無償の愛

「あははははっ!! やめろ、やめろって!」


「わふん!」


いま僕は、とうとう防御網を突破されて押し倒され、顔周りをベロンベロンと数頭のワン公たちに嘗め回されているのだった。


――――――――――――――――――――――――――――――――

経緯はこうだ。


車を取り囲んでいた気配の正体は、十数頭からなる野犬の群れだったのだ。

ただ野犬と言っても、日本では近年にほぼ完全に駆除は成功している。ちなみに、世界でもまれに見ない狂犬病の撲滅地帯という事実はここにあったということだ。

要するにこの群れは、最近まで飼い犬だった面々ということである。


僕はホッとひと安心した。

ゾンビの集団ならば脅しも強引な突破も不可能だ。

前者が何故無駄かは今更語るまでもないし、後者は轢き殺すにも限界がある。

人体とは意外と頑丈なものなであるからして、車のほうが先にイカれて走行不能になるのは目に見えてるからな。

どうしても、群れの中に降車して対処しなければならないので大きな危険に晒されることになるのだ。


だが、犬の場合はどちらでも可能だ。

中には大型犬も2,3頭いたが、大型犬とは言え、車の鉄とガラスの防御を突破して車内の僕に襲い掛かるのはそう簡単にいかないだろう。

脅しと言えば、現にエンジンを始動させただけで包囲網はパッと拡散してしまうくらいにビビッているようだ。すぐにそろりそろりとおっかなびっくりと近づいてきてるようだが、恐らくはクラクション一発鳴らせば道は開けるかもしれない。

最悪は轢き殺して道を開けても何とかなりそうだし。


そう考えながら犬の群れを観察する。

そもそも、何故彼らは僕に近付いてきたのだろうか。

……まあ、それは彼らのガリガリの体を見るまでもなく想像はついたのだが。

彼らは、エサを求めて徘徊しているとき、臭いに釣られてここまでやってきたのだろう。

その臭いの元は札幌から持ってきたりサービスエリアで手に入れた保存食や乾き物のことかもしれないし、もしかしたら僕のことかもしれないが。


「しかし、残念でした、だね」


僕はそう呟き、車を発進させようと前を向いた。

その時、ライトに照らされた数m先に、犬の親子がいることに気付いたのだった。

母親らしき中型犬とチビが2匹、ものすごく不安そうな顔をしてへっぴり腰で後ずさりながら僕を見ている。


まったく。子供ってのは、いつの時代も、種を越えても、反則だね。

僕は妻と娘を思い出し、その犬の親子に思わず重ねてしまったのだ。


「まあ、余ってるしいいか」


僕は後部座席をガサゴソと漁ると、スナック菓子や燻製サラミの袋を破り運転席のサイドウインドウを開いた。

そして、「ほらよ」と言いながら、道路地面に放り投げる。


速攻で犬どもが集まってくるかと思ったが、彼らは意外に慎重なようで、そろりそろりと警戒しながら前進してきた。


「何もしないから、食えよ」


この一言が切っ掛けなのかは分からないが、最初に意を決して飛んできたのはあの親犬であった。

そして食い漁るかと思いきや、燻製サラミを咥えて走り去る。

その先は、子犬達がいるところだった。そして、真っ先に子犬達に与えたのだった。

子犬たちはじゃれ合うように食事を始めた。


母犬だってガリガリだし、折角の食事にすぐさまありつきたいはずである。

にも関わらず、彼女は自分より子供達を優先したのだ。

なんといじらしい母の愛なのだろうか。

僕は久々に猛烈に感動してしまった。


しかし、そんな感動シーンはそんなに長続きはしなさそうだ。

近くにいた他の犬が2匹ほど、子犬から燻製サラミを奪おうとしているのだ。


ウーッ!っと唸り威嚇する母犬。

……くそう、あの泥棒ワン公ども、射殺してやろうか?


ただ、よく見ればその親子周辺だけでなく、群れ全体が落ち着きを無くしてるのが理解できた。このままではあの親子がロクでもないことになるかもしれない。

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