思いついたときには完璧だった

 河と海に接続した八本の環状運河、都市の下に張り巡らされた暗渠。それがマナニアだ。

 潮入の湿地にダンジョンが口を開ける見捨てられた地が、いつしか都市となった。ひとびとは堰をつくり、運河を掘って風車を並べ水を抜いた。それもこれも、ダンジョンから得られる豊かな富を求めてのことだった。

 それから数百年。マナニア・ダンジョンは痩せ細り、マナニアそのものも衰退の一途を辿っている。この度の改元も、臣民感情をなだめるためのものだ。元号を変えれば、なにかが新しくなったかのようにひとびとは思う。積みあがった問題を、一度は過去へと置き去りにできるのだ。破滅を繰り延べにするだけだとしても、地獄に近ければ近いほど、ひとびとは直視を忘れる。

 マナニアの夜風は冷たい。まして暗渠に吹き込む潮風ならば尚更だ。四人は震えあがりながら夜に忍んだ。暗渠の淵に淀んだ汚物の臭いで、酔いはたちまちの内に醒めた。

「じゃあまず第一段階ね」、居酒屋でアーシェラは、恬然と語ったものだった。「正門じゃなくて、運河に面した勝手口から侵入する」

 葦しか生えぬ湿地に住んでいたからか、マナニア人は緑を求める。資産家の別荘ともなれば、だだっぴろい庭園に樹木をぎっしり詰め込むものだ。エステルも例外ではなく、どんぐりを付ける常緑の高木を庭に茂らせ、豚を放牧していた。低俗な内地趣味だ。

 正門から乗り込めば、庭で豚と鉢合わせするだろう。豚は信じられないほど貪欲な生き物で、産着と縄で包んだ赤子からちょっと目をはなせば、たいてい頭がかじり取られている。そのくせ警戒心が強く、見知らぬものを見るとやたらに鳴いた。

 よって、運河に接する裏口から侵入する。思いついたときには完璧だと思ったのだ。理性のこわれた酔っぱらい以上に、自分の理性を信頼する者はいない。

「寒っ眠っ臭っ遠っ」

 長身を恥じるような猫背のルイーズは最後尾につき、思ったことを全部そのまま口にしていた。

「ちょっと静かにできないっスか?」

「ア?」

 ルイーズの威嚇に、テルマはふっと鼻から息を抜いて応戦した。

「さあ、もうすぐですよ。暗渠を抜けたら、堤防沿いに進んで――」

 ヴァージニアの地理感覚は、優れたものだった。迷いなく先導し、最短の道を進んだ。

「実は、冒険者になりたかったんですよ。バーグラーにあこがれていたんです」、これもまた居酒屋で、ヴァージニアが照れながら語った言葉だ。「小さいころから、狭くて暗い道をこっそり進むのが大好きでした」

 そういうわけで、ヴァージニアは活き活きと暗渠を行く。すぐ後ろでテルマとルイーズが険悪になっていることなど、気にも留めない。弾むような早足は浮き立っている。

 堤防をいくらか歩くと、道の切れ目に出た。アーシェラは、ここまで牽いてきた小舟をもやった。

「じゃー第二段階。その辺で舟ぱくって、すーっと行ったらいんじゃね?」、居酒屋での、これはルイーズの提案だ。「いくらでもあるし、舟」

 マナニアにおける主な移動手段は手漕ぎの舟であり、稼働するものは数千艘を越える。そのうち適当な一艘を盗み出したのだ。

 運河に面した扉に舟を横づけし、鍵を壊して侵入する――酔っているにしては冴えた計画だと、アーシェラたちは互いを讃えあった。

「怖っ怖っねえウチ無理なんだけど」

 落差一メートルの堤防を飛び越えて、小舟に着地する。それが無理だと、ルイーズが言い出した。

「ウチすげー不器用つったじゃん。距離まちがえて落ちる未来しかないんだけど」

「ここに来てそれ言うんスか」

 テルマは皮肉を言ったのではなく、率直に唖然としていた。舟を曳いて近づこうと言い出したのはルイーズだし、ことここに至るまで最後尾で眠そうにしていただけなのもルイーズだ。

「ア?」

「あ? じゃないスよ。なんでいちいちどうかっ恫喝……低い声出すんスか」

「つかそっちこそすげーどもってるし。やめれば?」

「ア?」

 四人とも、計画犯罪においてもっとも重要な点を見落としていた。協調し、一つの目標に向かって進めるかどうかの確認だ。彼女たちは初対面の酔っぱらいでしかないし、酔っぱらいには、すぐに他者と連帯できたと思い込む性質がある。そして酔いの醒めた四人は、さっきまでの親しみが幻想であることに気づきはじめていた。

「まーあまあまあ」

 アーシェラがテルマとルイーズの間に入った。

「ア?」

「ア?」

「うわめっちゃ威嚇してくるじゃん同時に。えーと、ルイーズ、舟に降りるの難しい?」

「やばい」

「そっか。テルマは?」

「ばかにしてるんスか」

 むっとしたテルマはさっと飛び降りた。テルマの体重を受け止めた小舟が揺れ、波が立った。

「お、いいじゃんテルマ。でさ、ルイーズ、どう難しいの? 舟の、内側に落っこちちゃう? それとも外側?」

「んー……たぶん、外。外っつーか向こうがわっつーか。落ちたら凍死するっしょこれ」

「はーなるほど。飛びすぎちゃうわけだね、ルイーズは」

 納得したようにふんふん頷いたアーシェラは、船上でイラついて足踏みするテルマに手を振った。

「うん。いいこと思いついた。テルマ、ちょっと盾出してあげて」

「は? なんで私が」

「まーあまあまあ」

 テルマはため息をつき、蔓編みの杖で水面を指した。逃げ出すようなさざ波が水面に立ち、魔法の盾が生じた。

「ルイーズ、どう?」

「わー!」

 問う前に、ルイーズは跳んでいた。投石器から放り出されたように山なりの軌道を描く、尋常ではない跳躍力だった。石畳に小さな亀裂が走っているのを見て、アーシェラはぞっとした。蹴られたら即死だ。

「やば! あははは! いけたんだけど!」

 盾の上に落ちたルイーズはけらけら笑い、テルマはため息をついた。

「さっさと上がってくれないっスかね。じぞっ持続……さっき言いましたけど、長くもたないんで」

「うえーい! ありがと!」

 舟に上がったルイーズはテルマに抱き着こうとし、すばやく避けられて転んだ。

「たいしたものですねえ」

 ヴァージニアが、ちょっと驚いた様子でアーシェラに声をかける。

「まーね、あたし昔から人を見る目あるからね」

 わざと尊大な態度で照れ隠しするアーシェラの背を軽く叩いて、ヴァージニアも船上に降りた。

 かくして四人はようやく漕ぎ出したわけだが、既にうすうす、この計画は何もかもがむちゃくちゃで、強行すれば大失敗に終わるだろうというたしかな予感を抱いていた。ここまで暗い道を歩き、舟に乗っただけだが、不和はけっこう差し迫っている。テルマとルイーズは噛み合わないし、ヴァージニアは我関せずだ。狭い船上には先ほどまでの親密さのカケラも残っていない。漕ぎ手のアーシェラは、いやちょっと慣れない操舵に集中してるから無言なんだけどね。みたいな顔で、明るい雰囲気に持っていけない自分を正当化した。なんなら、あれちょっとこれ片頭痛かも、お酒飲んじゃったからかな。ぐらいの顔まで作っていた。

「そこです。あの、松明が消えているところに」

 ヴァージニアが指さす先の邸宅に、アーシェラは漕ぎ寄せた。辿りついてしまったのだ。ことここに至れば、先に進むしかない。覚悟を決めて手をかけた舟のへりが、いきなりぎしっと音を立てて大きく揺れた。

「うわわわわ!」

 尻もちをつきながら見上げる先には、舟から飛び出したヴァージニアの姿があった。

「それじゃあ、ちょっと行ってきますね。みなさんは待っていてください」

 ヴァージニアは鍵穴に細い金属棒を突っ込み、かちゃかちゃやりはじめた。残りの三人はあっけに取られていた。

「やっぱりバネ錠のままですね。変えればいいのに。下品な内地趣味。なにも変わらない」

 悪意や苛立ちのこもった呟きが、風に乗って聞こえてくる。どうやら不幸だった結婚生活を思い出しているらしく、その表情は険しい。

 かちんと音がした。錠前破りに成功したらしい。彼女が憧れたバーグラーは、忍びの技術を得意とする。ダンジョン内に自然発生する罠の解除や宝箱の開錠は、おおむねバーグラーの仕事だ。

「え、あの……みんなで行こうよ、みたいな、その」

 アーシェラはいまいち煮え切らなかった。ここまで来てだしぬけに単独行動をはじめたヴァージニアの意図が、まるっきり理解できなかったのだ。

「独り占めするつもりはありませんよ。ちゃんと山分けです」

 ヴァージニアはまったく焦点の合わない答えを返してよこした。あまりの噛み合わなさに、どう返事をしたらいいものかアーシェラは分からなかった。

「いいですか、みなさん。人生、誰にも頼れないんですよ。なんでも一人でやるしかないんです」

 おまけにヴァージニアは説教までしてきたし、バツイチシンマザアラフォーワープアから放たれるその説得力と言ったら、かなりものものしかった。三人は一瞬にしてヴァージニアの辿ってきた人生を想起し、打ちのめされた。頼りになる人間がまわりに一人でもいれば、バツイチシンマザアラフォーワープアにはならなかっただろうし、娘が家を飛び出すようなこともなかっただろう。

「そうですね」

 ルイーズなんか真顔で敬語になっていた。

 扉が開いて、冷たくかび臭い風が吹き出した。闇に相対したヴァージニアの瞳孔が、虹彩を覆い隠して黒く開いた。感情が失せたかのようだった。それがまた妙な凄みをはらんで、アーシェラたちはいよいよ神妙になったし、ルイーズなんかやや腰を落として正座しつつあった。

 三人は、もうこのまま待ってていいのでは。みたいなムードに包まれた。

「え、いやいやいやいや」

 アーシェラが我に返ったとき、もうヴァージニアは扉の向こうだった。彼女は慌てて船着き場に上がり、扉越しに邸内を覗いた。深い闇の向こう、ヴァージニアの姿は見えない。足音すら聞こえない。狼人のバーグラーは、すぐれた技術を隠し持っていた。不幸な結婚生活と不幸なシンマザ生活を送る間、おそらくなんの役にも立たなかったであろう能力が、今、初対面の酔っぱらいを巻くために花開いたのだ。

「どうすんのこれ? ウチらも行く?」

「邪魔になるんじゃないスか。せっ窃盗……空き巣の経験あります?」

 正座したルイーズが首を横に振った。

「それはそうなんだけど」アーシェラは顔をしわくちゃにしてしばし悩んだ。「……でもなんか違くない?」

 テルマとルイーズは、控えめに頷いた。賛意を示すところまではいかないにせよ、アーシェラの気分を汲み取ってくれたらしい。

「つまりさ、こう、あたしたち、せーので殴りたいわけじゃん。エステルを。でもこれだと、なんか、ヴァージニアひとりって感じしない?」

「分かるっスけど、それは。まあ」

「盗むの終わったあと、ぶっこわしちゃうのどう?」

 ルイーズが奔放な提案をして、テルマが鼻白んだ。

「あほなんスか」

「ア?」

「ア?」

 ふたりがにらみ合いをはじめると、アーシェラはあらゆることが急速にめんどくさくなり、どうでもいいとき特有の眠気をおぼえた。

「分かった。行こう」

 彼女はすべてを分かったことにして邸内に踏み込んだ。テルマとルイーズの切羽詰まった疑問符が背後から投げかけられ、アーシェラは無視した。

 やがてオークとダークエルフも、決まり悪そうな表情でやってきた。とにかくこれで、ようやく作戦は第三段階に突入したわけだ。なにもかも順調に進んでいるのだと、アーシェラは自らの洗脳に取りかかった。

「それでは、第三段階。隠し財産は、きっと寝室のどこかにあるはずです」、はるかな昔、居酒屋でヴァージニアが楽しげに語った言葉を、アーシェラは必死で思い出した。「自分のものが目の届くところにないと、すぐに怒り出す男ですから」

 別荘とはいえ、マナニアの資産家が第八運河沿いに抱えた邸宅であれば倉庫を兼ねるものだ。果たして運河に面した扉の先は、広間となっていた。アーシェラの背丈ほどある棚が整然と並び、ダンジョンからの出土品が無造作に突っ込まれている。

 冒険者ギルドを通じたアーティファクトの売買も、エステルの収入源だ。エステルは自前の冒険会社に多くの企業冒険者を抱え、ダンジョンに送り出している。冒険者が入手したアーティファクトの殆どを契約の名のもとに吸い上げ、法外な価格で売りつけるか、やや法外な価格でリースする。得られた金を自社株に突っ込み、株価を吊り上げる。富が更なる富を生む仕組みだ。

「ま、これだけ上手くいってればケツぐらい平気で触るよね」

 棚ざらしになったアーティファクトひとつで、自分の人生八回分ほどの金が動くのだ。アーシェラは、いっそ笑いがこみあげてきた。

「うわわわわ、これ礫質凝魔岩れきしつぎょうまがんの宝珠っスね。すご、すご、うわわわわ。密度が……持って帰って硬さ試験しよ」

「え、テルマなにやってんの」

 テルマがアーティファクトを躊躇なく鞄にしまい、アーシェラはぶったまげた。

「ねえこれすげーキレイなんだけど。銀かな? やば。ウチ貰ってこうかな」

「ちょっと失礼」

「割ったし!」

「ふーむむむむ……土状断口と展性、恐らくこのガントレット、闇化あんかガリウムⅣ-月鉛げつえん合金製っスね」

「はは、わかんねー」

「嵌めてみてください、ルイーズ」

「ちょっちょっちょっ何やってんの二人とも」

 アーシェラの制止はなんの効果も生まず、ルイーズは躊躇なく銀色の籠手を右手にはめた。たちまち金属が飴のように溶け出し、ルイーズの肌に染みとおって消えた。ルイーズは絶句して小刻みに震えた。

「やっぱり! 闇化ガリウムⅣ-月鉛合金の特徴は浸食性と可塑性っス。それにルイーズの腕力を飛躍的に高める……すごいアーティファクトっスね。ああ! それから、脳波と紐づけて自由に変形させられるはずっスよ」

 ルイーズはべそをかいた。

「はやい話が、単純な連想っスよ。例えば、剣の形を思い浮かべて下さい」

 ルイーズの腕に再び手甲が湧き出し、拳覆いが鋭い刃に変形した。ルイーズはまたべそをかいた。

「ねえ待って、一生? これ一生?」

「気化させれば外れるっスよ。沸点は二千度。高炉と同じぐらいっスね」

「一生だった」

「無限関節の操作肢を好きなだけ追加できると考えれば、便利じゃないっスか。従順な触手をペットにしたと思えばいいんスよ」

「キモすぎるんだけど」

 ルイーズは、怒ればいいのか絶望すればいいのか分からないときの顔で棚にもたれた。アーシェラもまったく同じ気持ちだった。その辺をぷらぷらするぐらいの気楽さでアーティファクトをくすねたテルマとルイーズに対して、それは違うと言いたかった。だが酔った勢いで隠し財産を盗み出すのと、なにがどう違うのか。

「信じらんない。ほんとあり得ない。一生? 一生ってなにそれ。ウチのことなんだと思ってんの」

「いやだから言ったじゃないスか、気化させれば」

「分かんないっつーの! それが! ふざけてんでしょ!」

「はーあ? なんっ……このっ……人が、分かりやすく言ってあげてるのに」

 テルマとルイーズの口げんかが白熱しはじめたところで、かさっと小さな音が鳴った。アーシェラはふたりの口を手でふさいだ。

「ふたりとも、後でやって」

 二人は息を呑み、何度も頷いた。

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