第10話 【謎解きの始まり】

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 ちゃんと事前に連絡していたので、私が生徒会室へ入ると尼将軍と仁志がいた。彼女は窓際でカーテンのわずかな隙間から外を眺めていて、彼はソファーに座ったまま沈むようにうなだれていた。


「私が最後かい。遅れてすまなかったね」


 尼将軍に放課後に話があるとメールしたのは、昨日の晩。そしてすぐに勝手にしろという承諾のメールが来た。そして今朝、その旨を仁志に同じくメールでつたえた。返信は無かったが、予想通り来たようだ。


「一応、委員会の仕事があるんだ。早く終わらせてくれ」


 窓の外を見ていた尼将軍がこちらを見てそう釘を刺してくる。


「まあ、早く終わるかどうかは、君次第だろうね。けど、私も無駄話を楽しむ気分じゃないんで、さっさと本題に入らせてもらうよ」


 そう言うと尼将軍はカーテンを完全に閉じて、そしてそれを挟む形で窓に背中を預け、腕を組んだ。黙って聞いてやるという姿勢かな。


 仁志は俯いたまま、顔をあげない。私はそんな彼とは反対側のソファーに腰掛けて、携帯を取り出して例の子犬の写真を液晶に映し出した。そしてそれを尼将軍に見せつける。


「議題は、君の可愛い子犬のお話しだ」






 私がそう告げても、彼女は澄ました顔を変えることはなかった。眼帯で隠れた左目までは分からないが、右目は閉じたまま、まるで眠っているかのようにも見えるが、それほどの余裕があるということか。


「この子犬が切り刻まれた姿で見つかったのが三日前の午前七時、発見したのはバスケ部。発見場所は体育館のすぐそばの塀の近く。もちろん、発見したときには息絶えていたよ」


 私は携帯の画面を変えず、ソファーに挟まれたガラスのテーブルへ置いた。


「学校側はこれを警察に通報せず、私が個人的に調べることになった。何か有益な目撃情報がないかと思って色々な生徒に話を聞くと、尼将軍、君にたどり着いた」


 そこで彼女をびしっと指さしてやる。それでも彼女は無表情。


「君は近所の野良猫などの世話をしていた。それを知っていた一部の生徒が、動物のことなら北条さんだと証言したわけだ。そして私は君に、子犬について心当たりはないかと尋ねに行った。これが一昨日のこと」


「ああ、確かに来た。そして私は、知らないと答えた。事実、知らん」


「いいや、それは正確じゃないね。君は、あんなグロいものに関わりたくない――こう言ったんだ」


 彼女が右目をあけて、眼光を鋭くして私を睨んだ。


「意味合いは一緒だ」


「意味合いなんて、無意味だね。君がこう証言したことに意味がある。いいかい、君は死体を見ていなかった。そして君に事件のことを知らせた婆さんも、死体の状況なんか説明していなかったと証言している。君は子犬が殺されていたとしか、聞かされていないはずなのに、グロいものと決めつけた。できれば、その根拠をお聞かせ願いたいね、尼将軍」


 彼女は私の質問を、ふんっと鼻で笑い飛ばした。


「目撃したバスケ部の連中が話してるのを聞いた。これでいいか」


 まるで、その質問は想定内だと言わんばかりの態度だった。事実、そうなんだろう。この証言なら確認のしようがない。バスケ部の連中は死体を見ていて、そのことについて少なからずどこかで話したはずだ。それをたまたま聞いたというのは、否定できない。少なくとも今この場では。


「そうかい。なら話を次に進めよう。君のその証言で君を疑い始めたが、君も知っていると思うが、それを否定する人物がいた。私の目の前の、この彼だ」


 仁志を見つめながらそういうと、彼は私が部屋に入ってきて初めて反応を示した。反応と言っても、小さく両肩を震わせただけだったが。


「彼は君と一緒に動物の世話をしていた。彼曰く、動物の世話をするような君が、子犬を殺すわけがない。そういう主張だった。実を言うと、私もそれは頷ける。確かにこの子犬の無残な様子は、日頃から動物の世話をする人間がやったとは思えない」


 携帯の液晶にはカッターナイフで身体中を傷つけられた子犬が映っている。


「けどまあ……人が豹変するなんて、珍しい話でもないけどね」


 意味ありげにそう呟いておく。昨日までの善人が、悪人になるなんてありふれたお話だ。「彼、君の無実を晴らそうと頑張ったそうだよ。証明できる証言も物証もなかったみたいだけど」


「そんなもの、探すだけ無駄だ。子犬が殺された時間も分からないのに……」


「いや、そこは私が独自に調べた。四日前の夜九時には死体は現場になったかそうだ。だから死体が置かれたとすれば、発見される七時まで。けどこの学校の登校時間は六時半。それまでは校内に入れない。だから、六時半から七時まで。それが犯行時間だと断定している」


 彼女が綿から目をそらして、小さく舌打ちをした。挙げ句の果てには、どこまで調べてるんだと苦情まで呟いて。


「さて。そこまで話が出たから言おうか。子犬が発見された朝、君は六時半頃に登校した。日頃は七時半頃なのに。君は委員会の仕事と言ったが、本当にそんなものがあったのかな」


「…………」


「そして昨日は橘と言い争いをしているのを目撃されている。昨日、彼と少しお話しさせてもらったよ……君の昔話とかね」


 ずっと窓に背中を引っ付けていた尼将軍が、急に身体を起こして顔を強ばらせた。先ほどまでの余裕の色が瞬時に消え去り、組んでいた腕は拳に変わり、わなわなと震えている。


「あの男……お前に何か喋ったのか」


「随分と険しい顔をするね。眉間に皺が寄っているよ。スマイル、スマイル。若いんだから」


「答えろっ!」


 子供がいたら思わず泣き出すような、静かだった室内を揺らす怒声が彼女からはき出された。顔を赤くして、怒りを表している。


「興奮しないでもらえるとありがたいね。それとも何かな、聞かれちゃまずいことでもあったのかな。君が、昔暴れ者だったこととか」


 先ほどとは打って変わった、はっきりと聞こえる舌打ちで不機嫌さを表した彼女は、いらつきを隠せない様子だった。


「昔の話だ」


「そうだね。昔の話だ。ただ、昔と今は確実に繋がっているから侮れないよ」


 あくまで彼女の昔話を切り捨てない私を彼女は今日一番の鋭さで睨み付けた。


「橘、もう一つ教えてくれた。この学校の近くに橋がある。そこの段ボールハウスに行ってみるといいってね。そして実際行ってみたよ。段ボールハウスには犬を飼っていた形跡が残っていたよ。そして近くの人と、このひぃ君がそこで君がこの子犬を飼っていたことを認めた」


 さすがに目の前の彼が認めたと言われれば、否認することも出来なくなった彼女が下唇を噛んで悔しそうに顔を下に向けた。


「ちなみに、君の学生証が近くに落ちていたよ。ひぃ君に渡したけど、受け取ったかな」


 彼女が顔を上げずに首を左右に振るので仁志に視線を向けると、彼はポケットから昨日渡した彼女の学生証を取り出して、静かにテーブルの上に置いた。彼女が子犬を飼っていた現場に行ったことがあるという、何よりの物証だ。


「さて……君が嘘を吐いたことはもう誤魔化せない。証人がいるんだからね。問題はどうして嘘を吐いたか。ついでに、何でそんなに過去を隠そうとしているのか……」


 私はここで言葉を句切って、再び仁志に視線を向けた。どうやら、まだ何もしないらしい。


「有名なことわざがあるね。飼い犬に手を噛まれるって。……尼将軍、君、それをされたんじゃないかい?」


 彼女が何かの臭いを察知したかのように、ぴくんっと鼻を動かした。


「子犬といえども、牙はある。どんなに可愛がっていても、犬は動物だ。何をするかなって分からない。君が世話をしている最中に、子犬が牙をむいたんじゃないか? そして君はカッとなった」


 そんな場面を想像する。彼女がまだ生きている可愛い黒の子犬に餌をやっている。しかし、何か気にくわないことがあったのか、子犬は突然彼女を襲う。もちろん、彼女も避けようとするだろう。


「避けようとした君は、激しく身体を動かすか、またはカバンを振り回すかしただろう。そしてその反動で、学生証がとんでいってしまった」


 もちろん、子犬と人間の争いだ。道具を使えば、例えそれを使う者が女子高生でも、勝てるだろう。


「カッターナイフで応戦した君は、当然勝った。けどまだ怒りが収まらない。今まで自分が世話をしてきた子犬が、その自分に牙をむいた。君の怒りは想像できないね。しかし、怒りにまかせて惨殺するには、状況が悪かった」


 子犬が殺された場所は校内だ。今の私の仮説では橋の下が現場となる。


「もしもそのまま子犬を殺せば、君が犯人だということを仁志に教えるようなものになる。そうなれば面白くない。だから、君は犬をとりあえず別のところへ移すことにした。それが子犬の発見された朝だろうね」


 彼女が子犬をすぐさま殺したのか、それとも生かしたのかは分からない。けれど弱った子犬を人目のつかないところへ置いておくことなら可能だろう。


「君はいつもより早く家を出る。そして犬を回収すると、体育館の外側から中へと犬を放り投げた」


 だからあんなところへ死骸があった。外から犬を入れるのには、それが一番手っ取り早い。あの塀なら非力でもなんとかなる。


「そして中へ入り、先に入れておいた子犬を、怒りを思い出しながら切り刻んだ。――そうじゃないかな?」


 話が終わったので尼将軍を見つめる。下に向けていた顔をゆっくりと上げた彼女は、柔らかい笑みを浮かべながら私を見返した。唇から小さな笑い声が漏れる。不安や焦燥、そういった感情から最もかけ離れた、余裕のある笑顔だった。


「お前のその頭、もっと他のことに使えばいいものを……」


 小さく息を吐いた彼女が、はっきりと口を開けた。


「そうだ。お前の推理通り、私があの子犬を殺し――」


 彼女の自供は最後まで私の耳に届かなかった。彼女自身、言い切れなかっただろう。突如として、バンッという大きな音が部屋に響いたから。音をたてたのは、私でも彼女でもないのだから、残る一人……。


 仁志が俯いたまま、拳でテーブルを叩いた。


「違う……」


 そして蚊の鳴くような声で初めて、意見を口にした。


「違う、違う。あんたは間違ってるし、北条先輩は嘘を吐いてる」


 仁志が顔を上げて、はっきりと私を否定し、彼女を糾弾した。


「な、何を言ってるんだ、櫻井……」


 さっきまでの笑みを失った表情で尼将軍が彼を止めようとする。


「私が自供してるんだ。それで事件はおわりだ」


「……さて、ひぃ君、尼将軍はああ言っているよ。自分が犯人だ、私の推理が正しいと。君がそれを否定するなら、これを覆す真実を提示してもらおうか」


 昨日と同様、意地悪な笑みを浮かべたまま彼に話しかける。そんな私の態度に、尼将軍が、ようやく状況を察知した。目を見開いて、右手で頭を抑えて、やっと自分の計画通りに事が進んでいないことを見抜いたらしい。


「蓮見、お前はっ!」


「さて、ひぃ君、答えを」


 声をあげる彼女を無視して私は仁志と向き合う。仁志は何か躊躇したように最初は口を開こうとしなかった。その様子を見た尼将軍が、やめろっとまた声をあげるが、それが引き金になったのか、彼がようやく答えを紡いだ。




「子犬を殺したのは……俺だ」




 部屋に重たい静寂が降りた。尼将軍が失意に打ちひしがれて言葉を失い、彼が悔しそうに唇を噛む。


 そう、これが受け入れるしか無かった、現実。同時にこの事件の、真実。


 私の予想を超えた、最悪。

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