わたしというキャラクターができるまで①
さて、ちょっと番外編、少しばかり真面目な話になります。
わたしが山育ちというのは以前も書きましたが、そういう事で一般的にいうお隣さんは無くて、少し下ったところに数件お家があるのが一番ご近所さんという感じでした。
近所に同い年の子供もいないので(そして、わたしは一人っ子)必然的に本を読んだり、ダンゴムシと戯れたりして過ごすようになります。
ウチは両親とも働いていましたので、その間のわたしの世話は同居している母方の祖母がしてくれました。
祖母は明治生まれで苦労もしてきたひとだったので、
甘いおばあちゃんではなかったですけれど、シャンとしていて、もう一人の母の様な存在でした。
祖母から
本の影響もあったのかなぁ。思慮深いといえば聞こえはいいけど、変なところで敬語が抜けないし。とっつきにくい子だったでしょうね。
小学校では、浮いていたと思います。
まず小学高学年で160cm近く既にありまして、今は珍しくないだろうけど、昭和の子供ですからね。
周りより頭一つ分ヒョロりと大きかった。
その頃は洋服も大人用しか無くて、母はオシャレな人だったから、センスのいい物を選んでくれていたと、今になるとわかるんですが、その頃はキャラクターもののトレーナーとか着ている同級生の女の子が羨ましくて堪りませんでした。
それに子供は、そういうところ敏感で残酷ですから、女の子扱いもされなくて、からかわれてばかりでした。
実は、わたしは近視で乱視です。
(今は常時かけていないけど、眼鏡を持っているし、一時コンタクトだった時もありますがそれは後日の話)
そのせいか、その頃は目を細めて見る癖がありました。
それが睨んでいるように見えたみたいで随分、虐められました。
一人だけ背高のっぽで本ばかり読んでいて、睨むように見てくる女の子。
席替えで前の席になれば、男の子達から
「デカブツのせいで黒板が見えない」と、からかわれる。
女の子たちも、小学生と言えど、自分たちは女の子として男子から扱われているけど、この子は違うというので、低くみるんですね。
からかわれていても、冷ややかに見ているだけで、庇ってはくれません。
ある時、何だったのか、クラス中から、からかわれて、感情が抑えきれなくなったわたしは「もう、家に帰りたい」と泣きながら教室を飛び出してしまいました。
結局、先生が追いかけて来て教室に戻ったのですが、この出来事をわたしは後々、ものすごく後悔することになります。
わたしにすれば、精一杯のSOSだったのですが、結局、格好の笑いの種を提供することになっただけだったからです。
「もう、家に帰りたい」はしばらくクラスで流行りました。
面白おかしく
そうか、激しい感情を表に出したら、こんな目に遭うんだ。
それから、密かに家で鏡を見ながら、目を細める癖を直して、できるだけ目をしっかり見開く練習をしました。
小学校の想い出はあまり楽しいとは言えないものばかりでしたが、この目をしっかり開いて見る練習は実を結んで、小6になったわたしは、もう睨んでいると言われることは無くなっていました。
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