▲1九仲人《ちゅうにん》(あるいは、それゆけ!ソンタッ君)


「おう、もう茶番はしめえだっちゅうとろうがい……ささと去ね」


 あっるぇ~、「変身」が解けてもまだ私、そんなどこの郷か分からないけど、迫力だけは往時の下士官ばりのイキれ方をした、低く、そして有無を言わせない重みを孕んだ声が出てるぅ~。やばい。クセになってるのかも知れない。「普段の自分」から逸脱した解放感を味わうということを。


 ゲヒィィ、可憐なる風貌から野卑まるだしの言葉が紡ぎ出されると落差で怖ろしさが否応増すよ怖いよぉぉぉ、との叫びを上げた老人だけれど、それでもまだこちらへと覚束ない足取りで寄ってくる。学習能力がもう擦り切れているとでもいうの?


「多大なる才能を持ちし、美麗なる君よぉぉぉ、伏して、伏してお願い申し上げ奉るぅぅぅ……どうか、そちらにおわす『檸檬だもん★パンサー』殿と共に、『二次元人』どもを殲滅せしめてくれぬだろうかぁぁぁぁッ!! あなた様の才気であれば、並み居る輩たちも何するものぞですぞぉぉぉっ!! どうか、どうか我に力をお貸し、あ、くんなませぇぇぇぇぇぇいっ!!」


 最後のタメはどうだろ、と思ったけど、爽快感/解放感はハンパなかったことは承知しているけれど。そして此度もまた伏してない。というかナヤは前からこのような校外活動をやっていたのね……対局もあるだろうし大変なことだわ……ていうかバレたらやばいのでは……そもそも何でこんなコトをやってんだろう……断り切れない性格だからかな……だとしたら私が毅然と断りを入れないと……またしても定まらない思考が私の脳内をバタバタと駆け巡るけれど。


「……断る」


 ともかく、私の口から滑り落ちたのは、そのような言葉だったわけで。


「な、なにゆえ……」


 老人の顔が失望なのか驚愕なのか、後ろに引っ張られてるみたいに歪むのだけれど。


「私にはやっぱり、『世界を救う』なんて大それたこと、出来そうにないから……今だって、ナヤの超・獰猛魔獣化能力が無かったら、敵陣に取り付くことさえできなかったわけだし……それにあまり私にメリットが無い……」


 心からの気持ちは、途中から大分現実感を孕むような本音気味の響きを増していったものの、大枠はそれは素直な気持ちだった。


「ミロカ……」


 切なげな顔をしたナヤが、私の力無く降ろした両腕にすがるように抱き着いてくるけど。


「ごめん。ナヤのことは極力、親御さんとか学校とかには黙っておくから……」


 力無くそうつぶやくように吐いた私に、目の前の美麗少女は、ええぇ、そこは絶対言わないってとこじゃないの、みたいな驚愕の白面で、切なげな表情を上書いていくけど。


「そ、損失ッ!! これは確かなる損失ですぞッ!! これほどの逸材を放っておいたのならば!! ワシは世間の笑い者じゃよぉぉぉっ!!」


 老人は必死こいて言い募ってくるけど、どのみち嘲笑われてはいるだろ。


「……ちょっと、ストレス発散できたし、そこは感謝してる。でも何と言うか、次からは一歩引いたスタンスでしかハマれないような気がしていて……」


 言い訳にもならないようなことをのんべり述べる私だったけど、そ、そんな仕事に憑かれ疲れ果てた三十路OLのようなメンタルなど、高潔なる貴女様には似合いませんぞっ、と喰らい付いてくる老人だったけど。


「……」


 急速に冷めてきている自分を感じている。そうなんだ。いつも私はそう。ほどほど。将棋にも、何に関してもほどほどでしか向き合えないんだ。唯一そうじゃなかったキックも、いまや束縛に絡め取られていて、全力を発することが出来ていないから。


 ……私はいつも、もやもやを胸の底に抱えている。


「……国から補助も出るのですじゃ」


 必死な顔つきで、切り札的にそんなことをのたまってきた老人だったけど、カネか? 正義の味方がカネで動くとは笑わせるじゃないのよ。ん? ……でももしかしてナヤは……ふと思い、傍らで思いつめていた顔をしていた少女に視点を合わせる。と同時にその可憐な顔がまた真っ赤にフットーしたけど。


「け、軽蔑したよね……私は、私はお金のためにもこんなコトをやってたんだよ……ダメだよね……け、けがらわしいよね……」


 ついにぽろぽろとその双眸から輝く何かを零し始めてしまったナヤだけど、あんたを責めるいわれは無い。けがらわしくも、もちろん無い。私は一度、その華奢で小柄な体をぎゅ、と抱き締める。そして、


「なるほど……腐敗の構図が見えたわ……」


 顔面から表情を司る筋繊維の力が抜けていくと共に、老人をぽっかりと穴の開いたような表情で見据える。ハギィィ、ヒトならざるモノへの変身が秒単位で起こっているよ怖いよぉぉ、との叫び声を上げる老人の胸倉をつかみ上げると、


「なぜ、国家が動く」


 私の口から出たとは思えないような掠れた低い声が、老人の大柄な体をこれでもかと痙攣させていく。


「わ、我々の地下組織では、悪に立ち向かうために己の肉体を鍛え上げる訓練施設を保有しているのでありますッ!! 様々なるトレーニングマシン、そして温水プールや、何とスパーリング用のリングまでも!! そんな魅力溢るる我が『アジト』をいたく気に入った権力者たちが、少なくはないカネを落としていくと、そのようなシンプルな構図なのでありますッ!!」


 震えながらも腹からのいい声でそう報告をしてくる老人だったが、「訓練施設」? 何でそれに「権力者」が? 不審な顔つきをしていると、老人はさらにまくし立ててくる。


「いるのですぞ……世間には自らの身体を密かに鍛え上げたいという輩が数多く……ッ、特にこの将棋社会を牛耳る者たちに多いのは、不都合な事実。ゆえに我らが如くの地下組織も必要とされる……」


 だんだんと老人の顔がワルみを帯びてきているけど。いや、もともと「正義」からはほど遠い面構えだった気もしてたけどね。いや、とにもかくにも、「マシン」? 「プール」? そして「リング」だと? ……いちいちこっちの琴線を揺さぶって来る魅惑の単語たちに、私のからっぽだった顔に好奇心という名の表情が戻ってきてしまう。そしてそんな甘い棒球反応を見逃すような老人では無かったわけで。


「……ちなみにアロマ立ち昇る清浄たるバスルームには……そしてその中央に座す適温の湯が沸き出でるジャグジーの正にすぐ隣にはッ!! 最適調合されしプロテインが最適な濃度で調合されて出てくるマシンがあるのですじゃよ? ……想像してみるといいですじゃ。ハードなワークの後、汗をざっと流した直後に、熱めの湯に半身を浸けながら飲む、キンキンに冷えたプロテインドリンクを……」


 な、何だってぇー? そんなものがもし存在すると言うなら、ワーク後のゴールデンタイムを逃すことなく、リラックスタイムをも共存させることが出来るじゃないの……ッ!!

 

「……いかがですかな? 同志となるうんぬんはともかく、ひとまず我らのアジトに足を運ばれては? 決断はそれからでも遅くはない……」


 一気に優位に立ったかのような老人の物言いに、ひどくムカついている私がいるのだけれど、それを凌駕するほどの感情の波が押し寄せても来ていたわけであり……胸倉を離して一瞬後、その老人の顔に人差し指を突きつけながら、


「と、とりあえず、行ってあげなくもないけど、べ、別にあんたらのような謎集団に喜んで加入したいとか、そんなんじゃないんだからねっ!!」


 図らずも出て来た言葉は何だろう……自分でもよく分からないほどのピーキーな何かを含んでいたのだけれど。もう何か、「通常の自分」から逸脱することに一抹の清々しさを感じている自分が確かにいる……一方の老人は大物がヒットしたかのような会心の笑みを見せると、ではでは案内しますですじゃ、みたいな、またよう分からんへりくだり方で、すす、とJR千駄ヶ谷駅の方へと滑るように歩み出していく。


 私は、同行可能かを聞いてみたら、ぱっと顔を輝かせた美麗少女と共に、緑の映える並木道を駅へと向かうのだけれど。


 私の運命の車輪は、今や歯車と化して諸々を動かそうとしているのであった。


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