六章

六章 1



 なぜ、こんなことになってしまったんだろう?

 おれの何が悪かったんだ。

 何がそんなに、おまえを怒らせたんだ?

 それとも、それほどまでに深く、おまえはエミールを愛しているのか?


 とけない謎のように、そんな思考が、昨日は一日中、ワレスをむしばんでいた。

 どうやって一日をすごしたのかもわからない。


「おや、もう起きてもいいのですか? 今日あたり、ようすを見に行こうと思っておりましたのに」


 ロンドの声が、ワレスの意識を現実にひきもどした。


(そうだ。おれは今、こんなことで悩んでる場合じゃない)


 自分でしたことならともかく、他人の作った罠におち、盗人呼ばわりされるなんて、無様なマネはごめんだ——


 というのは強がりで、ほんとのところは、ヒマを見つけては看病にやってくる、エミールの顔を見るのがつらい。

 だから、まだ完全とは言えない体で文書室に来た。


「今日はどんなご用でしょう? いつもみたいに調べものではないですよね。その体でムリに来るくらいですからね」


 しなだれかかってくるロンドを押しかえす。


 ワレスは明るい窓ぎわの席を占領する、ジョルジュのもとへ歩いていった。

 絵描きのジョルジュは、ワレスに折られた腕もつながり、このごろは、わりに親しい言葉をかわしている。ワレスを見て、自分から声をかけてきた。


「よう。大変なめにあったそうじゃないか。小隊長。まあ、すわれよ。あんたの絵を描かしてくれるなら、話し相手になるぜ」

「あいかわらず、おれの絵で稼いでるようだな」

「だって、売れるんだから、しょうがない。ちゃんと服着たやつだ。安心してくれ」


 それは知ってる。ハシェドも持ってた。

 考えてみれば、ハシェドはなんだって、あんなものを持ってたんだろう?

 ワレスの容姿に対するあこがれのためだろうか?

 それとも……。


 しかし、その思考を打ちはらう。


(今は考えるな。ハシェドのことは)


 ジョルジュの向かいの席にすわりながら、

「稼ぎついでに、おれのおかしなウワサを流してやしないだろうな?」


 ジョルジュは紙ばさみをひらき、ワレスの姿をスケッチし始める。


「今朝、食堂で聞いたんだが、あんたが他人の金を——ってやつか?」

「それだ」


「まさか。そんなこと言うか。今度は右腕を折られたんじゃたまらない」

「左を折られた意趣いしゅ返しかと思った」


「よせよ! もう充分、わかったよ。あんたが顔に似あわず、物騒なやつだってことは。まさか、それで血相変えて来たわけじゃないよな?」


 話しながらも鉛筆をにぎるジョルジュの手は、素早く、ワレスの姿を紙にとどめていく。じつに、見事。じっさい、画家としてのジョルジュはいい腕だ。


「それだけの腕があるのに、バカなことをしたな。春画を描いて都を追放されるなんて。一流の宮廷画家になりたくなかったのか?」


「もちろん、なるつもりだった。どうしても、まとまった金が必要だったんだよ。ぶっちゃけて言えば、妹が死んじまいそうだった。後悔してないと言えば嘘になる。でも、おかげで、高い薬で妹は助かった。今年のアレイラの月には結婚するんだ。それまでに、なんとかして花嫁衣装くらいは買ってやらなきゃな」


 ジョルジュは妹を助けることができた。

 しかし、ワレスは助けられなかったので、今でもずっと、そのことを悔やんでいる。


「……おれはそういう、お涙ちょうだいの美談はキライだ」

「あんたって、ほんとに根性まがってるな!」

「しかし、助けられなければ、おまえはもっと後悔しているだろう」

「まあな」


「おれはキライだが、世間は美談が好きだよな。おまえ、女の裸を描いて兵士に売ってるくらいだ。話ついでに、客の故郷の話はしないのか?」


 ジョルジュは顔をしかめた。


「あんた、誤解してる。おれは女の裸ばっかり売り物にしてるわけじゃない。自分の似顔絵を描かせて、家族に送るやつが、けっこう多いんだ。覚悟きめて来てても、やっぱり何か残したいんだな。もしも、死んだときのために。おかげで繁盛はんじょうするよ」


「上々。それなら、なおさら、故郷の話題になるな? おまえの知ってるなかで、皇都から来た人間はいないか? あるいは、皇都に近いどこかの州都」


 ワレスは下絵に色をつけるジョルジュのかろやかな手の動きをながめる。聞こえていないのか、ジョルジュは色ぬりに没頭している。

 ジョルジュが自分で持って来た絵の具は、もう残り少ない。


 急に、ジョルジュが関係ないことを言う。


「あんたはほんとのとこ、分隊長の青いマントのほうが似あってた。まあ、今の金モールの房つきマントも悪くないが。分隊長のマントのほうが、青い瞳が強調されてたね」


 分隊長までは人数が多いため、色をつけただけの無地で、とても質素だ。丈も短い。殉死した者や、砦をやめて帰っていく者のマントも使いまわす。

 その点、小隊長ともなると、任命の場で、城主の伯爵から、じきじきに新調をたまわる。房飾りや刺繍ししゅうもあり、なかなか豪華だ。


(おれが分隊長のときに使ってたマントは、ハシェドにやったんだ)

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