陰謀執事の計算外

「――ゴブリンの群れが現れた」


 深刻極まりない表情で、冒険者ギルド・ペリジア支部のギルドマスター、マルクが言った。

 執務机に両肘を突き、組んだ指に額を預け、充血した瞳をこちらに向ける。


「ただの群れじゃねえ。とてつもなく巨大で、いびつな……これまでに類を見ないようなおそろしい群れだ。多数の要警戒統率者が確認されている。しかも、それらの統率者をさらにまとめ上げる統率者がいるようだ。

 スカウトにまで、見たことのない高ランクの個体がいるらしい。偵察に出た冒険者も、群れを遠巻きに見ることしかできなかった。

 ゴブリンの数は優に千を超えるだろう。下手をすれば数千……最悪、万を超えている可能性もある。こうなると、もはや群れとは呼べん。『軍』だ」


 マルクが大きなため息をついた。


「待ちなさいよ。昨日の依頼じゃ、ゴブリンの群れは10体ほどだって話だったわよね?」


 紅華お嬢様がマルクに尋ねる。


「すまん。完全に不測の事態だった。もしおまえらが昨日のうちに出発してたらと思うとゾッとする」

「どうやったら数千規模の群れを10体程度だと誤認するのよ?」

「正直、俺も困惑してる。魔物の発生については学者のあいだでも諸説があるんだが、いずれの説でもこんな現象は説明がつかねえ。一晩で10体から数千へと群れが膨らんだとしか思えん状況なんだ」

「そんなことが起こるんだったら、歴史的な記録も残っていそうよね?」

「さてな。このギルドで調べられる範囲じゃ、こんな事例は過去にない。いや、調べるまでもなく、こんなことが過去に起きていたんだとしたら、ギルドで情報が共有されてるはずだ。っていうか、ギルドはもちろん、教会や一般人のあいだでも語り継がれてなきゃおかしいだろう」

「それはそうよね」


 お嬢様がうなずいた。

 この世界の文明レベルが地球より遅れていたとしても、さすがにそんな大事件があったら記録が残ってるはずだ。


(ひょっとして……やりすぎた?)


 僕はお嬢様から一歩下がった場所で冷や汗をかいていた。

 たしかに昨夜から夜明け近くまで、僕はゴブリンどもを進化させ続けた。最後にはゴブリンキングが誕生したのを見届けている。

 だが、ギルドで盗み見た資料によれば、ゴブリンキングの統率できる配下の数は千前後だったはずだ。

 ゴブリンのステータスを見る限り、千程度なら僕とお嬢様だけでもなんとかできる。


 でも、マルクの説明によれば、ゴブリンの群れの数は数千から万――さすがに、僕とお嬢様だけで対処できる数ではない。

 といっても、戦って負けるという意味ではなく、全体の注意を惹きつけられず、群れの一部が街に向かうのを阻止できない、という意味だけど。


「このままでは、この街は――ペリジアは壊滅する。昨日今日ここに来たばかりのおまえたちに、街を枕に死ねとは言えん。今のうちに逃げてくれ。可能なら、街からの避難民を護送してもらえればありがたい」

「そんなこと、しないわよ」


 首を横に振るお嬢様に、マルクが小さく息をついた。


「そうか……まぁ、しかたがないだろうな。なりたての冒険者に頼むようなことじゃねえ。それなら、おまえらだけでも早く逃げろ」

「そうじゃないわ。しないって言ったのは護送じゃなくて、そもそも逃げないって言ってるのよ」

「は……?」

「逃げるわけがないじゃない。ゴブリンの軍勢……おもしろそうだわ! 『ゴブリン』っていうのがいまいち迫力に欠けるけど、万を超える軍勢と戦える機会なんて一生に一度もないわよ! こんなおいしいイベント、逃すわけがないじゃない!」


 お嬢様がぐっと拳を握り、目を輝かせてそう言った。


「し、正気かっ!? ゴブリンとは言うがな、千を超える軍勢となれば、キングもジェネラルもその他の特殊なクラス持ちも溢れてるんだ!」

「クラス持ちを倒せばクラスが取れるんでしょ? 渡りに船とはこのことね!」

「おい、ベニカ! おまえに力があることは認めるがな! だからって、人一人にできることには限界ってもんがあるだろうが!」


 マルクの言葉に、お嬢様が一瞬息を止めた。

 お嬢様の周囲の温度が下がったような気がする。


(これは……お嬢様の逆鱗に触れたね)


 一人でできることには限界がある――お嬢様の大嫌いな言葉の一つだ。


「あのね……モンスターを倒すだけでレベルが上がる、スキルを使えばスキルレベルが上がる、クラスを取ればHPやMPにバフがかかる……こんだけ恵まれた世界で生きてるくせに、どうしてあんたは誰よりも強くなりたいって思わないわけ? よくわたしに負けてへらへらしてられるものよね!?」

「なっ……」

「なんのために、あんたは神からレベルやらスキルやらクラスやらを授かってるのよ! 人一人では打ち破れない状況を打ち破るためでしょうが! 人一人でできることには限界があるってのは事実だけど、その限界を打ち破るための道具が揃ってるってのに、どうしてそこでヘタれるのよ!?」

「い、言いたいことは、わからんでもないがな……。現実問題として無理なものは無理だ。俺はギルドマスターとして、冒険者たちを死地に送り出すわけにはいかんのだ」

「だったら、わたしとケイに任せておきなさい! ゴブリンの二千や三千、蹴散らしてみせてあげるわ!」


 徐々にお嬢様とマルクがヒートアップしていく。

 そこで、ドアがノックされた。

 マルクが答える前にドアが開かれ、廊下から秘書さんともう一人の人物が入ってくる。

 その人物は、僕とお嬢様も見知った相手だった。


「あら、ティアじゃない」

「ベニカ様もいらしたのですね」


 秘書さんと一緒に入ってきたのは聖女だった。


「これはこれは、聖女様。よくぞむさくるしいところにいらっしゃいました」


 マルクがティアにそう言った。


「この際です。挨拶は抜きに致しましょう。ゴブリンの群れが現れたそうですね。それも、尋常ではない規模の」


 単刀直入に切り出したティアに、マルクが少し意外そうな顔をする。様子から察するに、マルクはティアと面識があったのだろう。そして、以前のティアは、こうした場合でも儀礼的な挨拶を交わしていたに違いない。ティアに何か心境の変化があったらしいことをマルクは察したようだが、それを口に出すような間柄でもないということだろう。


「ふむ……では、協力のご要請ですかな?」

「どちらが要請するのしないのといった話はやめにしましょう。どうしても収まりがつかないというのであれば、わたしから申し入れたということで構いませんが」

「いやいや。結構なことです。ギルドと教会、双方の協力なしに、この窮地は乗り越えられないでしょう」


 マルクとティアの会話の雰囲気から察するに、冒険者ギルドと聖導教会はあまり仲がよくないらしい。

 こんな場合にペリジアの領主は何をしているのか、と思う人もいるかもしれないが、実は、この街には「領主」という存在がいない。

 住人が寄り集まり、ギルドと教会の庇護の下に生活を営んでいるのがこのペリジアという街なのだ。

 それを裏側から見れば、ペリジアの住人はギルドと教会による二重の支配を受けているとも言える。

 これは、ペリジアだけが特殊なわけではなく、多くの人間の街がそのような状況にあるらしい。

 昨日の情報収集や盗み見たギルドの資料などから、そうした情勢は読み取れた。


「助かりますな。聖女様の【結界魔法】があれば、戦いの幅も広がるというもの」

「こちらこそ、冒険者の皆さんの力がなければ、ゴブリンの統率者を討つことはできないでしょう。騎士は守ることは得意ですが、攻めることは必ずしも得意とは言い難いですから」

「有り難いお言葉です。しかし、今回のいくさは籠城戦になりましょう。どちらかといえば騎士の得意分野ではないかと思うのですが……」


 マルクの言葉に、ティアは首を振った。


「籠城戦は、こちらに十分な兵力と兵糧があり、かつ救援の見込みがあって初めて成り立つものです。巨大なゴブリンの群れ相手に来援してくれるような相手の当てはございますか?」

「むう……。ですが、それならばどうすると?」

「決まっています。打って出るしかないではありませんか」


 決然と言った聖女に、マルクが目を見開いた。

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