第10話 出張

 暗い夜空に星が瞬いている。

 魔道灯の灯は、じんわりと地上を照らしていた。

 私は抱き上げられたまま、耳を澄ます。

 虫の声や草葉が風に揺れる音といっしょに、レムスの呼吸音が聞こえる。

 近すぎる距離。伝わってくる体温。

 本当は、忘れたくなどない。ずっと、こうしてそばにいたい。

 何か会話をしなければと思うのに、口を開いたら泣いてしまいそうだ。

 まだこの想いに蓋をするのは無理なのかもしれない。

 レムスは、無言でじっと前を見て歩いている。表情が厳しい。きっと魔光蟲のことを考えているのだろう。それとも、単純に私が重いのかもしれない。

 別棟の玄関ホールに入ると、照明は既に最低限に落とされていた。

 この時間になると、受付はいなくなり、警備も宿直の人間だけになる。現在、魔光蟲のことは内密な状態だ。室長がどんな風に動いていたのかは知らないけれど、建物の中は、とても静かだった。

 暗いホールの向こうの通路に人影が見えると、レムスはゆっくりと私をおろした。

「ありがとう」

 声がかすれる。離れていく熱が寂しい。

 こんな時に、色恋のことばかり考えてしまう私は、職業人として失格かもしれない。

「虫は全部捕まえたけど、それで終わらないだろうな」

 レムスが呟く。

 薄暗い通路で、私達を待っていたらしいルワンが、そっと頭を下げるのが見えた。




 室長の部屋に入ると、公爵とサナデル皇子の姿が目に入った。

サナデル皇子と会うのは初めてではないが、個人的な付き合いはないから、正装以外の姿にちょっとびっくりした。

いつもはぴしりとキメている髪は、ナチュラルに流れていて、柔らかい人柄の印象により合っているように思える。

 高貴な人が座るには不似合いな武骨な木の椅子が室長の執務机の隣に置かれ、そこに二人は座っていた。

 室長の部屋には、応接セットのような気の利いたものはないので、これは仕方がない。

 室長は執務机の前に座り、私とレムスにも、机の前に置かれた椅子に座るように言った。

 私達と一緒に入ってきた、ルワンは、入り口近くに置いてあった椅子に、ひっそりと座る。

「結論的に言うと、当分、魔光蟲については、緘口令を敷く」

 そのことは予想通りだったので、私もレムスも驚かなかった。

「研究資料を焼いて全てをなかったことにしてしまう手もないわけではないが、それはそれで、またこのようなことが起こらないとも限らない。最終的には、陛下の判断になるだろう」

 研究の凍結か続行かを、今宵一晩で決められるものではない。

 魔光蟲は、特別な場所に生息する生物ではあるが、特別な生き物ではない。

 数も多く、しかもよく知られている生き物だ。

 凍結をすれば、とりあえずの危険は去る。ただし、魔光蟲の森からの持ち出し制限をかけるには、ある程度の辻褄合わせが必要だ。それをしないまま、凍結しても、いつかまた、同じことが起こる危険は避けられない。

「それで、現在、公爵家にいる魔光蟲は、レーゲナスの森のそばにある、公爵の私設研究室に戻すことにした。ついては、レムス、ジェシカ、お前たち二人は、ルワンどのとともに輸送に随行してくれ」

「随行?」

「輸送の際、万が一の時に対応できる魔術師がいる。だが、今はいたずらに関係者を増やすのは得策ではない」

「……そうですね」

 フェルダ公のお抱えの魔術師は、ディアナとルワンだけ。

 人員を増やせば、秘密が漏れる確率は増える。

「運んで、それから、どうしたらいいんですか?」

「運び終えたら、公爵の研究室で二日ほど待て。それまでに、こちらの考えをまとめて連絡を入れる。場合によっては、もう少し滞在してもらうことになるかもしれんが……」

「つまり、決定が下されるまで、様子を見ろということでしょうか?」

 室長は苦い顔で頷いた。

「場合によっては、軍の管轄になるかもしれん。なんにしろ、長期化するようでも、お前達は一定期間で呼び戻す。とりあえず、輸送についていってやってくれ」

「輸送はいつですか?」

「……明朝。そちらの準備が出来次第、ということになる」

 フェルダ公が口を開いた。

「出来るだけ、目立たない形で公爵家の馬車で行く。公爵は、何事もなかったように過ごしてもらい、皇室としても、今後のことが決まるまでは表立って動くつもりはない」

 サナデル皇子の表情は重々しい。

「ただ、今回の魔光蟲のことに限らず、レーゲナスの森特有の生物について、我々は知らないことが多すぎる。魔の森と恐れてばかりでなく、様々なものを研究する必要はある……今回のような事態が起こった時の対処法なども、考えなければならない」

 政治的にはいろいろ難しいだろうなあと思う。

 予算を組んで、魔光蟲の持ち出しを禁止にするには、ある程度の理由がいる。しかも、魔光蟲だけ、となると、勘繰る者もいるだろう。

 ただ、その手の法律とかについては、私の専門外。私達宮廷魔術師は、命じられれば研究するし、研究を凍結しろと言われたら、凍結するしかないのだ。

「……と、いうことだ。封印した魔光蟲については、私が預かる。突然のことだが、明朝、準備をして出発してくれ」

「はい」

 私とレムスは返事をして、退席する。旅支度というほどのものは、特にないが、どれだけの道具を持っていくかという打ち合わせの方が大切だ。

 私とレムスは休憩室の椅子に座り、持っていくものの内容をチェックした。何かあった時に、速やかに対処しなければならない。私たちはそのために随行するのだから。

「レーゲナスの森か……」

 森まで、馬で二日。馬車で行くとなると、三日はかかる。三日滞在して、すぐ帰るにしても、かなり長い間、仕事に穴が開く。

 もちろん、その辺、室長が何とかしてくれるとは思うけれど。

「たいへんなことになっちゃったわね」

 荷物は最小限にするにしても、あまりにも急だ。旅行じゃないから仕方ないけど。

「……お前、縁談はどうするんだ?」

 ぼそりと、レムスが口を開く。

「え?」

 レムスの口から、その言葉を聞きたくはなかった。

 もう彼の中では、私が結婚することになっているのだろう。胸の中に寂しさが広がる。

「室長が持ってきた話よ。室長がうまいこと話してくれるとは思うわ」

 どこか他人事のように、私は答えた。

 先方には悪いけれど、こういう仕事だということは最初に理解してもらわないといけないことだ。もちろん、この仕事をやめるという選択肢がないわけではないけれど、それは話し合いの末での結果であるべきだと思う。

私は宮廷魔術師という仕事に誇りを持っているし、簡単に代わりの人員が見つかる職種ではないのだ。

「それで壊れるような話なら、仕方ないよね」

「……ばいいのに」

レムスが何かを呟く。

「何?」

「もう休もう。明日は早い」

 問いかけた私に答えず、レムスは立ち上がり、自分の研究室の扉を開く。

「そうね」

 その背を見ながら、私は頷く。今日はいろいろなことがありすぎた。

 諦めようとようやく決意したのに。

 仕事とはいえ、自分がどれほどレムスに魅かれているのかを再確認してしまった。

 状況として仕方がないとは思うけれど、残酷だと思う。

「おやすみなさい」

 レムスを見送り、私はゆっくりと立ち上がる。

 明日は、全てを想い出にすることができるだろうか。

「未練よね……」

 私は小さく呟き、自分の研究室の扉を開いた。



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