第14話 暗雲

レギュラーに選ばれたときは、俺は俺が信じられなかった。積み上げてきた練習量がそれに繋がったのだとしたら、ぜひ自分を誇りに思いたいと感じる。……しかし、どうにも自覚が持てずにいたのだ。


「やったな榎並。次の大会もお互い頑張ろうぜ」


「よろしく頼むよ、榎並」


そんな言葉が浴びせられても、俺は曖昧な笑みしか作れなかった。むず痒い───それが俺の素直な感想だったのだ。


その日も放課後は部活の時間がやってくる。相変わらず、いつも通りのメニューをこなし、気づけば日が暮れて終わっていた。そんなとき、コートの整備中にその声は聞こえた。


「……篠崎さぁ、コートの整備もろくにできねえの?」


それは同級生の部員の声。そして、それは言葉の羅列から篠崎に浴びせられているものなのだとすぐに気づけた。……振り返ると、そこにはデッキブラシを抱えた篠崎と、何かに怒っている部員の姿が。篠崎の足元では散らばったコートの土───それだけで、すぐに状況は掴めた。


「コートの整備なんて一年でもできることだろ。今さらこんなことでドジ決めて、俺らを困らせんなよ」


「……ご、ごめん」


「チッ」


謝った篠崎に向かって、会話の終止符に舌打ちを残し後を去ろうとするそいつに、俺は思わず声をかけていた。


「おい、そんな言い方しなくてもいいだろ」


「あ?……ああ、榎並か。なんだよ、お前、篠崎の味方だったっけ?」


「味方とか味方じゃないとか、そんな区別なんてしてねえ。俺達は全員でテニス部だろ。……仲間のミスを、そこまでボロクソに言わなくても───」


「あー、はいはい。お前は良い奴だよなー。レギュラーになっても傲慢にはならないし、そうやって篠崎も庇うんだな」


「……何が言いたい」


「いや別に?たださあ、あんまり俺らの『輪』から外れようとするなら……なあ?って話」


───醜悪に塗れた笑みを浮かべ、そいつは向こうの方へ行ってしまった。……輪。その言葉が何を意味するかは、もうわかっている。要するにあいつも、他の奴らも同じ……約立たずと判断した篠崎のことを徹底して責めようとする輪ということだ。そんなグループが形成されていることにも反吐が出るが、何よりやっていることそのものが幼稚に思えて、虫唾が走った。


「……ごめん、榎並くん。僕のことは放っておいていいから」


「バカ、何言ってんだよ。気にすんな、俺が勝手にやってることだから」


「でも───」


その先は制止させ、言わせなかった。弱者が自分を責め立てることほど、残酷なことはない。だから俺は彼の言葉を遮って、その肩を叩く。


「お前はお前らしくテニスをするんだ。あいつらのやり方になんか屈するな。……な?」


「……っ、」


息を呑む音が、はっきりと聞こえる。今は何も言えないだろうが、それでいいのだ。兎にも角にも、俺は絶対に、弱者を袋叩きにするような連中は許さない。……それは、これまで中立であった俺が初めて篠崎のことを考えた一歩であった。


「気にしないでいいよ、篠崎。あいつらはただ、妬んでるだけだから。……純粋にテニスを楽しんでるお前を見て、嫉妬してるだけだからさ」


ふと、そんな声が耳に入ってくる。振り返ると、今度はそこに部長───須藤の姿があった。


「須藤くん……」


「篠崎はそのまんまでいいよ。何も無理に変わろうとする必要はないだろ。……な?榎並」


「……ああ、そうだな」


俺が同意の意志を見せると、須藤ははにかみ手を振った。


「じゃ、さっさとコート整備終わらせて帰ろうぜ。篠崎、もう気にするなよ」


「……う、うん!ありがとう……」


それだけの会話を残し、須藤の姿が向こう側に消えていく。俺はなおも手を振り返している篠崎を見やり、「よかったな」と微笑んでいた。


「いいか篠崎。たとえお前を蔑む奴がいてもだ。……絶対に、味方はいるから。それだけは、忘れんなよ」


「───。うん……!」


いつもの弱々しさが掻き消え、憑き物が落ちたかのように彼は、最後に大きく頷いた。


───まだ見えぬ先の惨劇のことなど、今は知る由もなしに……。

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