魔女の一撃2
サミュエルが書類を手に取り、中を開く。
『マリア』と綴られたカルテに、少年は目を瞠った。
「マリアは定期レポートも安定してんだ。ここまで大切にされてる自動人形は早々いないよ。よっぽどのことは起こらねぇから、安心しな」
エイプリル言葉に、ふわり、マリアの表情が緩む。
自動人形と馴染みのないサミュエルは、カルテのページをめくった。
「俺、マリアしか自動人形って知らないんですけど、そんなに違うんですか?」
何気ない少年の質問に、カッとエイプリルが目を見開く。
腰の痛みも忘れ、彼女は早口でまくし立てた。
「そりゃあもう、月とスッポンよ! 普通はこうはいかねぇ。みんなかえが効くってんで、雑にしか扱いやがらねえ! メンテだって寄越さねぇで、新型を買い替えやがんだ!!」
「へ、へえ……、そうなんですか……」
親方の巻き舌に圧され、少年がたじろぐ。
ノキシスは苦笑いを浮かべた。
「マリアはわたしの唯一だからね。代わりなんてどこにもいないよ」
「ノキさん……」
マリアの瞳が潤む。彼女の手が、胸の辺りを押さえた。
クーッ!! 寝台で両の拳を固めたエイプリルが、ここに感極まり。そんな声を放つ。
サミュエルの肩が跳ねた。
「だからこそアタシは、マリアを生涯担当するって決めたんだよ!!」
「よ、よくわかりました。ですけど、今はご静養された方が……」
「そこなんさね……」
がくり、エイプリルが寝台で項垂れる。
先ほどまでの輝きに満ちた声とは異なり、どんよりと沈んだ声だった。
「マリアが来るってんで、つい張り切っちまったんだよ……。まさかぁこの年でやっちまうとは……」
「マリア、罪深いことしてますね……」
「あ、あらあら?」
後輩から向けられた視線に、マリアが首をひねる。
繊細で滑らかな表情の変化は、違和感なく人らしさを伝えた。
「アタシは動けねぇ。でもだからって、他の工房なんざにマリアを預けたくねぇんだ!」
「モテモテですね、マリア」
「照れるわ、サミュさん」
頬を押さえ、唯一のメイドがはにかむ。
エイプリルは震える手を伸ばした。転がったペンを掴む。
「マリア、問診だ。不調箇所を口頭で述べてくれねぇかい?」
「かしこまりました」
静かに腰を折り、マリアの目がちらとノキシスへ向けられる。
はたと気がついたサミュエルが、主人の背を押した。
「ノキ、向こうで待ちましょう」
「……マエストロ、マリアを頼んだ」
「ああ、任せな!」
伏せたまま親指を立てたエイプリルの姿が、蝶番の速度に合わせて、扉の向こうへ遮られた。
「さて、マリア。症状を教えとくれ」
親方エイプリルの促しに、マリアの手が自身の胸へ添えられる。
彼女は金の睫毛を伏せた。
「胸部に違和感が」
「胸かい。程度と頻度は?」
新しいカルテの用紙に、ガリガリ、高い筆圧の音が響く。
ためらうように口を噤んだ患者は、静かな声を押し出した。
「……言葉では表現しにくいのですが」
「アンタが認知してる表現でいいよ」
「……むずがゆいような、刺さるような、痛むような、締めつけられるような……そのような感覚です」
「おん? 多様だねぇ」
首をひねったエイプリルが、利き手を止める。
「その不和に、規則性はあるかい?」
「……」
「マリア?」
言い淀むような沈黙は、命令を絶対とする自動人形には珍しい現象だった。
問いかけるエイプリルに、うつむいたマリアが胸元を握る。
「……ノキさん」
「ん? 坊?」
「ノキさんの、笑った顔を見たとき、特に軋みます」
「……」
「痛くて、苦しくて、でも、あたたかい」
僅かに頭を持ち上げ、親方が自動人形を見遣る。
顔色を悪くしているマリアは深刻な面持ちで、その姿は冷静であるべき自動人形らしくなかった。
エイプリルが、ペンを置く。
「……こいつぁ、たまげた……」
「マエストロ、やはり私は廃棄されるのでしょうか?」
声音を震わせたマリアの目線は、終始床に縫い留められている。
「いや……」呟いたエイプリルが、上着のかかった椅子を指さした。
「ひとまず座りな。……そうさな。アンタを廃棄なんてしちゃあ、坊が黙っていないよ。まず、それを認知しな」
「……はい」
浅く椅子に腰かけ、マリアがか細く応答する。
首の向きを変えたエイプリルは、患者の姿を視界におさめた。
「マリア。アンタは、人形に魂が宿る話は、聞いたことはあるかい?」
「魂? 自動人形には、無縁の項目だと思うのですが」
「ところがどっこい。長く愛されたモノにはね、心や命が生まれるんだよ」
「??? 理解不能です。論理的ではありません」
エイプリルの説明に、首を倒した自動人形が困惑の顔をする。
やさしく微笑んだ親方は、幼子に語りかけるように問いかけた。
「もしもノキ坊が泣いてたら、アンタはどう思う?」
「『思う』ですか? 自動人形に感情は……」
「胸は痛むかい?」
ハッとしたマリアが、視線をうつむける。
ふらふらとさ迷わせたそれが、顔ごと背けられた。
「……痛みます」
「どんな風に?」
「キリキリと、捩じ切られるような。少しでも笑ってほしくて、……涙を拭いたくなります」
「じゃあ、他に痛むときは、どんなときだい?」
やわらかく促され、自動人形の喉がこくりと動く。
震える唇が、ゆっくりと動かされた。
「……ノキさんが、サミュさんといるとき」
「うん」
「ツキリと、突き刺さるような痛みが、一瞬走ります」
マリアの両手が顔を覆う。絞りだされた声音は、涙声を思わせた。
「マスターの占有権など、私にありません。なのに、『取られてしまう』と思ってしまうの……!」
くぐもった声音は上擦り、冷静さからほど遠い。
「これまでずっと、ノキさんのお世話をしてきたの。もちろん、これからも! あの人が微笑んでくれるだけで、胸が満たされる。なのに、あたたかいのに、疼いて痛むの! ノキさんが私を褒めるたび、バイタルの上昇を観測する。それなのに、胸が締めつけられるように苦しいの!」
エイプリルの相槌を置いて、勢いよくマリアが顔を上げる。
切羽詰まったかのようなそれは、彼女に人間らしさを与えた。
「マエストロ、私はおかしいの!? このままじゃっ、廃棄が、ノキさんの傍にいられないことが、恐ろしいの……ッ」
「それが『愛しい』って感情だよ、マリア」
やさしく諭すようなエイプリルの声に、マリアがハッとする。
胸を強く押さえ、戸惑いの顔で復唱した。
「これが、愛しい……?」
「アンタは知ってるかい? ただのオモチャの人形でも、魂が宿って髪が伸びたりだとかする話」
「いいえ……」
横に振られる首に、エイプリルは微笑む。
伏せたままの彼女は、サジを投げた。
「マリア、それはアタシたちには直せないものだ。それをどうにかするにゃあ、アンタのデータを全て初期化しなきゃならねぇ」
「ッ、それは……」
「ノキ坊との思い出も、アンタがこれまで把握してきた好みも、全部まっさらに消さなきゃなんねえ。……それが、その胸の痛みを消す唯一の方法だ」
うつむいたマリアが、両手で胸を強く押さえる。
その顔に浮かんだ表情は、泣き笑いのものだった。
「人間は、こんなにも重たいものを持っているのね……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます