6:修羅場で始まる戀物語=Sideアカリ

 ーーーダンっ!ダダダ、ダッ、ダッ!


 がちゃっ、っばーん!と、騒々そうぞうしい足音に続いて、リビングのドアが破裂はれつでもしたかの様にいきなり開かれた。

 突然とつぜん出来事できごとおどろいて、たぶんこの時のアタシはマンガのキャラクターみたいに、両手りょうてで持ったマグカップを、口元に運ぶ途中で止めた格好かっこうのまま、パチクリビックリした顔をしていたに違いない。

 え、なになに?どしたの?


「アカリっ!ヤバイ、遅刻だ!もう出ないと!ともえちゃんに殺されるっ!!」


 やぁっと起きてきたかと思えば、随分ずいぶんあわてた様子で雪彦ゆきひこがそんな事をさけぶ。

 

「ぇ、巴先生?雪彦、何か言われたの?ズズ…」


「説明してる時間はない!お前、自転車だろ?先に走ってるぞ!」


 飲みかけのコーヒーをすすりながら、時計を確認するけれど、7時半を過ぎたばかり。

 普通なら、遅刻する要素ようそ皆無かいむに思える。

 思いかんだのは、歳の離れた雪彦の従姉弟いとこであり、今や保護者ほごしゃかつ、担任でもある一ノ瀬いちのせ 巴先生だ。

 今日は終業式だから、あの人に何かしら仕事をめいじられて、早い時間に登校する様に言われていたのかもしれない…それくらいしか考えられなかった。

 雪彦は…いや、アタシもだけど…あの人に頭が上がらないのだ。

 小さい頃の事を覚えられているのって、弱味よわみ以外の何物でもないのよね…。

 特に相手が歳上だと、自分の覚えてない事までほとんど一方的に知られてたりして。

 …本当に、ほんっとぉおにっ!危険がいっぱいなのよ!アタシなんて…いやいや、今はしましょう。

 雪彦よりはマシだしね、と思い直して…すぐにでもけ出しそうな幼馴染おさななじみみに答える事もせず、戸棚をあさり、目的の物を取り出したらそのままヤツの口に向かってねじり込む様にして突きだす。

 我ながら見事にわえさせる事に成功すると、今度は雪彦がパチクリ顔になる番だった。


「ふぁにほれ(何これ)?」


 …またも、ちょっと可愛かわいいと思ってしまったのは秘密ひみつだ。


「買い置きのクロワッサン。せめてそれくらいわえて行きなさい。後でコーヒーもタンブラーに入れて持ってってあげるから。」


「ふぁんふぅー(サンキュー)!」


 言うが早いか、玄関に早足で向かってしまう。

 アタシも残りのコーヒーを飲みして、カップをシンクに置く。

 帰ってきたら洗いやすい様に水を張っておくだけにして、雪彦の朝食(だった)に保温カバー?でしっかりフタをしておく。

 いっつもカバーとしか呼んでないんだけど、これ正式名称せいしきめいしょうは何て言うのかしら?誰か知ってたら教えてね。

 早めに玄関を出たところで、本当はとっくに走り出していたかったであろうに、雪彦はへいの向こうでアタシが出てきた事を確認したみたいに、目が合ってから駆け出した。

 …まったくもう。

 手早てばやかぎを閉め、玄関横に置かせて貰っている自分の自転車を押して塀の外に出ると…見える範囲はんいにあの野郎の姿は影も形もなかった。

 待っててくれたと思ったアタシの気持ちを返せ…こんなのいつもの事だけどさ。


「…まったくもう。」


 今度は口に出してやると、特に急ぐってほどではなく…ごく普通の自転車の速度で追いかけ始める。

 ふと、昔の事を思い出した。


ーーーあれは確か…おばさん達が亡くなって、すぐの事だった。


 本当は、その場で大声をあげるほどに泣き出したかったはずの男の子は、苦いものでも食べたみたいな顔をしたと思ったら、うつむ加減かげん何処どこへともなく走り出した。

 子供心に、ひとりにしてはいけないと思ったアタシは…あの日も、覚えたての自転車で追いかけたのだ。

 けれど…まだ補助輪ほじょりんが取れたてだった事もあって、中々スピードが出せなかったアタシは…結局、追い付く事は叶わなかった。

 どんどん離れていく背中を見て…『あぁ、置いていかれたんだ…』なんて、あの子の為に追いかけたはずだったのに…あの時のアタシは、ただ自分が置いていかれたくなかっただけだった事に気付いてしまい、そこであきらめてしまった。

 あの日…アタシは両親を亡くしたばかりの男の子を、大した罪悪感ざいあくかんもなく、自分の自己満足じこまんぞく偽善ぎぜんと勝手な憐憫れんびんでもって裏切ったのだ。

 きっとあの日、独りきりになった男の子は強さを…独りを押し付けたアタシは弱さを手に入れてしまったのだろう。

 今も思い出すと、くやしさで自分をなぐりたくなる。

 もっと怖がらずにスピードを出していれば…例え、結局は自分の為であったとしても…何がなんでもあの子をつかんではなさずにいられたのなら、と…してもし足りない後悔こうかいだけが足にからみつくどろの様にもりたままった。


ーーー今も、きっとアタシの足は泥にまみれている。


 けれど…だからこそ、アタシはもう後悔しない為に、自分に出来る事はなんだってしてやると決めたのだ。

 泥塗れでも、後悔しかなくても、アタシにはきっとその義務ぎむが、責任せきにんがある。

 アイツの為になる事なら出来ない事だって、出来る様に…いや、出切る様に努力するのだ。

 例え、今のアイツが…これからのアイツが鬱陶うっとうしく思っても、アタシはあの日のあの子に手が届くまで、アイツのそばに、アイツが望んでくれたアタシとしてあり続ける。

 だから今は…忘れずにいる後悔をめて、アイツの…『ユキ』の『アカリ』として沈んだ顔は見せないと決めている。

 きっと、きっと…彼が明るい未来あしたに届きます様にと、願ってまない。


ーーーアタシのひそやかなこいが届かなかったとしても。


 差し当たっては…気を取り直して、あの馬鹿に追い付きましょうかね。

 少女マンガの主人公みたいに、運命の出逢であいなんてないとは思うけれど…万が一があったら、流石にまだちょっとばかり心の準備が出来ていない。

 その万が一をフラグ立ててしまっていた事に、アタシは後日気が付き…自分の抱き枕に八つ当たりする事になるのだけれど、それはまた別のお話。

 物思いに耽っていた事で、随分ゆっくりになってしまっていた事に気付いたアタシは…あの日出せなかったスピードで走り出す。

 苦味にがみの強い思い出も、淡い想いも、わずかな焦りと一緒にペダルをんで背中に追いやったのだった。

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