第五節 ◆禁域地帯アリオト・駐在地点/桐葉知秋

『副官ベテルギウスによる突然の乱心。無毒化された湖水と、肉腫に寄生された者たちの群れ。そしてステラの破壊——いや、分解か』


 アルテミスから副官スピカと別行動後の報告を受けた皇帝ユピテルは、ふむ、と一言呟いた。浮かび上がった各問題点を列挙していくなか、立体映像に浮かぶかの皇帝、その物憂げに光る淡い金の瞳が細い鋭利さを宿す。

 森林内から湖までの道中に起きた一連の異常。これら全てが、件の肉腫の能力——その効果だとアルテミスはユピテルたちに進言した。

「これまでに確認された肉腫と毒瓦斯の害性。……肉腫は寄生先宿主の思考および行動操作。一方で毒瓦斯は突発的な攻撃性の誘発と幻覚、判断能力の低下といった毒効はザウラク公と天士エピメテウスの一件で俺たち一同認識済みだ。だが——」

『今回は前件と些か様子が違っていた、と。……しかし、妙だな』

 アルテミスの抱く疑念に、皇帝は現地の環境状態を整理する。

『毒瓦斯の効果範囲は肉腫を中心として直径約三〜五マートが限界のはずだと聞いていたが。遭遇した肉腫たちの数を抜きにしても、奴らが潜んでいたのはクレーター内の湖畔、その浜。……瓦斯の影響が及ぶ距離範囲から、クレーター外縁を囲う森は大きく外れている』

「その肉腫と宿主たちなんだが。以前、対峙したエピメテウス、ザウラク公のものよりも遥かに成長具合……そして個々が放出する瓦斯濃度が比べるまでもなく段違いダンチだったぜ。もしかすると、成長に比例して効果範囲も広くなったのかもしれねぇ」


 アルテミスは、腐敗した元人間——そして元天士であっただろう肉の屍たちに追い詰められた時のことを思い出す。

 明らかに常識的な人間の体躯、その範疇を超えた規格個体。いくつかは元天士であった見て間違いはないとアルテミスはそう判じた。現に、肉腫以外の天士特有の磁気を観測したステラ・パンドラの記録が何よりの証拠だ。

 ……しかし。惑星ガイアの土に還元を拒絶されたはずの天士でさえ、完全に腐肉と化していた。人型の容態を一部残していたことから、かつては知性を有していた者であったのだろう。その上、腐敗進度の割にはまだ歩行といった運動機能が残っているとはいえ、やはり肉腫の侵食がかなり進むとエピメテウスたちの様に意思疎通は叶わない様だった。

 そして目を見張るべきは、肉腫の成長。これまでは人間カノープスにザウラク、天士エピメテウスとムーサの四件。……これら肉腫は全て花の蕾、または花弁に似た形態だったことから、植物に近い生物だと皇帝とアルテミスたちは予想していたが——。


『いや。破軍の推測に異を唱えるようで申し訳ないが、毒瓦斯の効果範囲の拡大については大きな変化はない。ステラ・パンドラから転送された敵性情報記録を参照した通りだ。肉腫がいかに成長していたとしても、奴らがいたのは普通の人間でも登るのに一苦労する、クレーター縁という高壁の内側。あの木偶の坊にも等しき腐肉の塊にとって、そもそも移動以前の問題だ。……第一、こうして追手が来ていないのが何よりの証拠といえよう』

 加えて、ポルックスとポラリスが示した検査結果によると、この毒瓦斯の比重は空気よりも重い。つまり、空気中において常に下層へ溜まり易い上に、クレーター内にいる肉腫の毒瓦斯が外縁を越えて森林内へ漏出していくには、地形的にも困難であるのだ。

「……それでも、今回のも変わらず肉腫の能力ってことで間違いはないんだろう? 他にどう説明があるっていうんだよ」

『落ち着け。皇帝陛下の御前であるぞ、ズブ濡れ破軍よ』

「だ〜れが濡れネズミ破軍ちゃんだよ!」

 ユピテルに向かって語気を荒げたアルテミスへ、冷徹な声が割って入る。納得がいかぬ破軍の苛立ちを制したのは、ポラリスと共に分析作業にあたっていた第二皇子ポルックスだった。

『この異質な状況下、冷静さを欠くことに私も理解はしよう。だが、少しは部下たちの手前。……礼節は、心得ておくべきだ』

 力が抜ける珍妙な呼称を以ってして、整然的確な正論。それにぐうの音も出ない破軍は、不満げなまま両手を挙げると大人しく恭順を示した。

 そのやりとりを優しげに見守っていた皇帝は、頃合いを見て一同の注意を集めんと手を叩く。

『ポルックスの言うことももっともではあるが、破軍の言い分もまた正しい。……そこで破軍・アルテミス。君が副官スピカに渡した生物資料、そして生態痕跡資料の出番だ。——ポルックス、解析結果をここに。カストルは電子記録をステラ・実機連星アルテアを用いて、現地端末機を通して彼らへ直ちに送信せよ』

『……送信、完了…いたしました……。』

『うむ。ではポラリス、破軍たちへ例の資料を映してあげなさい』

 皇帝の指示のもと、帝都の情報通信管理室、及び分析研究室より皇子皇女たちが送った各々の調査結果。その記録を受信した現地のアルテミスは、円状に照射された平面映像を前にして思わず喫驚する。

「これは……‼︎」

 ……ポラリスが映し上げた資料画像。そこには、森林内でスピカとベテルギウス二名が採取した冬虫夏草類のキノコ——その数種類が映っていたのであった。


『先の星剣会議時に破軍が提出した肉腫の骸鉱石……その二つの調査を終えたところ、どうやら植物ではないことが判明してね。そこにちょうど、副官スピカが持っていた採取資料と照合した結果——これらキノコが、肉腫の遺伝子構造と一部一致していたことが判ったのだ』

 ……植物、と一口に示しても、その生態様式は陸上動物以上に千差万別を極めている。多種多様の植物生態の中でも特に目を引くのが、「植物に寄生する植物」——いわゆる、完全寄生植物というものが存在する。

 当初、悍しくも花弁に似た形状から、アルテミスたちは肉腫の由来が天士により汚染された完全寄生植物に近い種だと思い込んでいた。

 ……しかし、それは全くの誤解にして誤認。

 正確には、肉腫の正体は生物に寄生する子嚢菌類——冬虫夏草、その仲間だったのだ。……肉腫が冬虫夏草類だとすれば、謎に包まれていた森林内の異常もいくつか説明がつく。

「俺たちが森の探索中、至る箇所に特定のキノコばかり目立っていたのはそういう仕掛けってワケ。……そうするとあれか。この冬虫夏草自体が、あの肉腫同様の厄介な毒瓦斯を発生させていたから、スピカたちや小動物が影響を受けていたってことか」

 森に満ちる、例の不可視の瓦斯がもたらす毒効。……方や非天然起源的な発情。そして、理性すら融解させる狂気・攻撃性の誘発。思案に更けていたアルテミスは副官二名の異変、その両者の違いを思い出す。浮上した疑問を口にする直前、アルテミスは瓦斯の被害者本人たるスピカに配慮の視線を投げかけた。

 今から告げる言の葉は、現況の確認と分析に関し必要に迫らざるを得ないものだ。……だが、その内容は眼前の少女——スピカの尊厳に少なからず傷をつけるものが含まれている。一方のスピカは、そんな破軍の心配を伺い察したや否や……不安げな表情から一変、彼女は力強い眼差しで首肯を以って許諾した。

 スピカの覚悟と勇気に頷き返したアルテミスは、映像先の皇帝に向き直る。

「副官二名の体調異常についてだが。スピカは森林内で確認された小動物たちと同様、発情状態になった一方で、ベテルギウスは抑制が効かないほどの凶暴性を確認した。……一応、俺にも軽度とはいえ、仲間に対して湧き上がるそこそこの殺意を抑え切ることができなかった。これら瓦斯の毒効において何らかの条件があるのか、何かわかることはあるか? 今後の対策、その参考にしたい」

『……強いて挙げるなら。彼らの共通点と相違点は、純ガイア産の生命体か否かでしょう』

 切り出したアルテミスの要求に応えたのは、ほかでもない皇女ポラリスだった。

 ……以前ポラリスは、ザウラクに寄生していた肉腫の毒瓦斯の被害を、皇帝の預かり知らぬところで図らずも受けた身。——何かしら思うところがあったのだろう。もしくは、その件から彼女独自に裏で調査をしていたのかと思われる。

 スピカや森林内に生息する小動物は、純粋な惑星ガイアの原生生命体だ。だが、ベテルギウスは異星生命体たる天士由来の半天士に属している。本来、天士は生殖能力を持ち合わせていない。このことから、天士が瓦斯も毒に侵された際は、性欲による衝動が攻撃性に転換されるのだ。

 しかし——

『皆様、忘れがちでしょうけれど。……そこの副官・ベテルギウスは四分の三が人間です。あまりこういうことを申しますのは、私も抵抗がありますが……』

 そこまで言いかけたのにもかかわらず、突然ポラリスはコホンと一つ咳払いをしたかと思えばその先を言いぼかす。嫌な予感がしたアルテミスは、ポラリスの白肌の手が覆い隠し切れていない悪戯な笑みを見逃さなかった。

「なあ、ベテルギウスくんや。……ぶっちゃけ、どうだったの? アレ」

「……ああ、アレっすか」

 笑顔を取り繕うのに必死なためか、引き攣った口元で訊ねるアルテミス。そんな主人を前に、当の本人は元来の興味なさげな面持ちのまま頬を掻いたのち、怠そうにボソッと呟いた。

「あんまし覚えてないんスけど……。なんとなく、大将をブッ殺したくて仕方が無かった感じだったかもっスね」

「……ん〜〜〜! この安定の蛮族ぶり、逆に清々しさを覚えたわ。——このおバカ‼︎」

 どうやら、ベテルギウスは人間としての性欲よりも天士としての殺意を優先させたようだ。何れにせよ、両者の行動は催淫作用の情動に起因していることから、些細な差異というものだろう。ポラリスの被害に関しては、出立前の積極性がそれに当てはまる。


 ——肉腫の個体差、成長段階に違いはあれども。

 森林内で起きた異変、そしてザウラクの乱といいこれら一連の原因は、肉腫が発生させる毒瓦斯による有機分解作用。


 以上が、瓦斯の毒効であるとアルテミスたちは考えた。

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