第24話

 ──三日月形ノ薄イ金属片ガ真砂ニ混ジリ、茫々トスル淡イノ砂丘ニ青黴ヲ散リバメテイルノヲ、桃色ノ腰部マデ埋マル体ヲ両手デ起コシテ遠望スル。方々カラ眼ノ円ナ肺魚ガ降リ、滑ル軟質ノ身ヲ砂ニ擦リツケテ一斉ニ潜ロウトスルモ、金属片皮膚体ヲ痛メツケ、粒ハ蟻トナッテ傷口ニ群ガリ、火傷ノ爛レタ水膨レニ──


「常盤さん、やっぱり音がざらついてかゆいわよ、この、百四小節から百十二小節の、たらららたらららたららら、ね、飛ばない手の弾く通奏低音がめだって大きいから、ころころ転がる飛ぶ手の旋律をむんずとつかんで、地上にひきおろすような印象をうけるわよ、喧嘩するまでいかないけど、低音部が変につっかかるようでとてもかゆいわよ、ほら、見て、先生の肌に泡がたっているでしょ……」


「ポグ先生! 汚い肌の話なんか気分が悪くなるだけなので、無駄話をせずに飛ばない手の音を矯正してください。常盤、飛ばないの手の音が雑に大きくなっているわよ、自分でもわかっているでしょ? もっと控えめでどっしりしたイメージを持って、飛ぶ手を存分に羽ばたかせることを頭に描きなさい。昨日も今日も何度も言ったでしょ? 飛ばない手はわきまえるべきなのよ、その形のほうが互いを活かすんだからね、わかった?」


 ──翼ノ生エタ太イ蚯蚓ガ中空ヲ錐揉ミシテ、赤黒イ血ヲ飛散サセナガラ斜メニ落チテイキ、砂上ニハ夥シイ血痕ガ模糊トシテザワメク。傷ツイタ肺魚ト活気付イタ金属片ハ、ソロソロト血痕ニ吸イ寄セラレ、触レ合イ、田圃ヲ掘リ返シタ臭イヲ発散サセ、怒気ヲ揮ッテ回転スル。加速シテ此処彼処ニ回転スル。湿リダシタ砂ニ胴マデ沈ミ込ミ、背ヲ丸メテ上目ニ丘ヲ見遣リ、ホット溜息ヲ──


「かゆいわ! とてもかゆいわ! 常盤さんさっきよりも細胞的にかゆいわ! 鳥肌噴火し……」


「ポグ先生蹴るわよ! 常盤! わたしに反抗しているの? なにその演奏は、図々しいじゃない、挑発的じゃない、わたしを怒らせるために演奏しているの? ええっ? そんなにわたしの言うことが気に食わないわけ?」


 松葉杖を握る手を力強く、右足一本で立つポグスワフは頬を上げ(気狂イ娘メェ、偉ソウニイイ気ニナッテ……)、嘆願するよう目を開かせ、きょろきょろ辺りに視線を散らばせる。脚を組んで椅子に座るサバラは常盤の後頭部を射抜く。合成皮のソファーの上に畳まれた膝掛けから、猫の小便が際立って臭った。


「ち、ちがうよ、姉さん怒らないで、そんなつもりないよ、決して姉さんに反抗するわけじゃな……」


「じゃあなによ! なんなのよ! 音がすべて語っているじゃない、こうでしょ? ちっ、うるさい女だ、あいつの言うことなんかきくものか! なんて思っているんでしょ? ねえ? わたしわかるわよ、常盤はそうやってわたしの機嫌をとろうとするけど、ほんとはまったくちがうことを、わたしを憎むことばかり考えて演奏しているんでしょ? でしょ? ほら、その顔、しんみり悲しそうな顔してへつらうんだ……」


「ち、ちがう、姉さん、ちがうよ、ぼくは姉さんの言うとおりに演奏しようと……」


「ああそう、そうなの、ふんふんっ、じゃあ口ばかり動かさないで、音で示してごらんなさいよ、ええっ? 口なんかいくらだって嘘つけるんだから、音に誠意を込めてわたしに聞かせてちょうだいよ、ええっ? どうせまたおな……」


 ──砂原ノ遠近カラえめらるど色ノ噴水ガ湧キ立チ、高低様々ニ宙ヘ広ゲテ飛沫ニ虹ヲ輝カセ、濃紺ノ空カラ色ヲ奪ッテ砂ニ注ギ込ム。金属ト魚ヲ混ゼテ回転スル血痕ハ、水ニ洗ワレ泡立チ、煙ヲアゲテ霧散スル。熱砂ハ水底ニ沈ンデ静ケサニ揺曳シ、琴線ノ爪弾キニ泡ヲフラフラ揚ゲル。遠イ高空ニ燦然トスル菱形ノ紅陽ノ下、空ト噴水ト煙ハ薄イ氷ヲ張ラセタ水嵩ニ侵食サレル。音色ガ心ノ臓ニ遠ク響イテクル。湖底ニ沈ミ、砂カラ逃レタ首カラ上ハ、腫レタ唇ヲ開キ、揺レナイ水面ヲ見上ゲル。背鰭ノナイ小サナ流線型ノ魚ガ一匹、頭部カラ尾マデ広ガル絹ノ尻鰭ヲ波状ニヒラヒラサセテ、黒色ニ染マル長細イ体ヲ泳ガセテイル。芥子粒ノ色ノナイ眼ガ、砂カラ生エル頭部ヲ見下ロシタ。眼ハ合イ、スベテガ黒ク見エナクナ── 


「きゃあぁぁ!」首を竦めてポグスワフが悲鳴をあげる。


「にゃあぁぁ!」黄斑の猫が三本脚を痙攣させる。


「ほらあぁぁ! 今の音は殺意を感じるわよぉ! それまでの静かに澄んだ音色も台無し、殺害前の、人情を意識的に喪失させた、氷雪の音色に様変わりよ、過去も未来もどす黒く染めたわよ、常盤ぁ? 今のはなに? わたしに向けて音を放っているの? わたしを殺したいの? 負けないわよ! あなたも知っている通り、わたしは父さんの娘よ、戦う時は身内だって容赦しないわ、ねえ、本当にわたしが嫌いなの? わたしは常盤の為を思って助言しているのに、常盤ったら、そんなわたしの気持ちも考えないで、もうっ、やる気ならやるわよ、かわいい常盤だって、常盤だって……」


 じゃあぁぁん、鍵盤を強く、切なく、浅ましく叩いて、常盤は咄嗟に部屋を抜け出した。

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