第7話 公爵家

 公爵家で私たちを出迎えたのは、なんとフェルダ公爵本人であった。

 かつては社交界で並ぶものがいないと称されたほどの美形で、髪に白いものが混じり始めた今でも、女性に人気がある公爵だ。もっとも、かなりの愛妻家で有名で、浮いた噂は聞いたことがない。

 誠実で、穏健な人柄。政治的にはかなりの辣腕家でもある。彼がサナデル皇子の義父となるのは、非常に政治的には安定感があって良いと思う。

「よくおいで下さいました」

 フェルダ公は、ほっとしたように私たちを見ると、丁寧に頭を下げた。

 表情が険しい。疲れているようだ。

「どうなさったのです?」

 レムスの問いかけに、フェルダ公の顔に苦悩が見える。

「何からお話したものか……まず、見ていただきたいものがあります」

 屋敷の中は、かなり暗かった。

 灯されている灯りが、魔道灯でなく、ろうそくだからだと気づく。魔道灯を維持するには、点灯する為の魔術師が必要なので、庶民の家では、使われないことが多いのだが、公爵家では、そんな理由ではないだろう。

 実際、魔道灯がないわけではない。意図的に、ろうそくが灯されているのだ。

 暗くて長い廊下を歩き、そして、地下へと伸びる階段をおりていく。

「こちらです」

 開かれた扉の中も、やはり暗かった。どうやら研究室のようだ。

わずかなろうそくの灯でぼんやりと照らし出されたのは、崩れた壁。かなり大きな衝撃で壊れたようだ。位置的に見て、魔道灯があったのかもしれない。瓦礫は既に片付けられている。

部屋の奥には大きなケージがおかれ、その中で、ふわふわといくつかの光が明滅しながら漂っていた

「あれは、魔光蟲ですか?」

「はい、そうです」

レムスの質問に、フェルダ公が渋い顔で頷く。

「長年、魔光蟲を庭で眺めたいと思っていました。試行錯誤をすること数年、ようやく輸送することが出来たのですが、まさかこんな事になるとは……」

つまり、そのためにディアナを雇ったということなのだろう。

「こんなこととは、その壁のことですか?」

「そうです」

 フェルダ公の苦悩の色が濃い。

「ひょっとして、魔光蟲が破裂しましたか?」

 私の言葉に、フェルダ公は驚いたようだ。

「よくご存じで」

「……つかぬことをお伺いしますが、輸送した魔光蟲が、逃げだしたというようなことはありませんか? ひょっとして、そのことでお困りなのでは?」

「そのとおりです」

 私とレムスは顔を見合わせた。

「詳しい経緯を教えていただけますか?」

「まずはこちらへ」

 フェルダ公は、魔光蟲の脇を通り過ぎ、奥にあった扉をノックした。

「どうぞ」

 女性の声だ。

 扉を開くと、薄暗い部屋のベッドに女性が座っていた。

 全身に包帯が巻かれていて、顔にも傷がある。

 ディアナだ。

「ディアナ! その傷は」

「お久しぶりです、ジェシカ、レムス。魔光蟲を封印しようとして失敗してしまいまして。研究室の壁をみましたか? あの時の傷です」

 ディアナは苦い顔で肩をすくめた。

「魔光蟲を宮廷の中庭で一匹、宮廷で二匹みつけたの。私たちはそれで、あなたに話を聞きたいと思ったのだけど」

「そうですか……」

 ディアナはうつ向いた。

「……では、まだ、二匹いますね……」

「どういうこと?」

「実は、三日前、私の助手が魔光蟲を盗み、宮廷につとめている女性にプレゼントしたのです」

 ディアナは大きくため息をついた。

「魔光蟲の数が足りないことがわかり、私は助手を問い詰めました。助手が言うには、女性は虫が大嫌いで、そのままかごごと庭に投げ捨てられたと」

「私どもで、庭を密かに探し、かごは発見致しました。かごの中に残っていた虫もおりましたが、逃げてしまった虫もおりました」

 フェルダ公の顔が曇る。

「私どもは、たかが虫、と思って、事態を軽く見積もっておりました」

 通常、魔光蟲は、森から離れれば数日で死ぬ。

 たとえ、虫が逃げたとしても、数日中に死んでしまうであろうと予想していた。

「ところが、今朝、魔光蟲が魔道具に触れると危険であることを、私は身をもって知ったのです」

 研究室室内で、ふわりと逃げ出した虫が、魔道灯にひきよせられ、巨大化して破裂したらしい。

「公は、憲兵に連絡しようとおっしゃったのですが、私が止めました。魔道具で魔光蟲が破裂するとしたら危険です。それこそ、国を揺るがすほどに、危険な虫であることがわかった以上、出来る限り内密にした方が良いと申し上げたのです」

「将来的な脅威をはらんでいるのは事実だが、放置はできぬだろう?」

「どうしようと思っていたところに、あなた方からご連絡をいただいた次第で」

 レムスに、フェルダ公が苦しそうに答えた。事故があったのは今朝だ。幸い大事には至らなかったが、ディアナも負傷し、原因把握に時間がかかり、対応するのが遅れているのだろう。

「魔光蟲は、レーゲナスの森の豊富なエーテルを常に食べて生きています。森に魔道具を持って行ったとしても、このようなことはおこりません」

 ディアナは大きく首を振った。

「ケージをご覧になりましたか?」

「ああ。何匹かいたな」

 レムスの答えに、ディアナが頷いた。

「最初は五十五匹いたのです」

「そんなに?」

 もっとも、それだけの数がいたからこそ、助手が妙な気を起こしたのかもしれない。

「私は、産卵シーズンの直前、数日間だけ魔光蟲が事実上、断食状態にあることを突き止めました。ですから、その時期に凍結し活動を鈍らせておけば、輸送の間、命をつなぐことができる。つまり、少なくとも数日は森から離れてエーテルがない状態でも生きることができることがわかりました」

「本当はもっと、慎重に行うべきだったのですが、私が娘のパーティに間に合わせたいと、無理を言ったのです」

「……そうでしたか」

 明日のパーティは誕生日だけでなく、婚約内定の祝いも兼ねている。魔光蟲は、最高のサプライズを演出するのは、間違いないだろう。

「森で、凍結実験をしたときは、このようなことはなかったのです」

 ディアナの表情は険しい。

「これは、まだ仮説でしかないのですが、断食状態を経て、求愛行動をはじめる魔光蟲は、通常より多くのエーテルを必要とします。常ならば食用と出来ぬ魔術や魔道具の力までも喰らってしまうのではないかと。もちろん、凍結魔術の影響についても、調べる必要がありますが」

 これほどの大けがをしたというのに、ディアナは全く懲りてはいないらしい。ベッドの上でもずっと考え続けていたのであろう。

「とりあえず、まだ、二匹、いるのだな?」

 レムスが現実的な問題を確認する。

 そう、今大事なのは、理屈より、逃げた虫の確保だ。

「かごが見つかった位置とかを教えてくれ」

「はい」

 フェルダ公は、頷き、ベッドサイドに置かれていた宮廷の見取り図を指した。

「かごを捨ててあったのは、中庭の入り口付近のしげみです。持ち出されたのは、十匹。かごに残っていたのは、三匹でした。二匹は、かごを回収したときに、そのすぐそばで捕まえました」

 私とレムスはその見取り図を覗き込んだ。

 最初の噴水は、かごの位置からそれほど離れてはいない。

 宮廷の別館の玄関ホールも、直進する道がないから近い認識はないけれど、意外と近い。ということは、残りの二匹もそれほど遠くない場所にいる可能性が高い。

「ジェシカ、これを」

 ディアナが、ベッドサイドのテーブルから、何かを手に取った。

 薄暗がりでもはっきりわかる、透き通った石だ。

「レーゲナスの森のエーテルを高濃度に固めた結晶です。森で魔光蟲の捕獲に使いました。役に立つかどうかわかりませんけど」

「わかったわ」

 私は石を受け取る。

「細かい話は後で。とりあえず、二匹を捕まえなくっちゃ」

「宮廷へ戻ろう」

 私とレムスは頷きあう。

「私も参ります。やはり、陛下にはご報告せねば」

フェルダ公の顔は険しい。

「全て私のミスです。申しわけありません」

ディアナが目をふせる。

「罰は、いつでも受ける覚悟があります。こんな時にお役に立てず、不甲斐ないです」

「取りあえず、あなたは傷を治して」

今は誰の責任とか、魔光蟲の生態とかより、虫をさがす方が重要だ。

私達は、ディアナに別れを告げ、再び馬車に乗った。



 宮廷へ向かう馬車は、今度は少し広い四人乗りだ。

 フェルダ公、レムス、私、そしてもうひとり男性が乗っている。

 見たことのない男性だ。青白い顔をして、ずっと俯いている。

 彼の名は、ルワン。

 魔光蟲を盗み出したディアナの助手だ。

 なぜ、そんな男がまだ公爵家にいられるのか。

「ディアナがあのような状態である以上、この男より魔光蟲に詳しいものがおらんのです」

 フェルダ公はそう説明した。

 魔光蟲を採集してきたのは、主に、ディアナとルワンだ。

「……知らなかったんです。あの虫があのように恐ろしいものだとは」

 ガタガタとルワンは身体を震わせた。

「まさか……ディアナさんがあのようなことになるなんて……」

「ディアナのケガは、虫をケージに戻そうとした時に逃げたせいです」

 フェルダは首を振った。

「この男のしたことは、窃盗で許されることではありません。しかし、その件に関して、この男の罪を問おうとすると、ディアナが責任をとるといって聞かない。それは、あのような怪我をしても変わらない」

 ふうっとフェルダはため息をついた。

「なぜ、そこまで?」

「惚れているんじゃないか?」

 レムスがぼそりと呟く。

「それはないですよ」

 ルワンが首を振る。

「……あのひとは、そういうひとじゃない」

 どこか苦しそうに、ルワンはそう呟いた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る