年相応の悩み

 結局、冬休みも寮に残る生徒は中等部と高等部合わせて五人だった。別に何の催しものがあるわけじゃない。赤薔薇寮の談話室に人数分の年越し蕎麦を運んでもらって、テレビには年末特有の特別番組をつけておく。年越しであることと蕎麦があることをのぞけば普段の談話室と何ら変わりはないだろうに、それでも生徒たちの気分は随分と高揚しているようだった。


「十一時にはここを出るんだけど別に強制参加じゃないし、眠くなった人は寝ても良いからね」


 年越しの初詣について御門がそう言ったが、各々に返事をする少女たちにそのつもりは全くなさそうだ。

 誰かが持ってきたのだろう。ポーカーだの大富豪だのといったトランプ遊びにみんなが興じている。あの董子ですら、本人は不本意だったのかもしれないが、参加しているのがひどく奇妙なものに見えた。

 竹束によると居残り組はお互い不干渉の部分があるようだったが、今この瞬間だけを見れば仲の良い若者のグループにしか思えない。これもある種の年末年始の効果なのかもしれない。


「加賀美先生、ちょっと良いかしら?」


 椅子に座り、コーヒーを飲みながらそんな生徒たちを見やっていた栞に御門が声をかけてきた。談話室の外に誘うような仕草に、咄嗟に何のことか察することが出来た。マグカップをチェストに置いて彼女の後に続く。


「董子ちゃんと何かあった?」


 前置きは何もなく、視線は普段より幾分も真面目なものだった。彼女だって形は違えど董子を大切に思っている人の一人に違いない。ちょっとした変化に気づかないわけはないだろう。


「何か、と言われると?」

「何かとしか言えないわ。だけど、なんだか最近の彼女は年相応の少女に見えるのよ。貴女と出会ってからその傾向はあったように思うけど、最近は特に。そのくせ、症状はすごい安定してる。彼女との付き合いはここの誰よりも長いと思うけれど、あそこまで危なげで危なげのない……もの凄い矛盾してるけど、とにかく年相応の彼女を見たのは初めてよ。それで、きっと貴女と何かあったんだな、って思って」

「………………」


 促すような言葉に栞は口を開くのを少し躊躇した。董子に求められたこと。そして栞がそれを断ったこと。しゃべって良いものかはわからなかった。栞自身、清水の舞台から飛び降りるような董子の気持ちに応えてやれていないことは恥ずかしいことだった。

 けれど、と頭の中で言葉が続く。

 このまま黙っているというのはさらに逃げることだと思えた。黙って何もかもなかったことにする。それは董子の気持ちを踏みにじることに違いない。


「彼女に求められました」

「求められる?」


 意味が掴めなかったのか、御門は怪訝な表情を浮かべた。


「この企画を生徒たちに発表した時に。抱いて欲しいと求められました。けれど、私にはそれが出来ませんでした」


 少しの沈黙。その後に、「驚いたわね……」と御門は半分笑うような表情で言った。


「生徒との不純交遊なんてもっての外、なんていう常識には囚われていなさそうだし、貴女はもうとっくにあの子を抱いているものとばかり思っていたわ」

「一応、それなりに考えてのことですので」

「……そう。確かにちょっとしたはずみで、っていうタイプに見えないけれど」


 それはどうだろうか、と三年前のことを思うが黙っておく。けれど、少なくとも董子との関係は様々に考え、悩んだ末のことであるのは間違いない。


「それが彼女にとって不安材料になって、症状が出てくると言うならまた考えます」

「それって、体調が良くなるようなら抱く、ってこと?」


 御門はクスクスと笑った。


「さっきも言ったけれど、症状は安定してるのよ。なんて言えば良いんでしょうね……あの子はようやく初めて年相応な悩みに身を置くことになった。そっちに精神的なリソースが持っていかれてるから、症状が出にくくなっているというのは考えられることだわ。今のあの子にとっては貴女との関係が何より重要なのよ。それこそ、血をもらえるかどうか以上にね」

「それだけ聞くと情緒不安定な危ない子ですね」

「実際その通りでしょう? あの子は落ちついているようでいつも薄氷の上に立っているようなものだったもの。紙一重の所でなんとか自分を保ち、外からの刺激に厚い殻をかぶって遮断していただけ。貴女という存在に出会って、初めて自分の存在を受け入れるようになったんだと思う」


 初めて出会った時のことを思い出す。まるでそうプログラムされた機械のようだ、と栞は思ったがそれはあながち間違いじゃなかったのかもしれない。自己を押し殺し、表面上はそれらしく振舞っていたのだ。そこに燕城寺董子という人物はいなかった。


「まぁ、事情はわかったわ。ただ、この先どうなるかは保証出来ないっていうのだけは理解しておいて」

「肝に銘じておきます。私だって、今のままで燕城寺を放りだすわけにはいかないと思ってますから」

「それは……ううん、野暮なことは聞かないことにしましょう」


 御門はそう言って寮の廊下を歩き始めた。どこに行くのかと聞くと、右手に煙草の箱を持って振ってみせた。

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