗅ぐだなんて……変態ですか」
「っへ、へん…………!?」
「――あはははははっ」
愕然と言葉を詰まらせる男に被せるように、朗らかな笑い声が割り込んだ。
中央の一番大きな机に座る、戸部尚書・
「いやぁー、女官方は元より、官吏にも絶大な人気を誇る貴方といえど、『氷華』と名高いうちの戸部侍郎にかかれば、ただの悪戯小僧ですねぇ」
そう言って丸メガネを押し上げた戸部尚書は、穏やかながら切れ者で、戸部をまとめあげて推進させる、この執務室の中心人物だ。その超人的な仕事っぷりには、沙耶のみならず戸部の全員が憧れと尊敬の念を抱いている。
そんな戸部尚書の言葉に、男は更にムッとしたように唇を尖らせた。
「
「すみませんが、戸部尚書を呼び捨てにしないでください」
「〜〜お前っ、俺と
「……尊敬度の差、ですかね……」
「あははははっ」
澄ました顔で答える沙耶に、爆笑の戸部尚書。
この男が戸部に遊びに来た時には、恒例にもなっている茶番だ。
室内の官吏たちは、また始まったとばかりに無言で聞き流し、己の作業に没頭している。
……唯一、この春から戸部に採用されたばかりの新人が1人、真っ青な顔で固まっているが、半年もすれば気にも留めなくなるだろう。
「くそっ、お前なんて忙殺されてろ」
「貴方は暇そうで何よりです」
「暇だと? 俺だって山のように積み上がった面倒な懸案をだなー……」
「私たちに手伝わそうとしてるんですよね」
「……ぐっ…………」
容赦無く切り捨てられた男は、眉間にしわを寄せながらも、このくだらない応酬を楽しんでいるようだった。本気で怒っていないことが分かる程度には、長く親しい付き合いをしている自負がある。
溜まったストレスや鬱憤を、気を使わない相手で発散しているのだから、お互い様なのだ。
「あはははっ! ひー面白い……冷静沈着で辣腕家の貴方の、そんな姿が見れるのは戸部だけですねぇ」
笑いすぎて滲んだ涙を拭う戸部尚書。
その穏やかな視線が沙耶に向いた。
「ふふふ……いやいや、しかし沙耶くん。面白いけれど、一応、そのぐらいに。書面の仕事以上に多忙であらせられるんだからね……――我らが皇帝陛下は」
そう。
この人こそが、この国の統治者・皇帝陛下なのだ。
皇族から生まれた『瑞兆』として、国民の期待を一身に受ける、
つまりは、後宮の主人……私の形式上の旦那様、ということになる。
ま、とはいえ、そう認知しているのは私だけだろう。
この男は、京終沙耶という人間が後宮にいることなんて、全く覚えてもいないに違いない。
何故なら今までの5年間、後宮の妃として召されたことも、出会ったことも、同じ空間に居たことすら無いのだから。
「……で、陛下。今日は何の面倒事をご相談ですか?」
不満げな顔の男が口を開くのを待ちつつ、確かに言われた通り若干臭う、湿った金髪に手を伸ばした。
派手に水を被ったのは、今朝の話だ――。
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