亡国の魔法使い

花音小坂(旧ペンネーム はな)

第1話 晴天


 柔らかな陽ざしが降り注ぐ中、黒髪の青年が整地された芝生に寝転んでいた。ふわりと包み込むそよ風が心地よく一層眠気を深くする。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 そんな至福の時を、せわしなく迫る吐息が破りにかかる。青年が面倒臭そうに鋭い瞳を開けると、亜麻色の前髪を揺らす修道女シスターが飛び込んできた。


 それは比喩表現とかではなく。


 文字通り身体全体で。


「うわあああああっ!」


 ダイブしてくる彼女の両肩を掴みながら、そのまま男は斜面をずれ落ちる。支えられた当の本人は、なにが起きたのかわからない様子でキョトン顏。彼を真っ直ぐに見つめる蒼色の瞳は、その天心さを示すように爛々と輝いている。形のよい眉毛は綺麗な弧を描き、迷惑をかけて申し訳ないと言う感情がまったく読み取れない。

 

 距離が近すぎて、思わずのけぞってしまうが、その分、修道女シスターは顔を近づけてくる。


「あの、ヘーゼンさん。ご学友がお呼びです」


「アイシャ……ほかに言うことはないのか?」


 呆れたような表情を浮かべ、自然体で身体を委ねてくる彼女に疑問符をつける。


「……重いですか?」


「重いよ!」


「そ、それは失礼しました。先日いただいたシュークリームがあまりにも美味しくてつい食べ過ぎてしまいました!」


「反省すべきところはそこじゃない!」


「でも、女性に対して体重の指摘もどうかと思いますよ」


「指摘してるのはそこじゃなく、なぜ君が無防備で私に突っ込んでくるのかというところだ!」


「転びました!」


「自信満々に答えるな!」


 そんないつものやりとりを経て。


 ことさらにため息をつき、ヘーゼンはアイシャを隣に降ろした。


「まったく、せっかくゆっくりしてたのに」


 黒髪の青年はブツブツ文句を言いながら立ち上がり、ローブについた草を振り払う。


「かなり怒ってらしたので、急いだ方がよろしいんじゃないですか?」


「アムの趣味のようなものさ。怒らせておけばいい」


「またそんなことを」


 首をすくめながらつぶやくヘーゼンに、非難がましいジト目が向けられる。可愛らしく唇を尖らす彼女に、思わず顔を背ける。本人は全く気付いていないが、その小さく可愛らしい顔はいつまでも直視すると危険だ。


「……それより、ほらっ」


 ヘーゼンは鞄から、シュークリームを二つ取り出す。


「はうっ! そ、それは……」


 驚きとも喜びともつかない声をあげ、数歩後ろに下がる。


「闇市の知り合いから手に入れてね。いやぁ、持つべきものは友だねえ」


「あ、あ、あなたは、まさかこともあろうに、私の前でそれを食そうとでも言うのですか!? 言うのですか!?」


 今にもヨダレを垂らしそうに、顔を真っ赤にしながら、グググッと悶えるような仕草を、一通り満足気に眺めた後、


「あげるよ。甘いもの苦手だから」


 ヘーゼンは、シュークリームを彼女に差し出す。


「えっ……ほんとに!?」


「うん」


「騎士に二言はありませんよ!?」


「……騎士じゃなく魔法使いなんだけど」


「わーっ、シュークリームだぁ……わぁー……ありがとうございます!」


 ウットリ嬉しそうにそれを受け取ると、小包にちょこちょこと丁寧に包装し始め、小さな鞄に詰め込んた。


「今、食べないの?」


「子どもたちと一緒に食べます。シュークリームなんて贅沢品は、中々食べられませんから」


「……はぁ」


 ヘーゼンは大きくため息をついて歩き出し、アイシャは背中に回り込んで、グイグイとヘーゼンを手で押してくる。


「ほらほら。早く早く……う゛ーっ、あ、歩く気ありますか!?」


「運動運動。体重のことは指摘されたくないんだろう?」


「こ、こんなときばっかイジワル言って!」


「はっはっはっ……」


 悔しがりながら、一生懸命に背中を押すアイシャを感じながら、力を抜いて軽く彼女の手にもたれかかる。


 空を見ながら。


 その日が戦時中とは思えないほど、穏やかな青空であったことを思い出した。

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