第二節 ◆湖・星の涙2/禍害招来

 その一撃は、まさに潰滅の一言に尽きた。


 ベテルギウスが振り上げた断頭剣、ステラ・ミマース。切っ先のない刀身は、まさに振り下ろして対象の頭部をただ断つのみに機能を限定させた故の異剣である。

 ——しかし。

 鍛位・白銀に位置するその巨剣から繰り出された一閃は、使い手の剛腕……そして卓越した技量によって、本来の用途以上の性能を呈していた。

 ……たった一撃。その一撃だけで、凄まじき剣圧の衝撃は辺り一帯を惨状に至らしめたのである。赭土あらわる痛々しいその爪跡は、山津波が起きたばかりの如く抉り取られ、数秒前にはかつて叢林だった面影すら遺さない。

 やがて土いきれに代わって立ち込める砂塵の晴れた先を確認したベテルギウスは、眼前の状況を目すと一驚した。

 “——大将が、いねえ……!“

 命があった痕跡すらことごとく喰らい尽くした張本人たる男は、狂気に呑まれた意識の中で討ち漏らした獲物を探してうたく。

 ——だがそれも束の間。ベテルギウスの肩を後ろからぽんぽんと叩いた者は、彼が探していた当人……破軍・アルテミスだった。

 反撃する暇さえ与えなかったはずの、断頭剣ステラ・ミマースの暴威。その速さを上回ってベテルギウスの背後に退避していたアルテミスは、防毒マスクの下——空知らぬ顔でにっかり笑って、青年の頬を人差し指で突きからかう。一方でベテルギウスはというと、振り向いたと同時に凶悪な笑声を上げて己の主人へと殴りかかった。しかしながら、ベテルギウスの凶拳より襲う猛攻を、アルテミスはいとも簡単に防ぎ受け止めてみせる。

 ——烈風が、アルテミスの頬を掠める。

「あら嫌だ、ベテルギウスくん。少々それはお野蛮でなくって? 紳士たる者、もうちっとお淑やかにならねえと——」

 アルテミスのおとがい叩いた口が閉じ終わらぬうちに、ベテルギウスはその怪力をもって押し通さんと腕に力を込めた。いくら頑丈なアルテミスとはいえ、さすがに筋力においては自身より体格の大きなベテルギウスの方が勝る。防御に徹するのも時間の限界だと、破軍の左腕橈骨筋が軋みを上げた。

「……ほおん。こりゃまた見事にキマってんなあ。——言えよ、ガキンチョ。今、テメエに何が起きてる?」

 忘我に荒ぶる部下の様子に、アルテミスは顔を顰めた。

 その間も無く、ベテルギウスは咆哮と共に破軍を殴り飛ばす。ベテルギウスの剛力にひしゃげたアルテミスの左腕は、瞬時に快癒する。着地時の衝撃を分散させるため転がったアルテミスは、すぐさま立ち上がって迎撃に打って出た。荒げる息のベテルギウスの突進に怖じることなく——助走ののち身を低くし、彼の股の下を滑って通り抜ける。その勢いのままベテルギウスの左腕を掴んで跳ねると、両太腿で枝に巻き付く蛇の様に挟み込んだ。

「よくもこのご主人サマの腕一本ブチ壊してくれたなァ、オイ! 折角だからテメエの分もくれてやるよ……ッッ!」

 ——ステラ・アマルテア。対天士戦闘用に皇帝ユピテル直々に鋳造された、甲冑型ステラ。赤みを帯びた鈍銀色に輝く一式の星鎧を纏った破軍は、賜った冠名通り剣と化したも同然。……防具は時にして、最大の武具とはよく言ったもの。まさにそれを、アルテミスは全身の力すべてを使い容赦なく身体を斜めに捻り上げた。

「ゴッメンあそばせェッ! ドラァッッ!」

 骨肉ごと捻じ切られたベテルギウスの左腕は、彼の苦悶の声に合わせて血霧を噴射する。宙から降り立ったアルテミスは、ベテルギウスのだらんと力無しに伸びた腕を見て、部下にした自身が行った仕打ち——自虐心に襲われ苛立つと、舌打ちをして唾を吐き捨てた。

 絞られた雑巾となった彼の左腕からは鮮血が滴り、少しでも動かせばすぐにでも千切れ落ちるだろうことが見てわかる。並の人間でも無事では済まないこの純粋な暴力は、ステラが弱点である天士の血を引くベテルギウスにとって酷烈に等しき痛手となるはずだった。

「悪い悪い。テメエ相手に手加減したら、下手すりゃこっちが潰されるからな。……どうだ、正気に戻ったか?」

 アルテミスは、羽織っていた外套をビリビリと適当な大きさに見繕って破る。今にも捥ぎ取れそうな青年の腕を固定しようと、苦痛に唸って前屈みに倒れ込んだベテルギウスに近づいたその一瞬だった。

 突如として突き出された彼の、絡繰仕掛けの右腕。みるみるうちに手砲へと変形した白銀に輝くその名を、ベテルギウスは明確な殺意と共に、アルテミスへと銃口より発射した。

「……滅尽せよ。ステラ・エンケラドス……ッッ!」

 ——殷々たる砲声が、大地を揺るがした直後。アルテミスのその身は、高々と空中に投げ出されていた。

「はああああああああ〜〜〜〜〜〜ッ⁉︎」

 ベテルギウスの殺意が紛れもない本物であることに、アルテミスは驚きと怒りを通り越し呆れ叫ぶ。

 改造義手型ステラ・エンケラドスの轟砲を寸前で躱したまでは良かったものの、白銀の鍛位は伊達ではない。直撃を免れたとはいえ、その衝撃波の高威力によってアルテミスは上空へ吹き飛ばされたのである。

 理不尽なる上昇の最中。アルテミスは空気抵抗の重圧に耐えつつ、股肱の臣下たるベテルギウスが自分へ翻意を向けた事実と原因に思考を巡らせた。


 ——結論から言えば。間違いなくベテルギウスの暴走は、件の敵性天士による破軍一行の湖接近……その妨害かつ、襲撃だ。もちろん、スピカの体調異常においても同一のものであることは推測できる。

 まずは、スピカとベテルギウスに異変をもたらしたもの。

 これは森の深部……つまり、湖より発せられる肉体・精神に変質を与える肉腫の瓦斯、その毒性作用によるものだ。


 “おそらく、分泌ホルモンに関与する性質があるんだろう。植物の奇妙な成長速度も、小動物たちの発情も、スピカも……。ステラ・アマルテアを装着した俺に捻じ切られたベテルギウスの腕が、超速再生されたのもアタリだと見て違いねえ!“


 しかし。胸中に襲う不安の種……撒かれた謎は、どれもこれも破軍にとって理解し難い。

 ユピテルに加え双子皇子、そして皇女ポラリス。今回の調査は、対天士研究に精通するこの専門家四名が、肉腫の毒性瓦斯対策を考慮してわざわざ特別製のステラを製造して支給して来た程だ。

 ——防毒マスク型ステラ、メティス。

 その性能は呼吸器周りは勿論、ステラから発生する磁気を利用し、目や耳の粘膜まで瓦斯の毒性防護を徹底させたという代物だ。また、アルテミスたちが装着する甲冑型ステラも、これに合わせた防毒機能を追加調整済みだった。

 ……以上の対策を講じたにも、拘らず。全てが無駄だと一粲する敵性天士の予測される脅威度に、アルテミスは考えたくもないと怖気に襲われた。

 加えて上昇速度がピタリと止まったことに、アルテミスは更なる最悪の事態を察知する。——当然だ。次に破軍の身に迫る危機といえば、物理法則通りの現実に他ならない。


 “ヤッベエッ! せめて地面の激突は避け……ッ!“


 空中下降するアルテミスは、死に物狂いで落下地点を定めようと体を捩る。急降下による抵抗の衝撃、そして負荷に鼓膜・内臓の一部が破裂し、肉体が悲鳴を上げた。血反吐を撒き散らしながら、何とかアルテミスが下界を見渡すことに成功したのも束の間。

 そこに映ったもの——両眼は、アルテミスに苦難を突きつける。


 “——星の……涙ッ‼︎“


 ……ぽっかりと口を開けたクレーター。その内円に広がる、底知れぬ青き水の深淵世界。


 青空と陽光を反射して煌く湖面に、破軍はただ一言——「クソッタレ」と悪罵を浴びせると、そのまま毒湖へ垂直に落下した。

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